24話 接点


 放課後。今日は和乃は一緒に帰れなかった。彼女は数学の特別補習に出席すると言っていたからだ。たまに行われる特別補習は希望者が参加するもので、数学が苦手な和乃は積極的に参加をしているそうだ。

 一人になった類香は、今日は真っ直ぐに帰ろうとスタスタと廊下を歩いていた。最近、バイトにあまり行けていない。両親のことを知るのに必死で、精神が疲労しかけていたのだ。

 幸いにもシフトは自由に組めるところだが、そろそろバイトの方にももっと顔を出したいと思っていたところだ。帰って予定を確かめよう。

 悶々と考えている類香の肩を大きな手が叩いた。


「瀬名も帰るところ?」

「夏哉……」


 類香は振り返るや否や、じとっと夏哉を見る。


「なんだよその顔は」


 夏哉は類香の圧にも負けずにけらけらと笑っている。


「夏哉も今日はもう帰るんだ? 珍しくない?」

「そう? 今日は予備校もあるし」

「予備校行ってるの?」


 類香は「意外」と目を丸くした。


「来年は受験もあるし。俺だってちゃんと考えてますよ」

「それは失礼」


 類香は眉を下げて笑う夏哉に小さく頭を下げる。


「予備校は夜だから、まだ時間あるけど。早めに行って復習するよ」

「ふーん」


 類香は適当に相槌を打ちながら正面を向いた。


「……夏哉さ、和乃の噂のこと知ってたでしょ?」

「へ?」


 類香の質問に夏哉は首を傾げる。


「文化祭で、広まる前に噂を聞いたでしょ?」

「……瀬名は名探偵なのか?」

「茶化さないの」


 類香は夏哉を窘めるように見る。夏哉は類香の真剣な眼差しに気づき、自分も姿勢を正した。


「ああ、知ってた。っていうか、聞いた。あの元同級生、俺も見たことあったから」

「え? そうなの?」


 類香は驚いて思わず足を止める。


「うん。中学の時、あの人と俺は同じ塾に通ってたんだ」

「……そうなんだ」

「中学校は全然違うし、地元も離れてるけど。大きな駅にある塾だから色んな所から生徒が来てたんだよ」

「……へぇ。塾って、そうなんだ」

「俺が行ってたところはな。瀬名は塾とか行ってなかったの?」

「必要ある?」

「……はい、ごめんなさい」


 夏哉は自分には縁のないことだときょとんとしている類香を見て、参りました、と笑った。


「あの人、塾でも色々話しててさ……耳に入ってくるんだよな」

「和乃のこと?」

「そう。あの人はいじめの主犯格じゃなさそうだったけど、明らかに楽しんでる側の人間だった」

「……ひどいな」


 類香は足元を見てつぶやいた。コンクリートが冷たい色をしている。


「俺は学校も違うし、よく知らなかったんだけど、同じ学校の仲間と凄く盛り上がっててさ。嫌でも聞こえてくるわけ」

「塾ってそんなところなの?」

「いや、違うと思う」


 夏哉は自信がなさそうにそう言った。


「とにかく俺は、日比のことはなんとなく知ってたんだよ。中学の時に。それで、高校で同じクラスになって、ぼんやりそれを思い出した。最初は気づかなかった。日比、明るいし、元気だし、なんかほっとしたのを覚えてる。でもあの人が文化祭にいたから、ちょっと不安だったけど、見事に噂が広がっちまったな」

「……止められたかもしれないのに」

「……そうだな。悪かった」

「夏哉は悪くないけど……。悪いのは、その人だし」

「……ああ」


 少し落ち込んでいる様子の夏哉に類香は慰みの眼差しを向ける。


「私も、責めてるみたいだよね。噂を止めるのは大変なのに……ごめん、今更でしゃばって……」


 類香の反省に、夏哉は「気にするな」と笑ってくれた。


「しかし、瀬名も変わったな」

「何が?」


 類香は夏哉の顔を見上げた。なんだかニヤニヤしている気がして警戒する瞳で構えた。


「日比のこと、気になるんだろ?」

「……そりゃあ、そうだって、言ったじゃん」

「ははは。そうだったな。だけど、今は、なんかすごく心配してるのが分かるっていうか、うーん、そうだな……前よりも近い距離で見てるっていうか」

「……なにそれ」

「二人はすっかり仲良しなんだな」

「やめてよ。なんかからかわれてない?」


 類香は彼の言葉にほんのり耳を赤くした。


「そんなわけないって。本気で」

「……信じないよ」

「俺はまだ信頼なしかー」


 夏哉は明るく笑い飛ばした。


「がんばってください」


 類香は棒読みでそう言うと、ちらりと夏哉を見る。


(あんたも同じようなもんなんだけどな……)


 そして話題を元に戻す。


「でも夏哉、和乃の過去のことが広がって、どう思う? 大丈夫なのかな?」

「クラスの奴らは大丈夫だろ。すぐに飽きる。俺らの見てる日比とは違うしな。しつこく騒ぎ立てるやつもいないだろ」

「そう……だよね」


 類香は後夜祭で自分に起きたことを思いだした。あの時も皆は冷静だった。祭り好きとはいえ、分別はついている。

 彼らのことは信用したい。和乃の傷を抉るような真似はしないと。


「中学の時、俺は日比の話を聞いて、最初はどうでもよかったんだ。他人だったし、友達もいない遠い学校の出来事だったし。だけど……」


 夏哉の表情が一瞬の暗闇を帯びる。


「やっぱ、無視していいことじゃなかったよな」

「……夏哉?」


 類香はいつもと様子の違う夏哉に戸惑った表情をする。どうしてだろう。その目がすごく哀しく見えた。そんなに責任感を負うものではないはずだ。当時の夏哉も悪くはない。

 何故だか救いをあげたくなって、夏哉のセーターの端を類香はそっと握った。


「大丈夫? 夏哉」


 類香の声に夏哉はハッとして顔を上げる。再び類香を見たその瞳には光が戻っていた。


「悪い悪い。ちょっと哀愁に浸りすぎた。いや、塾って懐かしいな」

「……そう?」


 夏哉の笑う姿を見て、類香はセーターから手を離す。


「そういや、瀬名はどうして気が変わったんだ?」

「ん?」

「人と関わろうって、思えたんだろ?」

「……うん」


 類香は気まずそうに横目で夏哉を見る。和乃には過去を話せた。話しても大丈夫だと思えた。そして和乃は類香に勇気をくれた。分け隔てのない、屈託のない言葉と笑顔で。


 二人には責任を取ってもらう。


 類香の我がままで、ただの思いつきだった。期待などしていなかったが、本当はそこに望みを託していたのだろう。無意識に自分の本心を映し出していたに違いない。

 瀬名類香。本当の私を知ってもらう。

 そんな責任を彼らに押し付けようとしていたのだから。

 類香は夏哉の顔を見つめたまま黙った。その瞳に映るのは自分自身だ。それは一体誰なのか。


「夏哉、あの……」


 本当の私を見てほしい。もう二人には隠していたくはない。

 類香は恐る恐る口を開いた。夏哉は自分の真実に何を思うだろう。


「……瀬名、二駅分、歩こうか?」


 夏哉は優しくそう言って微笑んだ。二駅先は類香の最寄り駅だ。夏哉はその先の駅で乗り換える。類香は夏哉の提案に、こくりと頷いた。


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