第19話

 薬のお陰で熱も下がり、少しずつ体力も回復してきた。

 そうなると少し余裕が出てきて、サーラは寝台に横たわったまま、窓の隙間から港町の様子を見つめていた。

 見えるのは、賑やかな大通りの様子。

 買い物をする町の者や、港を利用する旅人。商人もいる。

 たくさんの人たちが、それぞれの人生を生きていた。

(わたしの人生は、これからどうなるのかしら……)

 ふと、自分自身のことを顧みる。

 公爵家の娘として生まれ、王太子の婚約者となった。それは、変わるはずのない未来だったはずだ。

 それなのに今のサーラは、家族も身分も何もかも捨てて、異国の地に旅立とうとしている。

 変わらない未来など、ないのかもしれない。

 今まで生きてきた世界を出て、初めて知ったことがたくさんある。

 たとえあのままカーティスと結婚して王太子妃、そして王妃になったとしても、大勢の人たちの日々の営みを、これほど間近で見つめることはなかった。

 王太子の交代によって、今頃王城は大騒ぎになっているだろう。貴族たちも騒然としているに違いない。

 でも町で暮らしている彼らには、そう大きな混乱は見られない。

 まだ即位していない王太子が交代しようと、彼にとってはそんなに騒ぐほどのことではないのかもしれない。

 そしてサーラもまた、孤児院を自分の意志で出たときから、一般人である。しかも数日後には、この国を出るつもりだ。

(誰が王太子になっても、もうわたしには関わり合いのないことだわ)

こうして町の様子を見ているうちに、そう思うことができるようになっていた。

(わたしはこれから、わたしの人生を生きていく)

 いままでの人生との決別。

 そして、これからひとりで生きる決意をあらたにする。

 ルースには迷惑を掛けてしまったが、この国を出る前に、こうして決意することができたのは、よかったのかもしれない。

 今日は船が到着したらしく、港町はいつも以上に混み合っているようだ。外に出ないほうがいいと判断したルースが、昼食を持ってきてくれた。

 昨日、サーラが同じ部屋にいてほしいと頼んだので、これからは食事も共にすることになった。行動食ではないきちんとした食事を、彼と一緒に食べるのは初めてだ。

 少し緊張しながら、向かい合わせに座る。

 メニューはパンとスープ、そして果物が少し。公爵家の食事と比べたら、かなりシンプルなものだ。

 それでもパンは焼き立てだったし、スープは新鮮な海鮮で作ったらしくて、とてもおいしかった。

 こうしてルースと一緒に食事をしてみて、気が付いたことがある。

 彼はおそらく上流階級の人間だ。

 しかも、裕福な市民や下位貴族クラスではない。間違いなく上位貴族だ。サーラが彼を知らないことを考えると、他国の貴族だと思われる。

 口調や見た目はいくらでも変えられるが、生活態度を変えることはなかなか難しい。彼にとっては取り繕うことを忘れるくらい、幼い頃から自然と身に付いたマナーなのだろう。

 ほとんど会話もなく食事が終わり、ルースは慣れた手つきで片づけを始める。サーラも慌てて手伝うが、彼は不器用なサーラよりもよほど手慣れていた。生まれはともかく、今の彼はこの生活に馴染んでいることを知る。

 この生活を始めてから、どれくらい経過しているのだろう。

 彼はどこの生まれで、どうしてあの孤児院で働いていたのか。

 ルースのことをもっと知りたいと思い始めている自分に気が付いて、サーラは慌ててその好奇心を押し込める。

 人の過去をそんなふうに詮索するなんて、いけないことだ。

 まして彼の過去には、妹を失ったという痛みが伴っている。興味本位で聞いていいことではない。

「どうした?」

 窓の外を見つめて、首を振ったり両手を握りしめたりしていた様子が、不審だったのかもしれない。

 急にルースに声を掛けられて、サーラはびくりと身体を震わせた。

「いえ、何でもないです。ただ、港町がこんなに賑やかだとは思わなくて」

 少し声が上擦ってしまう。

 不審に思われないか不安で、そっとルースを見上げたが、彼の視線は窓の外に向けられていた。

「船が到着したときは、いつも混雑するらしい。町には出ないほうがいいだろう」

「ええ。こうして眺めるだけで充分です。外に出るのは、少し怖いから」

 ただ、ここからだと港は見えても、海があまり見えないのが残念ではある。そう口にすると、ルースは同意するように頷いた。

「そうだな。俺は海のない国で生まれたから、今でも少し珍しく思う」

「海のない国……」

 この大陸で海に接していない国は、中央にあるソリーア帝国だけだ。

 サーラの婚約者だったカーティスの、母親の出身国である。

「もしかして、ソリーア帝国?」

 無意識にその名を口にしてしまったことに気が付いて、はっとする。

 つい先ほど、彼の過去を興味本位で聞いてはいけないと思ったばかりだというのに。

「ご、ごめんなさい……」 

「いや、謝る必要などない」

 急いで謝罪したサーラに、ルースは穏やかな声でそう言った。

「この大陸で海のない国は、ソリーア帝国だけだ」

 そう言われてみれば彼の黒髪は、この国ではとても珍しいが、帝国の貴族によく見られる色だ。

 ソリーア帝国を恐れて、国王は今までカーティスを廃嫡できずにいた。そのカーティスを何とか廃嫡するためにサーラは利用され、それから逃れようとここまで来たのだ。

 それを手助けしてくれているルースが、まさか帝国出身の上位貴族かもしれないなんて、皮肉なことかもしれない。

 でも、もしルースが帝国貴族だとしても、今のサーラには関わりのないこと。

 もう公爵令嬢でも、王太子の婚約者でもないのだから。

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