第1033話 二人のロシア人

 ロシア連邦のモスクワに古くから存在するホテルがあった。このホテルはロシアの指導者たちが密かに集まり、ロシアの重大事項を決定する場所として使われていた。


 このホテルがそういう場所として機能を始めたのは、三十年ほど前からである。その切っ掛けとなったのは、三十年前の大統領が起こした戦争だった。


 三十年前、未だにソビエト連邦時代の領土を取り戻したいロシアの大統領は、小さな隣国を制圧して領土を手に入れようとした。だが、ヨーロッパの先進諸国やアメリカが支援した事により、最終的にロシアは敗退。歴史上何度も起きた事だが、その時は西側先進諸国の制裁活動により、ロシア経済が混乱して国民が騒ぎ出した。


 その後、ロシアで内戦が始まり、大統領が暗殺。指導者を失ったロシアはさらに混乱し、一部の地域がロシアを離れて独立するという事態にまでなった。


 この時、一部の政治家は大統領に集中していた権力を危険だと判断し、影の大統領を密かに設ける事にした。その影の大統領の執務室があるのが、例のホテルなのだ。


 三代目の影の大統領であるヨシフ・ルカショフは、厳しい目を部下のマゴメドフ情報局部長に向けた。

「どういう事だ? 必ず強化結晶を手に入れると言ったのは、お前だ」

 マゴメドフは深々と頭を下げて謝った。

「申し訳ございません。冒険者のナタレンコが任務に失敗したのです」


「そのナタレンコはどうした?」

「ケルベロスと戦い、返り討ちに遭ったようです」

 ルカショフが不快そうに顔を歪める。

「不甲斐ない。次の冒険者を日本に送れ」

「それが……ケルベロスは地元冒険者に倒されてしまいました」


「くっ、強化結晶はどうなった?」

「ケルベロスを倒した三橋という冒険者が所有している、と思われます」

「その三橋から強化結晶を買い取れ」

「拒否された場合は、どういたしますか?」

「手段を選ぶな」


「承知いたしました。それから召喚場所でございますが、アメリカの西海岸に土地を確保いたしました」

「そうか。アメリカ政府に気付かれるなよ」

「最大限の注意を払います」


 その後、マゴメドフは日本語が堪能なエージェントであるリャザノフとセリューニンを日本に派遣した。目的は強化結晶である。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 その数日後、渋紙市にある三橋師範の道場に二人の外国人が現れた。道場の入り口で会った三橋師範は、その外国人の用件を尋ねた。


「私たちは、三橋さんが手に入れた強化結晶を売ってもらいたいと思い、ここに来ました」

 三橋師範は強化結晶の事をグリムから聞いていたので、まさかロシア人ではないかと疑った。ただロシア人かと尋ねて素直に答えるとは思えない。


「お二人は、どこから来られたのです?」

「我々はアメリカ政府の者です。これが身分証になります」

 男の一人がアメリカの国務省の職員であるという身分証を見せた。三橋師範の目には本物のように見える。但し、三橋師範はアメリカ政府が発行する本物の身分証を見た事がないので、それらしく見えたというだけだ。


「アメリカは、なぜ強化結晶が必要なのかね?」

「邪卒用の武器を作るために、必要なのです」

 もっともらしい顔で説明しているが、どうも怪しいと三橋師範は感じていた。二人には格闘技や武道を訓練した者が持つ特有の動きや仕草が見えたのだ。


 グリムから強化結晶を召喚石と組み合わせると邪神を呼び寄せる装置が造れると聞いていたので、強化結晶を求める者が居たら注意するべきだと思った。


 この二人は怪しすぎた。

「しかし、分からんな」

「何が分からないのですか?」

「どうして、儂が強化結晶を持っていると思ったのだ?」


「三橋さんが、ケルベロスを倒したという報告を冒険者ギルド経由で聞いたからです」

 ケルベロスが強化結晶をドロップする事を知っていたようだ。そういう事なら、強化結晶など知らないと誤魔化す事は難しい。


「いくらで買うと言うのだ?」

「二千万円で、どうでしょう?」

 邪卒用の武器を作ると言っておきながら、二千万円は安すぎる。アメリカなら、その十倍は出すだろう。


「話にならん。帰ってくれ」

 それを聞いた男たちの一人が、一瞬だけ気に食わないという顔をする。三橋師範はそれを見逃さなかった。


「この事は世界のためにも、いい事なのです。世界平和のためと考え、売ってもらえませんか」

「そんなに欲しければ、オークションで手に入れればいい」

 三橋師範はオークションに出すと匂わせ、二人の外国人の反応を見た。


「チッ、この強欲ジジイが」

 ロシア語らしい言葉を小声で口にした。それを聞いた三橋師範は、身分詐称の怪しい人物たちだと結論した。


「おまえら、アメリカ人ではないな」

 ロシア語を口走った大男を、もう一人の男が睨む。その様子を見ていた三橋師範は、二人が工作員ではないかと疑う。但し、優秀とは言えないとも思った。


「初めから、力ずくで奪えば良かったんだ」

 正体を隠す気をなくした大男が、ロシア語で言った。

「馬鹿を言うな。こいつはA級冒険者なんだぞ」

「何かの間違いだ。こんな老いぼれに何ができる」

 そう言った男が三橋師範に殴り掛かった。その男は身長が二メートル近くある大男で、腕力には自信があるようだった。


 左のパンチが三橋師範の顔を目掛けて伸びる。それを頭を振って躱した三橋師範は、大男の脹脛ふくらはぎを狙ってカーフキックを繰り出した。


 それが命中すると大男が悲鳴のような叫び声を上げる。

「セリューニン!」

 相棒の悲鳴を聞いたもう一人の男が、名前を叫んだ。そして、隠していた拳銃を取り出して三橋師範に銃口を向ける。


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