第91話 居ても立っても居られず

 オオルバ魔法店に戻ってきた私は、まず何よりもオオルバさんに心配かけたことを謝ると、自室に戻り、壁にかかっている魔法板が受け取っていた幾つかのメッセージに返信した。


 メッセージの送り主は、「飽きたから先に帰るから」と言って勝手に退院したアリリアナさんや、「元気なら学校に行きなさい」とご両親に言われて休む間もなく登校する羽目になったレオ君。それと事前に送ってくれていたようで、ちょっと前まで一緒にいたセンカさんとメルルさんの分もあった。アリュウさんからのメッセージもあって、こんなに沢山の人に気にかけてもらえているのかと思うと、くすぐったいような奇妙な気持ちになった。


「皆、心配してくれてるんだ」


 ベッドに横になると、何をするでもなくボウッと天井を見上げた。友達と魔法文字での連絡をしたことのない昔に比べると何だか今という時間が嘘のようだ。屋敷を出てから私の生活は驚くほどに改善されて行ってると、最近とみに思う。でも不思議なことに、良い方へ向かえば向かうほど、あの屋敷に一人残してきた妹のことが気になってきちゃう。


「……人の心って不思議」


 お父様の元にいるときはアリアのことを考えるだけでも憂鬱な気分になったのに、今は面倒を全て押し付ける形になってしまった妹に対して、罪悪感にも似た感情を覚えている。


「アリア……どうしてるんだろ?」

「何だい。気になるなら会いに行けばいいじゃないかい」

「きゃああ!? オ、オオルバさん?」


 び、びっくりしたぁ。いつの間にこんな近くに? というか、アリアじゃないんだから無断で部屋に入るのはやめて欲しい。


「毎度、毎度、盛大に驚くけれど、今回もノックはしたからね」

「へ、返事を待ってくれると嬉しいです」

「ふむ。ぐうの音も出ない正論だね。でも……」


 オオルバさんは咥えかけたキセルを思い直したようにしまった。その顔は珍しいことに何だかちょっと苛立っているようにも見えた。


「そんなんで冒険者としてやっていけるのかい?」

「うっ、そ、それは……」


 もしもオオルバさんの代わりに部屋に入ってきたのがあの魔物だったら、あるいは悪意を持った人物であったならば……。どんな状況でも危険に備えることが出来なければ、冒険者として大成するのは難しいだろう。多分、オオルバさんはそんな感じのことを言いたいんだと思う。


「私だって嬢ちゃんのやりたいことに意見したくはないんだよ? でも、何も冒険者じゃなくても、嬢ちゃんに合った仕事はたくさんあると思うのさ。そうだ。何ならこのお店を嬢ちゃんにあげようか?」

「ええっ!? な、何言ってるんですか? そんなのダメですよ」

「どうしてだい? 今店にある分を捌くだけで、人が一生遊んで暮らすには十分すぎる額の金が手に入るよ」


 確かにこのお店には信じられないくらい高価な品が山のようにあるけれど、今問題なのはそんなことじゃない。


「あの、オオルバさんはどうして私にそんなに良くしてくれるんですか?」

「何だい唐突に。私と嬢ちゃんの仲だろ。そんな水臭いこと聞くんじゃないよ」

「で、でも……」


 オオルバさんの好意は嬉しいけど、正直元はただの常連でしかなかった私に対して過剰な気がする。


 疑問が顔に出ちゃったのかな? オオルバさんは困ったように頬を掻いた。


「本音のところを話すとだね、私には娘が居るのだけれども、その娘が嬢ちゃんによ~く似てるのさ」

「私と……ですか?」

「うん。いや、まぁ、性格とか容姿だとかは全然違うんだけどね」

「え? それまったく似てないってことなんじゃあ……」

「いや、そっくりだよ」

「は、はぁ?」

「私の娘は銀髪銀目で見た目はそりゃ綺麗なもんさ。けど世代の違いっていうのかね。親の私にも行動が読めない少しばかり変わった子でね。あれやこれやと問題を起こすもんだから、昔は事あるごとにカミナリを落としたもんさ」

「オオルバさんが怒ってるところあまり想像できないから意外です。でも銀髪銀目で変わった性格って……何だかアリアみたいですね」


 まぁ、流石にあそこまでの変わり者ではないだろうけれど。


「アリア……ドロシー嬢ちゃんの妹さんだね。そんなに変な子なのかい?」

「変っていうか、昔から何を考えているのかよく分からなくて。それでその……とにかくそんな感じです」


 それでも小さい頃はよく一緒に遊んでたっけ。……いつから今みたいな関係になっちゃったんだろう。


「血縁と言っても自分とは違う存在だからね。そんな相手を理解するなんざ、そりゃ無理ってもんさ。ただ分からないからって放っておいたら、それっきりってこともある。それだけは頭に入れておくべきだよ」


 オオルバさんの言葉はまるで吐き出された血のようだと思った。


「あの、娘さんは今……いえ、何でもありません」


 言葉を呑み込む私の頭をオオルバさんは優しく撫でてくる。やがてオオルバさんは手を引っ込めると気分を入れ替えるように言った。


「さて、買い出しにでも行ってこようかね。嬢ちゃん、何か食べたいものはあるかい?」


 トマトソースで真っ赤になったパスタ。たっぷりのクリームの上にイチゴを乗せたパンケーキ。幾つかの誘惑が湧いてきたけれど「それっきりってこともある」という言葉がいやに引っかかって、私は居ても立っても居られなくなった。


「……あの、すみません。私、ちょっと出かけてきます。ご飯は外で食べてくるので、今日はいりません」

「そうかい。後悔しないようにね。それと店の話は本気だから覚えておきな。何なら妹さんと一緒にやってもいいんだよ」

「アリアとですか?」

「そういう選択肢もあるってことさ」


 アリアと私が一緒に働く? そんな未来、想像したこともなかった。でもじゃあ、今の私は一体どんな未来を思い描いているんだろう?


 よく分からないごちゃごちゃとした気持ちを抱えたまま、私はドロテアの屋敷まで歩いた。お城は忙しくしてて、その中心にお父様がいるとのことだけれども、幸いなことに外から見る分にはドロテアの屋敷は何の変わりもないように見えた。


 私は道角に身を隠すようにして、そんな実家を観察する。


「ううっ、すごく入りにくい。お父様、怒ってるかな? ……怒ってるよね」


 私をゲルド王子とくっつけるというお父様の計画をぶち壊した挙句、顔面に思いっきりパンチしたのが最後だから、どんな顔して会えばいいのか分からないよ。でもお父様に会わずにアリアに会うのは難しいだろうし……。


「だ、大丈夫。勝負に勝ったのは私なんだから、アリアと話をするくらいなら許してくれるはず」

「話って何?」

「いや何って言われたら困るんだけど……って!? きゃああ!?」


 体と心臓が飛び跳ねる。もう、何なの!? オオルバさんといい、この子といい、絶対わざとやってるでしょ。


「ア、アリア」


 私はいつの間にか背後に立っていた妹へと声をかけた。アリアは感情を読み取らせないいつもの瞳で、ただこっちをじっと見つめていた。

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