第28話

 食事が終わり、ルースは定期的な情報収集のために町に出て行った。船が着いたばかりの町はかなり混み合っているが、そのほうが人混みに紛れることができるし、情報も集まるようだ。

「その前に、部屋まで送るよ」

 ルースはそう言ってくれたが、サーラは首を振る。

「二階に戻るだけよ。心配しないで」

 そもそも高級な宿なので、ここには身元のしっかりとした人しかいない。大丈夫だと言って笑うと、ルースは少し心配そうだったが、サーラの意見を優先させてくれた。

「ルースも、気を付けて」

「……わかった」

 彼を送り出して、サーラはすぐに部屋に戻ろうとした。

 宿屋内にある食堂なので、階段を登るだけでいい。それなのに心配そうだったルースの姿に、思わず笑みがこぼれる。

(そんなに心配しなくても、大丈夫なのに)

 それでも、今までずっと両親にも婚約者にも放って置かれてきたサーラには、そんなルースの心配が少し嬉しい。大切にされているような気持ちになれる。

 軽い足取りで、二階の部屋に向かった。

 そんなとき。

「あ、あの……」

 部屋に入る寸前に、ひとりの女性が、思いきった様子でサーラに声をかけてきた。

「え?」

 思い詰めたような言葉に思わず振り返ると、その女性は息を切らせていた。食堂でサーラを見かけ、慌てて追いかけてきたのかもしれない。

 とっさに警戒したが、身なりのよい普通の女性である。年齢は、サーラの少し上くらいか。両手を胸の前で握りしめ、縋るような瞳でこちらを見つめている。

 周囲を見渡してみても、他に人はいない。彼女は完全にひとりのようだ。

「何か御用でしょうか?」

 それを確認してから、首を傾げてそう答える。

 泊っている部屋はもう目の前である。何かあっても逃げ込んで鍵を掛けてしまえば、きっと大丈夫だ。

 サーラの返答に、その女性は慌てて頭を下げた。

「と、突然申し訳ありません。あの、あなたのお連れの男性のことで、お尋ねしたいことがあって」

「え?」

 ルースのことだ。

 サーラは警戒を強めて、彼女を見つめる。

 茶色の長い髪は手入れが行き届いているようだが、簡単に頭を下げたところから考えても、貴族ではないのだろう。服装や雰囲気から察するに、裕福な商家の人間かもしれない。

「わたしの夫が何か?」

 夫婦という設定なのでそう言うと、彼女はひどく驚いたような顔をして、顔を上げた。

「夫……。ではあの方は、ルーフェス様ではないのですね」

「ルーフェス?」

 初めて聞いた名前だったので、サーラの驚きは自然なものだったのだろう。彼女は、慌てた様子で再び頭を下げた。

「申し訳ありません。私がお仕えしていた御方のお兄様に、とてもよく似ていらっしゃったので……」

(兄?)

 ルースには、たしかに妹がいたようだ。もしかしたら彼女は、本当にルースの妹に仕えていたのかもしれない。

「……」

 少し尋ねてみればいい。

 夫に似ている人がいるなんて不思議だ。どこの人ですか、と。

 彼女は躊躇いながらも、見知らぬ相手に声を掛けてしまった罪悪感から、少しは話してくれるかもしれない。

 でも、ルースがいないところで彼の過去を聞いてしまうなんて、絶対にしてはいけないことだ。

「人違いのようですね。他に用がなければ、失礼します」

「はい。申し訳ありませんでした」

 そう言って微笑むと、彼女は少し落ち込んだ様子でサーラに謝罪して、立ち去って行った。その後ろ姿を見送り、複雑な思いのまま、部屋に戻る。

 真っ暗な部屋に入り、灯りをつけずにそのまま寝台の上に座った。

 心がざわついて、落ち着けない。

(ルースは、本当はルーフェスという名なの?)

 聞いてはいけない話だと判断した。それが間違っているとは思わない。けれど、気になってしまう。

(わたしは……)

 ふと、光が射した。

「サーラ?」

 心配そうな声に、ルースが帰ってきたのだと気が付いた。随分と考え込んでいたらしい。廊下を照らす光が、寝台に座ったままのサーラのところまで届いている。

「どうした?」

 彼は暗いままの部屋に座り込んでいるサーラの姿を見て、案じるような顔をしている。

「体調が悪いのか?」

「いいえ。少し、考えごとをしていて」

 慌てて立ち上がり、テーブルの上のランプに火を灯す。

 明るい光が、部屋の中を照らし出した。

 ルースは扉をきっちりと閉めて鍵をかけた。外套を脱ぐと、そのままサーラの向かい側に座る。

「何があった?」

 ここに来るまで、あの女性とは、会わなかったのだろうか。

「……っ」

 そんなことを考えていたとき、不意に覗き込まれ、慌てて身体を離す。でもすぐに過剰な反応だったと気が付いて、視線をルースに向けた。

 彼は心配してくれただけだ。

「すまない。不躾だった」

 そんなサーラの様子に、ルースはそう謝罪して離れた。

「い、いえ。わたしが、悪いのです。ただ、少し驚いただけで」

「俺と別れたあと、何かあったのか?」

「……」

 言わないほうがいいのではないかと思っていた。きっと彼にとっては、つらい過去の話だ。

 でも、何もなかったと平気なふりをすることができなかった。ならば、変に隠さないほうが良いのではないか。

 それに、人のよさそうな女性だったが、何も知らないサーラには、彼女がルースにとって敵ではないとは言い切れない。

「部屋に戻る直前に、ひとりの女性に声をかけられました」

 しばらく躊躇ったあと、サーラはようやく口を開いた。

「女性?」

 サーラが声をかけられたと知って、ルースが警戒を強めている。でも彼女の目的は、自分ではなかったのだ。

「はい。彼女はわたしに言いました。一緒にいた人は、ルーフェスという名前ではないでしょうか、と」

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