33、モモ、目と耳を使う~五歳児だって戦う術はあるのです!~

「軍神様、今日はお疲れでしょう。廊下で侍女としてお付けした者達が待機しています。お部屋までご案内致しますので、今日はゆっくりとお休みください」


 おじさんは満足そうな顔で席から立ち上がると、桃子を扉の外に促す。まるで逃げ出さないように見張られているようだ。桃子は与えられるプレッシャーと、重さに耐えかねて、フォークをお皿に落としてしまった。その瞬間、大神官の眉が一瞬顰められる。


「マナーもお教えした方がよろしそうですな。……まぁ、今日はいいでしょう。明日からは失った知識を取り戻すために専属の者をお付けしますから、少し忙しくなりますよ」


「うん……?」


「では、また明日の朝食で」


「おやすみなさい?」


 桃子は首を傾げてよくわかっていない振りをすると、挨拶をして椅子から飛び降りた。内心はこのご飯の怨みは忘れないかんね! と固く決意していた。塩の塊を食べているのと変わらない食事はもはや荒行だ。今なら悟りも開けるかもしれない。……嘘です、言いすぎました。俗世の煩悩にまみれて生きてるよ。今一番の願いはバル様達との再会だもん。


 でもこのおじさんも神様に仕えているわりには、108では足りないくらい煩悩だらけな気がする。お姉さん達に給料も払わないで雑用させたり、子供を攫うように指示したり、これじゃあ悪者の親分だよね。叩けば埃が舞うほど出てきそう。


 扉の脇に控えていた若い神官さんから気の毒そうに見られた。優しそうな顔立ちの眼鏡の青年だ。視線を向けると、無言で扉を開いてくれる。


「ありがとー……」


 小さな声で伝えると、ぱっと視線を逸らされた。悪の親分のような大神官が支配する神殿でも良心的な人が居たことが嬉しかっただけなのに、なんでだろう? 修行の一種?


 桃子はわかっていなかった。幼子の無垢な瞳が、青年の罪悪感をバシバシ連打していたことを。そして、この些細な出来事が後に桃子を救うきっかけに繋がる。


 扉から出ると無言で待っていたお姉さん達が即座に踵を返す。桃子は再び忙しく足を動かしながら、そっと目を動かして周囲から情報を拾う努力をする。


 廊下では神官服を着た男女が行き来しているので、女人禁制の場所ではないようだ。祭壇のあった場所は天井が高くて、太い柱が何本も立っていた。その場所から出た時に階段を下ったので、あの祭壇があった部屋はたぶん一階ではないはず。禊をしてから食事をした場所は同じ階だから、今居るのは一階になるのかな? 


 こういう建物が何階にあるのかわからないけど、高層ビルほどの階数はないのだから、多くても五階くらいと考えて、場所によっては窓からとか逃げられるかも。そう考えていたら、お姉さん達が階段を上がっていく。 


 桃子は落ちないように慎重に階段を一段一段上がる。けれど歩幅の差がそこで出た。置いて行かれそうで、焦っていると一番後ろにいたお姉さんが気づいてくれた。


「……上りにくそうですね? 私がお運びしますわ」


 人目を気にしたのか丁寧な口調でそう言われて、だっこされる。でも目が笑っていなかったよぅ。もたもたするなって、また怒られるかも……。せめてこれ以上は怒らせないように大人しくしていると、踊り場に差し掛かり、折り返しでさらに上まで上がっていく。そして一番上の階までくると廊下を進んで白い扉の前で下ろされた。


「あー、もう重かった!」


「お疲れ様。明日も早いんだし、さっさと寝ましょ」


「そうね。アタシは明日休みだからゆっくりしてるけど」


「ってことは、この子の面倒私達が見なきゃいけないわけ!? ほんと面倒!」


「適当にやっとけばいいでしょ。雑用させられるよりはいいわよ」


「そういうこと。──ほら、ぼさっとしてないで、あんたは中に入りなさい。鍵をかけなきゃいけないんだから」


「……うん」


 桃子は背中をせっつかれて、ドアノブに飛びついてドアを開くと中に入る。すぐに扉が閉められて、鍵がかけられる音がした。足音が遠ざかっていく。試しにドアノブに飛びついて回すものの、やはり開かなかった。見張りを付けないかわりに、閉じ込められたようだ。


 窓から差し込む沈みがかった夕焼けを頼りに室内を見まわす。ベッドと机があるだけの部屋だ。この神殿は全体的に真っ白な構造なので、桃子の部屋も白一色で統一されている。けれど、鍵をかけられたこの部屋は、桃子にとっては牢屋と同じだ。


 桃子はまず、窓に近づいて外を眺めた。青いお城が遠くに微かに見える。神殿の位置は同じ街内にあるようだ。けれど、それが逆に引っかかった。


 だって朝に攫われたのに、桃子が目を覚ましたのは夕方になってからだ。人攫いに嗅がされた薬が効いていたのかもしれないけど、それにしても時間が経過し過ぎている。朧げな記憶を必死に思い出す。やっぱり、ずいぶんと移動した気がする。


「一度門の外に出た後に、別人の振りをして戻ったとしたら、時間がこれだけ過ぎていても不思議じゃないよね。バル様達は外を探してくれてるかも」


 今度は高さを確かめる。階段の上り具合と窓から斜め下の階の明かりを数えてみる。たぶん、三階でいいと思う。窓ガラスは頑張れば割れそうだ。


 今度は室内で使えそうな物を探す。机の引き出しを開くと、ペンとノートが出て来た。これで明日勉強するのかな? でも、自分のことさえ忘れた軍神に、一体何を教えるつもりなんだろ? ……はぅっ、考えたら怖くなってきちゃった。ダメダメ、考えない考えない。


 桃子は首をぶるぶる振ると、気を取り直してさらに室内の捜索を続ける。今の私は刑事(デカ)だ! 犯人の証拠一つ見逃さない! 犯人はどこだ。ここかぁ!? 気分を盛り上げて警察ごっこをしながら、ベットの下ものぞき込んでみたが、何もない。いや、少し埃っぽかった。掃除した人が手を抜いているよ、これ。


 ベッドは固く、シーツはやっぱりごわごわしている。この神殿、心が荒んでる人が多過ぎるよ。それとも、ここの掃除もあのお姉さん達がやったのかな? う、うーん、洗ってあるだけいいと思わなきゃね。そうだよ、埃まみれにならないだけラッキーだよ。

 

 桃子はぶるりと震えた。気温が下がってきたせいか、禊で水をかけられたせいか、寒くなってきた。髪もまだ湿っているから、風邪をひきそうだ。


 桃子はベッドからシーツを引っ張り下ろして身体に巻き付けてずるずると移動する。右側の扉を開くとトイレがあった。洗面所はトイレの手前に設備されているようだが、椅子を持ってこないと届かない。桃子は一度ベッドにシーツを戻すと、机の前から椅子を押していく。


 五歳児には大変だ。思ったよりも重くて、床にガタガタ足がひっかかったが、なんとか洗面所まで運び込めた。椅子によじ登ると洗面所の上につま先立ちして、上の戸棚を開く。手を伸ばしてごそごそ探ると柔らかなものに手が触れた。なんだろう?


 ひっぱり出してみれば、タオルが何枚も出て来た。桃子はその内数枚を出すと、椅子はそのままにして部屋に戻る。


 他に使えそうな物、使えそうな物。シーツだけじゃ心もとないなぁ。ベッドの上に敷かれていたシーツと上にかけるシーツを合わせれて、さらに洗面所から拝借したタオルを繋げば、二階までなら届くかもしれない。けれど五歳児の桃子では、自分の身体を長時間支えることは難しいだろう。


 でも、最後の手段はそれしかないかな。いざとなったら……うん! そう決めてしまえば後は様子見だ。桃子はベッドの下にタオルを隠す。汚れてしまうけど、掃除の手を抜いているのだから、ここなら見つからないだろう。


 逃げ出すにしてもタイミングが大事だもんね? 神殿から外に出てしまえばこっちのものだもん。後は街の人に助けを求めればいい。それまでに捕まりさえしなければいけるはず。


「……それにしても、寒いなぁ」


 桃子は寒さに耐えかねて、ベッドにかけられていたシーツもはぎ取って自分に巻きつけた。後はもう何も出来ることはなさそうだ。疲れちゃったし、お腹が空く前に寝ちゃえ。


 ここは潔く諦めると、ベッドにのそのそと上ってシーツの中に深く潜り込んで丸くなる。バル様の腕を想像してそっと息をつくと、閉じた瞼からぽろりと一滴涙が落ちた。


 小さくなった腕でごしごしと拭う。もう泣くまいと口をへの字にして我慢する。だって、それって負けてるみたいで嫌だ。どうせ泣くなら、バル様達ともう一回会えた時がいい。


 遠くから聞こえる誰かの声に耳をすませて、意識して呼吸を繰り返す。大丈夫、頑張れる。だってずっと一人で頑張って来たんだから、今度もきっと出来る。


 こうして、桃子のひとりぼっちの戦いが始まったのである。

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