第3話 お告げの時

「あの、アスカさん。少し散歩をするのはいいんですけど……本当に大丈夫なんですか?」


 ちーちゃんはぎゅっと両手で一輪の真白い百合の花を握りしめていた。

 時刻は十四時五十八分。歩行者用信号は赤。自動車用信号は青。車通りはかなり少なく、周囲にはほとんど人はいない。


「ああ。大丈夫だ。それより、俺は君に伝えたいことがあるんだ」


「つ、つつつ、伝えたいこと……!? た、確かにアスカさんのような落ち着きのある年上の男性はいいなぁなんて思ってたり……」


 俺の言葉にちーちゃんは慌てふためいていた。


「信号が青だ。行こう」


 俺はちーちゃんの手を取って足を踏み出した。俺の手のひらには絆創膏が貼られており、どこか違和感を感じる。

 神からの命令は十五時きっかりに二人で横断歩道へ向かうこと。俺は今日中にちーちゃんのことを轢き殺さなければならないので、あまり悠長にはしていられないのだが、命令とあれば仕方がない。


「ちーちゃん。本当にごめん」


「え、何がですか?」


 それほど長くはない横断歩道をゆっくりと歩きながら、俺はちーちゃんに謝罪の言葉を口にした。


「ちーちゃんの人生を壊したのは俺なんだ」


「はい? アスカさんは一体何を……」


「これから言うことをよく聞いてくれ。そして、俺のことを恨んでくれ。憎んでくれ。死んでもその憎悪を忘れないでくれ。わかったね?」


 横断歩道の中腹部で俺はちーちゃんの手を強く握り、その場に立ち止まった。

 これが最初で最後の俺の過去の過ちを告げる瞬間だ。

 十年間に及ぶ俺の殺しを知る人間は、ちーちゃんこそが相応しい。


「うーん。よくわからないけど、アスカさんがそういうなら!」


「うん。それでいい。じゃあ言うぞ」


 俺はちーちゃんの目をじっと見つめながら、覚悟を決めた。

 興奮と恐怖から高鳴る鼓動を必死に制御する。


「はい……何かドキドキしますな」


 ちーちゃんは顔赤らめながら、空いた手で自分の胸に手を当てていた。


「俺は……君のお姉さんを十年前にトラックで轢き殺した」


「……えっ……? 今、なんて……?」


 俺が震える全身を抑えながら、はっきりとした口調でそう告げると、ちーちゃんは素っ頓狂な声を上げて、口をぽっかりと開かせた。


「俺こそが十年前に君のお姉さんをトラックで轢き殺した犯人だ。本当に——」


「——君たち! 危ないッ!!」


 本当にすまないことをした。そう口にしようとした刹那。俺の体は宙に舞っていた。

 痛みがあるのに声が出ない。喉から出てくるのはドス黒い血反吐のみ。

 数メートル先には、ちーちゃんが横たえていたが、ちーちゃんはピクリとも動かない。


「……あ……ぁぁ……」


 俺は目の前にはらりと落ちてきた真っ赤な百合の花を見ながら、声にならない声を上げた。


「警察と救急車を呼べ! ナンバーと型式をすぐに伝えろ!」


 俺の視界は血と汗の涙で歪んでいた。

 あぁ……俺は死ぬのか? 不老不死じゃなかったのか……? ちーちゃんは……どうなるんだ?


「すみません! 全く捉えることができませんでした! 捉えるどころか、この道路は一方通行なのにトラックの姿が全く見えないんです!」


「何を馬鹿なことをッ——」


 俺は二人の男性が揉めている光景を眺めながら、ゆっくりと瞳を閉じた。

 次は……まともな人生になりますように……。

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