第七話 マハルタへの道すがら

 ウィント王国の王都――マハルタに向かう憲兵と共に、クランハイト公爵の馬車でアルサの町を後にする。憲兵が乗っている馬車の荷台は金属製の牢屋になっており、そこには昨日捕らえた盗賊達が大人しく納まっていた。盗賊が一六人もいたため結構な大所帯になってしまったが仕方がない。罪人の移送に同行する事にクランハイト公爵が難色を示さなかったのもありがたい所だ。


 アルサの町から王都マハルタまでは馬の足で三日ほど。道路は整備されているので馬車の乗り心地は悪くないものの、途中は野営を余儀なくされる。王都方面は魔物の目撃例も少ないので比較的安全な旅と言えるが、何が起こるかわからないからこその護衛だ。タクトは周囲の気配に注意しながら、馬車の中を見渡した。


 流石は公爵と言った所か。かなり豪華な内装の馬車である。こんな馬車に乗るのは初めてだが、それでもその装飾が素晴しいものであるのは一目でわかった。そしてその持ち主であるクランハイト公爵に目を向ければ、その瞳はリンを捉えて離さない。よほど気に入ったのだろう。先ほどからどうにかリンとの距離を縮めようと必死になっている節が見受けられる。リンの方はそういう男の受け流し方を熟知しているので上手くなしているが、タクトからすれば面白くはない。自分が惚れている女性が、他の男に口説かれているのだから。


「そこでわたくしは言ってやったのです。貴族も平民も関係ない。命の価値は平等だと」


 今彼が語っていたのは要約すると「平民の子が病気になったが、その子の家は貧乏で医者にかかる金がなく、領主である公爵家に助けを求めてきたのでそれに応じてやった」というだけの話だ。それを長々と語れるのだから口の上手い男である。タクトはあまり貴族とは縁がなかったためあまり言い印象は持っていなかったが、平民の子を助けたと言うのは美談と言って差し支えない。それを前面に押し出してくる尊大さがなければ、間違いなく良い男であろう。


「そうなんですか。クランハイト公爵様はお優しいんですね?」

「公爵様などと堅苦しい。わたくしの事はどうかブラムスをお呼びください」


 リンが何度かわしてもめげない姿勢は賞賛に値するが、あまりしつこくしてリンの機嫌を損ねるのだけはやめて欲しい。そのストレスは後でタクトに回ってくるからだ。


 クランハイト公爵が何とかリンの機嫌を損ねないようにと祈っているうちに、一行は最初の野営地に到着した。食料や水、その他諸々はアルサの町から持ってきているので、ここで一働きする必要はない。長らく馬車に揺られて凝り固まった身体からだをほぐすように、タクトはグッと伸びをした。


「おい、タクト。飯の前にちょっと付き合え」


 リンからのお呼びだ。これは相当ストレスが溜まっているのだろう。笑顔の下に何とも言えない気配が混ざっている。


「いや、俺らも自分の飯の準備をしないと」

「それはクランハイト公爵のお付の人にもう頼んだから、心配しなくていい」


 完全に外堀を埋められた。これはもう逃れられそうにない。タクトは意を決して、リンの後に続くのだった。




 リンの踵落しが地面を陥没させる。辛うじてかわしたタクトは、そのままリンから距離を取った。


「ちょ、師匠。今のは食らったら死ぬやつ!」

「当たらなかったんだからいいだろ! ほら次行くぞ!」


 様々な加護を持っているというリンは、はっきり言ってべらぼうに強い。何故こんな人が一国に留まらず放浪生活をしているのか不思議なほどだ。どこかの国に所属してそれなりの職に就いていれば、その日暮らしの今の状態よりもずっといい生活が出来そうなものだが。


 リンの放つ打撃をギリギリの所で避けながら、反撃の隙を探す。が、もちろんそんなものは存在しない。そのうち打撃を捌ききれなくなり、強烈な一撃を腹に叩き込まれた。


「ぐっ!?」


 他人ひとよりも頑丈に出来ているタクトだが、リンの打撃の前には無力である。内臓まで響く打撃は、一撃でタクトを行動不能にした。


「どうした、タクト! そんなもんか!」


 リンから叱咤が飛ぶ。ここでイエスと答えれば、ますます怒りを買うのだからたまったものではない。タクトは笑う膝に鞭打って、何とか立ち上がった。


「よ~し、いいぞ! 私もそろそろ温まってきた! 次はもう一段階速度を上げるぞ!」


 「そんな無茶な!」と声をあげる前に、リンの掌底がタクトの顎を突き上げる。激しく脳を揺さぶられたタクトは、そのまま力なく仰向けに倒れた。


「タクト、いつも言ってるだろ! 仰向けに倒れるな! 倒れるにしても前のめりだ!」


 はっきりしない意識の中、何とか上体を起こす。立ち上がろうとして足に力を込めようとするが、膝は完全に笑ってしまい、立ち上がることが出来ない。ならばと両手を地面について、足を思い切り振り上げる。狙うのは、タクトを覗き込んでいるリンの側頭部。狙いは正確だった。しかし、あと一歩の所でリンの手に阻まれてしまう。


「おっと、何だ。やればできるじゃないか」


 今の一撃はリンも気に入ったようだ。リンに防御をさせることに成功したのはこれが初めて。未だ定まらない焦点でリンを見据え、何とか声を絞り出す。


「俺だっていつまでもやられてばっかりじゃない」

「……そういうのは、まともに一撃入れられるようになってから言うもんだ」


 全くもってリンの言う通りなのだが、今はこれが精一杯。タクトはそのまま意識を放り出し、暗闇へと落ちていくのだった。




 タクトが目を覚ましたのは小一時間ほど後の事。その頃には夕飯の準備が出来ており、リンはさっさと食事を開始していた。


「ようやく目を覚ましたか、軟弱者が」


 リンの隣ではクランハイト公爵も料理に舌鼓を打っている。タクトはまだ痛む腹と顎に手を当てながら、リンをじっと見詰めた。


「ん? 何だよ、その顔は」

「随分公爵との距離が近くないか?」

「あ? 護衛の依頼を受けてるんだから近くにいるのは当たり前だろ」

「さっきは持ち場を離れて俺のことをボコボコにしたくせに……」

「何か言ったか?」

「別に」


 クランハイト公爵のお付の人がタクトにも料理を出してくれる。どうやら今晩のメニューは具沢山のホワイトシチューのようだ。


 タクトはそれを受け取りスプーンで口に運ぶ。きっと良い素材を使っているのだろう。熱々のシチューはとても美味しかった。


「美味しいです」

「それは何より」


 お付の人は初老の男性だが、なかなかの料理の腕前である。これならば料理人としてもやって行けるのではないだろうか。


 美味い料理を前にしてリンの機嫌も直ったようだ。流石のクランハイト公爵も、食事の最中にまで女性を口説くような真似をしないようで、一心不乱に料理を食べている。それでもどこか気品を感じるのだから、流石は貴族と言った所か。


「そう言えば、肉食うのも久しぶりだな」


 誰かさんの酒代のせいで常に懐事情がひっ迫しているので、ここの所は野菜や豆ばかり食べていた。こうしてまともな肉にありつけたのは何ヶ月ぶりだろうか。


「そうなのか? せっかくだからどんどん食え。材料ならいくらでもあるからな」


 いつの間にか随分砕けた話し方になっているクランハイト公爵。彼からすれば、タクトは自分の子どもと言ってもいいくらいの歳である。敬語を使われる方が違和感があったので、これはこれで良い事にしよう。


 タクトは二度シチューをおかわりして、食事を終えた。腹いっぱい物を食べたのも久しぶりだ。


「おいタクト。満腹になったからって寝るんじゃないぞ? 見張りがあるんだからな」

「わかってるよ、師匠。仕事は仕事でちゃんとやるって」


 護衛の依頼を引き受けた以上はきちんとこなさなければならない。時間を決めて、交代で朝まで見張りだ。もちろん最初はタクトから。リンは既に寝る体勢に入っている。タクトはため息を漏らしてから、見張りについた。


 焚き火を絶やさないように薪をくべる。少し離れた所で憲兵も焚き火をしているのが見えた。あちらはあちらで盗賊が逃げ出さないよう監視しているのだろう。尤も、説得に応じている彼女等が逃げ出すなどある訳はないのだが。


 馬車上の牢屋の方を見ていると、頭の少女がこちらを見ているのに気が付いた。気になって近づいてみると、少女は嬉しそうに顔を綻ばせる。


「タクト、お前。師匠にのされたんだって?」

「……誰から聞いたんだ?」

「さっき憲兵の奴等が話してたよ。いや~見たかったな~」


 他人が痛めつけられている様を喜んで見るなど気が知れない。しかし、それが少女の本音かと言えばそうではないだろうとタクトは踏んでいる。彼女は彼女なりに信念を持って生きていた。決して誰かを痛めつけて喜ぶような人間ではない。手下の連中がどうだかはわからないが。


「そういや、あんたの名前を聞いてなかったな」

「あたしか? あたしはライジェル。元々名前はなかったんだけど、先代のお頭が付けてくれたんだ」


 聞けば彼女――ライジェルは捨て子で、親の顔も覚えていないという。生きるために盗みを働いたりしながら各地を転々としていた所を、盗賊団の先代の頭であるゲルドに拾われたのだそうだ。


「あたしにゃこの力以外何もなかったから、そりゃ嬉しかったぜ。ライジェル。あんまり女っぽくはないかも知れないけど、あたしは気に入ってるんだ」


 そう言ってニッと笑うライジェル。タクトはそんな彼女に自分を重ねていた。


「俺も師匠と出会わなかったら、そうなっていたのかな」


 両親を失った自分を拾い、名前を付け、ここまで育ててくれたリン。彼女の存在はタクトの中ではとても大きいのだ。


「お前はいい師匠を持ったよ、タクト。でなきゃ、あたしに勝つなんて不可能だっただろうからな」

「師匠と出会ってなかったら、俺はそもそも今ここにいないよ」


 赤ん坊の頃に両親を失っているのだから、タクトが今ここに存在できているのは完全にリンのおかげである。リン=フォーグナーと言う人物がいて初めて、タクト=ノーヴェンスをいう人物が成り立つのだ。


「いつかもっと強くなって、師匠の役に立ちたい」


 ポツリとそんな言葉がこぼれた。


「できるよ、お前なら」


 そんな小さな呟きをしっかり受け止めて、ライジェルは肯定してくれる。やはりこのまま死なせるには惜しい人物だと、改めて思った。

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