メェナ編
第29話 学校は退屈だった
学校に通うのは楽しみだった。
生活環境が変わるのは、新しい体験ができるという意味で気分が良いものだし、田舎から街へ行くともなれば、世界が開けたような感覚になる。
ただし、規則があるため、窮屈さと共に、退屈を感じるようにもなった。
無駄なことが嫌いだ、とは思わないし、自分はそれなりに忍耐強い方だと自覚しているけれど。
退屈なものは退屈だと、メェナは授業中に頬杖をついて外を見ていた。
まだ一ヶ月弱なので、この状況をどうすべきかは、考える必要もあるし、改善の余地はある。
有意義な時間を過ごしたいのは、誰だって同じだ。
……無駄だとは思わないが、戦術の授業など、復習にすらならないので、どうしたものか。
「あのう……」
「……へ?」
「メェナさん」
「ああ、はい、なんですかマーナさん」
「聞いてましたか?」
何のことだろうと、一瞬だけ考えて。
「ああはい、一応は」
「退屈ですか?」
「ええまあ、穴が多すぎてどこから突っ込めばいいのか、よくわからなくなったので、聞き流してました」
「穴が多い、ですか」
「はい。まあ基礎でしょうし、そのくらい甘い方がわかりやすくて良いんじゃない――のかと、そう思って」
「なるほど」
「邪魔なら出ていきますよ? ほかの子たちに悪いですし」
といっても、十二人くらいしかいないのだが。
「いえ、ちょうど良いのでお話をしましょう。まずこの配置ですが」
「配置の前に」
ほぼ無意識に、メェナは腕を組んだ。
「前提情報が足りなさ過ぎて、想定にまったく意味がないのをどうにかして――ください」
「たとえば」
「まずは地形情報と、敵勢力。それから一応、勝利条件も」
「そうですね……では、開けた場所だと設定しましょう。皆さんも考えてみてください。やや傾斜があり、敵側の近くには丘があり、明らかに走っても、その丘をこちらが占拠することはできません」
「もちろん、戦闘開始前に細工をすることもできないよね?」
「はい、そういう前提とします。敵勢力は二百、勝利条件は――押し返すこと」
「敵勢力の勝利条件は?」
「こちらの全滅です」
「へえ……?」
「ゆえに、こちらは五十人とします」
「ああ、つまり相手の全滅は現実的に不可能だって? そういうところが甘い……や、まあ基礎段階だから、仕方ないか。敵の誘導も視野に入れはいないの?」
「ええ」
「テーブルゲームじゃないんだから……ああそうか、政治的な解決もなし?」
「……そこまで考えるべきでしょうか」
「だってそれも手段でしょ。視野狭窄は最悪じゃない、現場の兵隊としての視野なら別だけど、戦術論は俯瞰が前提じゃない。楽なもんだね――ああ失礼、気にしないでください」
「はい。では、どうしますか?」
「まず十人を一つの部隊として、部隊数二十。指揮官は三部隊につき一人、総指揮官も合わせて七人」
メェナの言葉を聞いて、ボードにある駒を動かした。
「配置はどうしますか?」
「その設定に意味はないよ。丘を占領された時点で人数差から、防衛戦しか選択はもうない。一応聞くけど、スキルは?」
「――では、なしとしましょう」
「うん。じゃあまず、相手は遠距離からの攻撃を徹底するでしょうね。地の利はある、手持ちが尽きるまで矢なり岩なりを投擲しておけば、確実に人数が減らせる。防衛戦なんて言葉に騙されちゃ駄目だね――ごく当たり前の指揮官なら、撤退指示を出す」
「陣地構築もせずに、ですか?」
「それは無駄。ちょっとくらいの不利なら覆せる、なんて考えるなら、本当に机上の空論でしかなくなっちゃう。ちょっとでも行動しようものなら、戦意が低下して脱走を誘発、その後の展開は最悪だね。このくらい、戦術論を持たない貴族連中だって、即決するでしょ。場面は違えど、似たような選択を日常的にしてるんだから」
人間だって無料じゃないんだ、とは言わないでおいた。まだ学生にとって、そこまで知るには早いだろうし、知りたいなら誰かがきっと教えるだろう。
「つまり、こうなった時点で負け。抵抗するなら、周囲に森か何かあればそこに潜んで、ゲリラ戦をすること。丘というアドバンテージを、相手が放棄するかどうか、ちょっとでも迷わせる必要もあるけど」
「まあそうですね、この状況で戦闘をしようと考える人間は、指揮官失格でしょう」
「それも現場を知らない正解だけどね」
「そうでしょうか」
「難しいんだよ、その判断って。戦場では戦術論があるように、冷静でいなくちゃ行動できない。冷静じゃなきゃ先も読めない――けど、戦場は感情で動くから」
成果を出したい、結果を出さなくては、そう考えているやつは一番最初に死ぬ。
開始前は誰だっていろいろ考えるが――いざ、戦場が作られてしまえば、誰もが、死にたくないと行動する。相手を倒すのも殺すのも、自分が生き残るためであり、そこに殺意なんてものは、ほとんどない。
「では、戦略上ここに戦力を配置するのなら、どうしますか?」
「足の速い部隊を最低三つ。錬度が高ければ、一部隊で陽動を仕掛けて敵部隊の足止め、時間稼ぎ、その間に丘で勢力偽装および罠の配置――これで、本隊の合流まで誤魔化せれば、ぎりぎりの優位性は保たれたまま、開始できる。ただしこれ、結果とは別でね」
「結果とは?」
「今回の条件だと、防衛可能かどうかが結果。これはあくまでも、防衛を開始するための行動だから。実際にここまでやったとしても、補充部隊が来なければ終わりだろうし、勝率は二割あればいいんじゃない?」
「――そこまで低い理由は、なんですか?」
「おかしなことを聞くんだね? こっちができることを、――相手がやらないと思ってるなら、論議する必要すらなくなるんだけど」
マーナは苦笑いだった。
「一年間で教える内容になってしまいますねえ……」
「へ? そうなの? 戦術考察をするなら、当然の思考だけど」
「そうですね。はい皆さん、今回は一つのケースとして考えてください。この状況で、敵部隊は、足の速い部隊を、丘を占有するために派遣しないと思いますか?」
答えはノーだ。
主戦場がここになるとわかっているのなら、高台を取るのは戦略上、必須とも言える。
「人数差だけの話ではありませんが、こういうケースでは戦闘にすらなりません。来年からは、このケースを避けるためにどうすべきかを考察します。――ちなみにメェナさん」
「うん?」
「一人で相手ができますか?」
「ずっと避けてる、時間って言葉は使わないの?」
「――」
「どんな状況でも、いつだって問題になるのは時間でしょ。二百人規模を撤退させるだけなら、一人で三日は欲しい。ただそれは、進軍しない前提になるし、それをさせないための手配をいくつか、事前準備もいる」
「想定は?」
「全敵勢力が、自分の実力を上回っている」
即答した。
「さらに、こちらの考えは全部読まれている――当然でしょ、こっちは一人であっちは二百人。誰かが必ず、こちらの動きを想定してる」
その上で、打開する方法を探すしかない。
「慣れていますね」
「うん。味方と敵の配置だけを見て、三秒以内に撤退か勝負かの判断をくだす訓練をしてたから」
「三秒ですか、早いですね」
「――早い?」
軽く細められた目に、マーナは悪寒を感じた。
殺意ではない、威圧ではない。だが、それはどこかで見たことのある――。
「戦闘中、誰が三秒も待ってくれるの?」
「……そうでしたね、ありがとうございます」
そこから授業は、改めて再開した。
メェナも、それ以上は口を挟まず、ぼうっと窓の外を見ていた。
※
――ある貴族の屋敷でのことだ。
まだ深夜という時間帯ではないにせよ、夕食はとっくに終わり、彼はノックをすると、入れ、なんて短い言葉を合図に、中へ入った。
「父さん、お茶を持ってきたよ」
「ん、ああ……助かる」
相変わらず忙しそうな父親には、いつも尊敬の念を覚える。
いずれ、自分もこうなりたい――と、そう強く思うほどではないにせよ、そうなってもおかしくはない。
「お前が来るとは、珍しいな」
「うん、ちょっと父さんに聞きたいことがあって」
「なんだ」
「今日、戦術論の授業が初めてあったんだけど、まあちょっとした問題というか、おかしなことがあってさ。ええと……そうだ、まずは父さんに聞いてもらいたいんだ。細かい部分は後回しにするけど、一つの盤面を言うよ」
「いいだろう」
「敵は二百人、こっちは五十人。ほぼ平地だけど、中央付近に丘がある。ただ、どうやっても敵が丘を占領する方が早いんだ。父さんならどうやって防衛する?」
「不可能だ」
即決だった。
「その場面で撤退指示が出せないなら、指揮官不在の状況だけだ。むしろ、そんな局面を作ったやつが責任を負うべきだ」
「……」
「どうした?」
「いや、すごいな、本当だ。僕はこの問題を提示された瞬間から、気付かされるまでずっと、どうやって状況を維持しようか、どう攻めればいいのか、そんなことばっか考えてたよ」
「ん……ああ、まだ初回だろう? だったらそれも、当たり前のことだ」
「僕たちのクラスに、十一歳の子がいてさ、その子は断言したよ。仮に戦略を練り直すなら、最低でも足の速い部隊を三つ、丘の占領か敵の足止めに振り分けておいて、本隊が来るまでの時間稼ぎをするって」
「ほう……」
「でもさ、そこで僕はなるほどと納得したんだけど――結果は別だ、と言うんだよ、その子は。何故かって、それはあくまでも、防衛戦を開始できる条件であって、防衛した結果にはならない。おそらく勝率は二割を下回るだろうって」
「なるほどな」
「父さんも、納得する?」
「ああ、納得できる。現実が、だがそれでもやらなくてはならない、そんな状況を引き起こすことも含めてな」
「やらなくちゃならない、か……」
「それに――こっちがやることは、相手もやる。だから、それをできないようにするのが、戦術だ」
「もう一つ」
「ん?」
「父さんたち貴族は、こういった判断を日常的にやってるの?」
「――ああ、そうだな、面白いことを言うじゃないか。昔に言ったかもしれないが、金を回すのは商人の仕事。貴族の仕事は、人を回すことだ。しかし、全ての人間を満足させる決定など、世の中にはない。必ず、はずれが存在し、それをフォローする手段はあれど、それが効果的であるかどうか、できるかどうかは別問題だ。現実として、――貧民街はなくなっていない」
「うん」
「不公平は必ずある。あるが、それでも決断は必要だ。そして」
「いずれも」
彼は言う。
「時間が問題になる……だよね?」
「――そうだ」
「は、はは……」
なるほどと、口にした彼は、震えた手を額に当て、大きく深呼吸を一つした。
「ごめん父さん、じゃあ、もう一つ……というか、本題なんだけど」
「なんだ?」
「その結論をすでに、十一歳の子が出している――っていうことに対して、父さんは、どう判断する?」
「――」
「二百を相手に、事前準備は必要だけど、三日あれば一人で防衛できると口にした時は、さすがに冗談だと思ったよ。あるいは、そういう可能性もある……っていうくらいにね。でも、どうやら本当みたいだ」
彼は言う。
「恐ろしいよ、父さん。級友としてなら、僕は平気だ。けれど彼女は、もう学生じゃない」
「それがわかるか」
「きっと、父さんのおかげだろうね。気付いて良かったと、心底から思ったよ」
「……二年前、貴族が一新されたのは、覚えているか」
「え? ああ、聞いたよ」
「あれを引き起こしたのは、当時、十一歳の少女だ」
「……え?」
「おそらくその子は、血縁だろう。こちらには情報が回っている」
「……、……父さんたちは、どう対応するんだ?」
「貴族連合は、静観だ。手出しはしない、招きもしない、――そして、敵にならない」
「敵に……」
「お前は好きにしたらいい。その行動の責任は、まだ親である俺が背負ってやる。だがそれでも不安なら……そうだな、素直に行け」
「素直?」
「嘘も偽りもなく、全部話して、普通に対応したらいい。嫌なことは嫌だと言って、好ましいことは受け入れればいい」
「難しいことじゃない、けど、それでいいの?」
「ああいう連中が一番嫌うのは、嘘と偽りだ。企みや誤魔化しを見抜き、その裏を読み、それを切り捨てる」
「……いいように使われることを嫌う?」
「嫌うだけならいいが、力でねじ伏せられる場合もある」
「ああ、かつて貴族連合がそうだったように?」
「まあな。あれで、腐敗貴族と付き合っていた王宮の連中も根こそぎ捨てられたからな」
「そうだったんだ……」
「ま、良い機会だと思って、いろいろ盗んでみろ。おそらく行動、思考、結果まで、面白いものが見れるはずだ」
「そうだね、できる限りはやってみるよ。ありがとう父さん」
「ああ、良い休憩になった」
しかし。
二年前のあの少女たちだとて、まだ学生としている。
何も問題が起きなければ良いがと、男は一人、小さく吐息を落とした。
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