第164話 悪夢の終焉1
森の中を走ってる。妹の手を引いて。必死に逃げている。
ほら、ほら、早く逃げな。逃げないと食べられちゃうよ? 頭からバリバリと食べちゃうよ?
奴が笑っている。夜が支配する暗黒の森。文明の光届かぬ闇の向こうから、こちらをジッと見つめて舌なめずりをしている。
怖い。怖くて視界が涙で滲んでしまう。でも挫けてなんかいられない。だって私はお姉ちゃんだから。アイツから妹を、アリアを守れるのは私しかいないから。
だから走った。息をするのも忘れて。妹の手を引きながら必死に。
なのに奴を振り切れない。奴はどこまでも追ってくる。振り向けば、ほらもうそこにーー
どうしよう。どうしよう。
キッシッシッシ!
歯軋りのような嫌な笑い声。衝撃に襲われた。
暗転。
私は地面に倒れて何も出来ずにただ見上げている。妹の、アリアの背中を。それはなんという理不尽。許せない。ううん。違う。許せないのは自分だ。小さな妹に守られる弱い自分だ。
だから私は誓った。絶対、絶対に強くなるって。そして今度は私がアリアをーー
ドロシーさん。
「うっ……レオ……君? ここは……」
私、寝てたの?
物凄く体が重い。思考がボーとして目の焦点が中々合わない。酷く嫌な夢を見ていた気がする。ここ最近ずっと見ている悪夢。でもそれを思い出そうとすると頭痛に邪魔される。
「なんで……私……」
地面に寝てるんだろう。周囲に広がっているのは、ひょっとして私の血?
「キッシッシ。まだ頑張るのかい? 格好良いね。お姉ちゃん格好良いよ」
「これくらい。な、なんてことない……ですわ」
……誰?
歯軋りのような不快な声。それに挑むような声音を向けるのは一体誰なの?
顔を上げようとほんの少し体を動かすだけで全身が悲鳴を上げた。
私、死ぬのかな?
不吉な予感をおぼえながらも、なんとか視界を確保する。誰かが私を守るように巨大な蛇の魔物に立ち塞がっていた。
「イリーナ……さん?」
ボロボロの背中。それが何故か悪夢の中の小さな背中と重なって見えた。
そうだ、あの時も私は……あの時? あの時っていつだっけ?
「キッシッシッシ!! その頑張りがいつまでもつかな? ほら、頑張ってお姉ちゃん。頑張らないと死んじゃうよ」
ラミアの巨大な尾が鞭のようにイリーナさんの体を打ち据える。
「やめ……ゴホッ、ゴホッ」
叫ぼうとしたら口から血が飛び出した。
……そうだった。私達はラミアと戦って、そして負けたんだ。
ふと、右手の感覚がないことに気が付く。何だろうと視線を向けて見れば、腕の皮膚が見るも無惨に焼け爛れていた。
光魔法の後遺症。このままでは勝てないことを悟った私は再び自身が使える最強の魔法を行使した。その結果、呪痕がさらに深く私の体を蝕んだ。凡人が聖者の真似事をした代償。決して消えることこのないこの傷跡は、今や腕のみに留まらず、私の顔半分にまで及んでしまった。
……きっと酷い顔になってるんだろうな。
今の私を見たらレオ君はどんな顔をするんだろうか。
補助師だし、治癒使いを目指すくらいだから怪我なんて見慣れてるよね。でももしも醜いと思われたら……それはちょっと辛いかも。
そんな場合でないと分かっているのに、そんなことがひどく気になった。
「ぐっ……こ、の……程度じゃ、負けませんわぁあああ!!」
イリーナさんは傷だらけの体に魔力を滾らせると反撃に転じた。でもその動きは普段のものには程遠くて、無造作に振われたラミアの拳で簡単に撃退されてしまった。
地面に激突するイリーナさん。そのあまりの勢いに体が大地に埋まる。
「キッシッシッシ!! 虫みたい。虫みたいだよお姉ちゃん」
ラミアが地面に倒れたイリーナさんに追撃をかけようとする。
エルフはまだ来ないの?
気を失っていたのがどれくらいの時間なのかは分からない。でも見た限りでは救援が来る気配はなかった。
動いて、動くのよ。
最早残り少ない魔力を振り絞って体を動かす。少し動く度に肉体から命が流れ出していった。
出血を止めないと。……ダメ。ただでさえ魔力が残り少ないのに、呪痕のせいで体内の魔力経路がメチャクチャ。
これは……助からない。
何となくだった予感が確信に変わっていく。そのことに不思議と恐怖はなかった。むしろ闘志が沸いた。私がダメでもせめて二人は、友達だけは助けてみせる。
「キッシッシッシ! さて何発耐えられるかな? 簡単に死んじゃダメだよお姉ちゃん」
地面に倒れ伏すイリーナさんへとラミアが拳を振り上げた。
絶対に止める。
私は渾身の力でーー
「大気よ、時の旅人よ。この一時、我が声に応じよ。汝は兵なり。我は王なり」
「アリリアナ!?」
詠唱に導かれて大気が円を描く。見れば私に負けず劣らない出血で半身を赤く染めたアリリアナが地面に片膝を突きながらも魔法を行使しようとしていた。
「渦巻く剣をもちて我が敵を打倒せよ。『ウインドソード•キリング』」
そうして渦巻く巨大な大気の剣がラミアに突き刺さった。
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