第110話 二人の男
「こちらがドロテア姉妹の資料となります」
リリーナから受け取った資料にはドロテア姉妹の学歴や保有するギルド資格を含めた個人情報が、これ以上ないほど詳細に載っていた。
「ふむ。学力、体力、魔力。姉妹共に十代の魔法使いでは文句なしにトップクラス。特にアリア•ドロテアは規格外と言うべきかな。このまま成長していけば、やがては我々聖人に比肩しうる存在になるだろう」
「ご冗談を。とは言えアリア•ドロテアは確かに非凡です。ですがその姉であるドロシー・ドロテアにまで求婚されたのは何故なのですか? 彼女は確かに優秀ではありますが、彼女以上の者ならば、教会にいくらでもおります」
副官の声には隠しきれない険があった。ドロテア家当主にこちらの到着を告げて、私との面会の日取りを決めて宿に戻ってきた彼女に夜空と月の話をしたのは、どうやら時期尚早だったようだ。しかし、だからと言ってこの溢れる気持ちを言葉にしないなど不可能ではあるのだが。
「私はね、リリーナ。彼女達が非凡だから焦がれているのではないのだよ。誰もが一度は世界の美しさに魅せられるように、またそれなしではいられないように、それ程までに彼女達を深く愛しているのだよ」
「は、はぁ」
私としては素直な気持ちの発露だったのだが、どうにもリリーナを困惑させてしまったようだ。
反省しつつ、資料を一枚めくる。
「二人の交友関係は……ふむ。ドロシー・ドロテアは現在婚約者など特定の相手はおらず。しかしレオ・ルネラードと親しい様子、か。レオ・ルネラード……ああ。あの時私の夜空と一緒にいた子か。ふむ。アリア・ドロテアに関しては以前ドロシー・ドロテアの婚約者だったこの国の王子と婚約中。二人の関係については調査中か」
目を通した資料は最早必要ないので、魔法で念入りに焼いておく。
「ガルド様、アリア・ドロテアの婚約者はこの国の王子です。ガルド様は一国の王子の婚約者を略奪されるおつもりなのでしょうか?」
「それは二人の関係次第だね。アリア・ドロテアが婚約者とうまくいっているようであれば、割って入るつもはないし、逆にこのラルドとかいう王子が私の月を幸せにできないと判断したのであれば、王子であろうが容赦する理由はない。時に、王子の資料が少ないようだが?」
と言うよりも殆どなかった。今回私がドロテア姉妹を調査するに当たって動かした『聖暗部』は国防の危機に用いられる教会の最精鋭部隊。調べられなかったということはないだろう。
リリーナは私の視線から表情を隠すように頭を下げた。
「……申し訳ありません。時間がなかったので、ただいま調査中です」
「ふむ。困ったものだな」
腹心の部下である彼女が報告を躊躇うとは、どうもラルドという王子は人格者には程遠い人物らしい。しかし私の月にとってどんな相手であるか分からない以上、今はまだ静観の時期だろう。
「あの、ガルド様。今割って入るつもりはないとおっしゃいましたが、それではドロシー・ドロテアに恋人ができた場合、身を引かれるのですか?」
「その者と結ばれることが私の夜空の幸せであれば、無論そうするとも。……何故そのような質問を?」
「い、いえ。珍しくガルド様が執着なされているようでしたから、どのような障害も跳ね除けるおつもりなのかと」
確かに私が保有する全ての力を行使すれば、あらゆる問題を取り除き、二人を私の手元におけるだろう。だがそのような行動に一体どれだけの意味があるというのか。
「言っただろう。私はね、二人を愛しているのだよ。愛する者たちの幸せをどうして壊せようか」
「それではガルド様は二人が他の男と結ばれても構わないと仰るのですか?」
「それが真に二人の幸せであるなら、心から祝福するだろうね」
むしろ何故そのようなことを聞くのかが不思議で仕方ない。聖者として生まれた自分が他者とは異なる感性を持っている事は理解しているが、それでもこんな時、つい思ってしまうのだ。ズレているのはあるいは他の者達の方ではないのかと。
「無惨に殺された老若男女を見た。憎悪に狂った哀れな者たちに出会った。そしてこれからもそんな者達と出会い続けるだろう。そんな無情なるこの世界で、愛する女性が幸福で居られるならば、誰の腕の中にいようが何ら問題ではない。もしもこれを問題だと思うのであれば、それは愛ではない。ただその女性を手に入れたいという欲望であり、もっと端的にいうのなら単なる生殖本能に過ぎない。私はね、リリーナ。二人を愛しているのだよ」
愛。彼女達に出会ってから一体何度この言葉を口にしただろうか。そしてその度に胸が締め付けられ、彼女達にどうしようもなく会いたくなる。
ああ、私の夜空、そして月よ。君達は今、何をしているのだろうか。ただただ、それだけが知りたかった。
「それでレオはいつドロシーさんに告白するの?」
「何だよ、藪から棒に」
庭で最近日課となってる素振りをしていると、姉貴がやってきて訳のわからない事を口にする。
「ドロシーさん、あのガルドさんに求婚されてるんでしょ? ぼうっとしてると取られちゃうよ」
「取られるって。ドロシーさんは物じゃないんだ。付き合う相手は自分で選べるだろう」
中断していた素振りを再開する。ったく、この間のこと、姉貴に話すんじゃなかったぜ。
「レオの言う通りだけど、せめて告白だけでもしておいた方が良いんじゃないかな」
「余計なお世話だ。つーか、俺がドロシーさんを好きな前提で話すなよな」
いや、まぁ、好きなんだけど、口にしてない気持ちを分かってますって顔で言われると、なんかスゲー腹立つ。
「ドロシーさんがそのガルドさんや、あるいは他の人を選んでもそう言えるの?」
無視だ、無視。放っておいたら飽きてどっか行くだろう。
素振りを再開する。もっと速く。もっと強く。
「はい。ちょっと想像してみて。ドロシーさんがそのガルドさんとキスしたり抱き合ってるところを」
メチャクチャ嫌な想像に、思わず剣を止めてしまった。
「やめろよな」
「ほら、動揺した。言っておくけどね、ドロシーさん、貴族ならとっくに結婚しててもおかしくない年齢なんだからね」
「それはお前もだろ。つーか何で急にそんなこと言うんだよ」
「最近のレオ、剣にちょっとのめり込みすぎで心配なの。前はあんなに嫌ってたのに。それでここにきて失恋でもしたらどうなることか……」
「余計なお世話だ。大体今だって別に好きじゃない」
「それじゃあどうして? 最近医療魔法の修行より剣に割く時間の方が多いよね?」
メルルのやつ、よく見てやがる。兄弟ってこう言う時に面倒だよな。
「レオ、答えて」
「……病院でリトルデビルが暴れた時、俺は何もできなかった」
「レオだけじゃないよ。ベテランの冒険者さんだって持て余す状況なのよ? 皆大したことはできなかった。本人は卑下しているけど、あの状況であれだけのことができたドロシーさんが特別なのよ」
「だが今の俺ならもっと力になれた」
自分でも驚いたが、どうやら俺には戦闘の才能があるようだ。医療に関する魔法は覚えるのにスゲー苦労するのに、戦闘に関する魔法や体術は嘘みたいに簡単に覚えられる。
だからこそ考えずにはいられない。もしも俺が好き嫌いせず、最初から戦闘訓練をキチンとしておけば、そしたらドロシーさんにあんな無茶をさせずに済んだんじゃないかって。
「レオ、本気で冒険者目指すつもりなの? 医療術師は諦めるの?」
「それは……分かんねーよ。ただ今はもっと強くなっておきたいんだ。もう二度と、あんなことがないように」
そうだ。そのために必要なのは強さなんだ。
剣を振る。もっと速く。もっと強く。
「……そう。分かった。ただこれだけは言っておくけど、自分の選択をドロシーさんのせいにしないでよ」
思ってもみなかったその言葉に、俺はまた剣を止めてしまった。
「何だよそれ、どう言う意味だよ」
「そのままの意味よ。レオが医療術師よりも冒険者を目指すのは勝手だけど、冒険者になった後、ドロシーさんと上手くいかなかったとしても、自分の選択を私の友人のせいにしたら許さないからね。それだけ。じゃ、好きなだけ棒切れ振り回してれば?」
メルルはそれだけ言うと、いかにも怒ってますと言わんばかりの背中を俺に向けてどっか行った。
「まったく、何だよアイツ」
メルルといい、アリリアナといい、女ってのは突然切れる時があるからほんと意味不明だぜ。……ドロシーさんでもあんな風になることがあるのかな?
ふと、メルルの言葉が蘇る。
(想像してみて。ドロシーさんがそのガルドさんとキスしたり抱き合ってるところを)
「あ~。くそ」
スゲー嫌な気持ちになって訓練どころじゃなくなった。確かドロシーさんは今日、アリリアナと一緒に馬車の下見に行くと言ってたっけ。俺は午後から授業があるから無理だって言ったけどーー
「……会いてぇ」
どうしようもないくらい、ドロシーさんに会いたくなった。
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