第94話 乙女の嗜み

「コーヒーはね。自由にお代わりできるんだよ。あっ、勿論お金は必要だけど、私が払っておくからね」


 お店に不慣れな様子のアリアが面白くて、何となくお姉ちゃん風を吹かせてしまいたくなる。自分でもびっくりな一面だ。


「…………」

「ちょっとアリア、さっきからイチゴばっかり取りすぎじゃないかな?」 


 特大プププ三盛りパフェのてっぺんに盛り付けられている様々なスイーツ。アリアはその中から苺を積極的に搾取していく。


「ねぇ、ちょっと聞いてるの?」

「………」


 一心不乱な妹は聞く耳がないみたい。普段であれば対抗心の一つでも燃やしていたかもしれないけれど、今回はお礼なのだから、アリアの好きなようにさせよう。なので妹の食指が動かぬ場所を見つけてはスプーンを動かしていると、ふと、少しばかり離れた場所に座る女の人が目に留まった。


 あ、パフェマスターの人。


 私が初めてお店に来た時も居た彼女は、どうやら今日は一人で来ているらしくて、前回と同じように巨大なパフェを前に一人黙々とスプーンを動かしていた。


 そんな彼女は視線に敏感なのか、あるいは私がジッと見過ぎちゃったのか、パフェマスターの視線がこちらを向いた。


「えっと、あの……」


 声を掛けるには些か距離があるから、ここは頭を下げておこう。すると向こうはいつかのように、ビシリと親指を立てて、不敵に微笑んでくれた。


「パフェマスターさん……って、へ!? あれ?」


 パフェマスターを見ていると自然と動いたスプーンが何故か空を切った。おかしいなと思い視線をテーブルに戻してみればーーない。あれだけあった様々なスイーツで装飾されたパフェの頭が綺麗になくなっちゃってる。


「嘘っ!? アリア、魔法使ってないでしょうね?」


 気になってテーブルの下を見てみたりもするけれど、どこにもパフェの消えた頭部は見当たらない。なら目を離したあの短時間で全部食べちゃったのかな? ううん、いくらなんでも早すぎる。不思議に思いつつもテーブルの下を覗いていた顔を上げてみればーー


 シュッパッパッパッパ。


 消えていた。アリアの右手が。常識外の速度が残像すら残さずにアリアの右手を不可視に変貌させちゃってる。それは何も手に限った話じゃなくて、スプーンからの高速パスを受け取っているはずの口は、これが乙女の嗜みとばかりに固く閉じられており、どれだけ目を凝らしても開いている瞬間がまるで見えなかった。


 それはなんと速く、そしてそれ以上に精緻な身体強化魔法なのだろうか。これほどの運動を一切の狂いもなく行うことが、果たして私に出来るかな? 分からない。ううん。お姉ちゃんとして出来ないとは思いたくない。思いたくないけれどーー


「ご飯はもっと落ち着いて食べなさい!!」


 ひとまずは、そう注意することにした。





「それで、美味しかったの?」


 結局パフェの殆どを一人で完食したアリアは、先程までとは打って変わった落ち着き払った態度で、食後のコーヒーを楽しんでいる。


「ちょっとアリア、聞いてる? 美味しかったの?」

「…………」


 ここのコーヒーは決して悪くはないけれど、上流階級の一員として普段もっといいものを飲んでいるだろうに、妹は私からの質問に応えようともせず、湯気の上るカップを片手に窓から見える景色をぼうっと眺めている。


 もしもこれが友達の誰かであったならば、降って沸いた沈黙にひどく居心地の悪い想いをしたに違いない。でもこの妹が私の言葉に反応したり、しなかったりするのは何も今に始まったことじゃないので、私は特に気分を害されることもなく、溜息を一つ付くとアリアに習って人が行き交う景色を楽しむことにした。


 私はこの時、決して口には出さないけれど、不思議な絆のようなものを、目の前の厄介な妹に確かに感じていた。


 それは例えば、このままアリアが何も言わずに店を出たとしても、あるいはいきなり殴りかかってきたとしても、私とアリアがこれからも姉妹であることに変わりはないという、一種の開き直りにも似た安心感。そんなよく分からないものが、しかし店内に流れる心地の良いメロディと相まって、決して悪くない感情を湧き起こしてくる。


 だからかな? 突然現れて、無作法にも姉妹の間に入り込んできた集団に、私は珍しく嫌悪にも似た悪感情を覚えちゃった。


「アリアお嬢様、ご当主様がお呼びです。館にお戻りください」

「……ハクさん」


 雪のように白い髪と瞳、怜悧な美貌には執事服がよく似合っており、なんてことはない佇まいがアマギさんのように完成されている。


 筆頭高弟。お父様の弟子の中でもっとも優秀な彼女が動くとき、私達姉妹に選択肢はない。アリアだって余程のことがない限り彼女の意見には従うのだ。お母様を知らない私たちにとって彼女はそれほどまでによく面倒を見てくれた人なのだ。


「ドロシーお嬢様、ご無沙汰しております。館をお出になられて暫く経ちますが、問題なく過ごせておりますでしょうか? もしも何らかの問題を抱えていらっしゃるようでしたら、遠慮なく私めにご相談ください。可能な限りの援助をさせていただきます」

「ありがとう。でも、その、お父様は……」

「ご当主様からはドロシーお嬢様の援助を禁じる旨の指示は出ておりません。なので何の問題もございません。ですが禁じられた場合においては、私は何もすることが出来なくなりますので、その点、ご容赦頂ければと」


 ハクさんは弟子の中でも特に強い忠誠心をお父様に対して持っている。だからお父様に逆らうことは決してないし、私達とも親しくなりすぎないよう、これ以上は踏み込まないし関わらないという明確な線を引いてくる。


 私がこの近いようで遠い所にいる高弟の久しぶりとなる顔を眺めていると、アリアが席を立った。妹は私に何を言うでもなく背中を向けるけれど、私はどうしても確かめたいことがあった。そしてそれはハクさんがここに来たのと決して無関係ではないように思えた。


「アリア、待って」

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