第26話 その人の名は、グレッグ・エレガット

 芋を引いた。

 斥候スカウトとして、各傭兵団に雇われ、臨時団員となるのを続けてきたが、そろそろ腰を据えようなんて考えている途中で、馴染みの情報屋から依頼を受けた。

 戦場への護送である。

 好き好んでまで行く場所じゃあるまいし、と笑ったものだが、引率だけなら構わないし、それなりの依頼料だったため、引き受けてみたら。


 相手は、電動式車椅子に座った、ご老体だった。


 やられた。

 まともに歩けない、それなりにきちんとした服装をしている老人を、まさか戦場へ案内するだなんて、わかっていれば最初から引き受けなかった。

 ――そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、彼は笑った。

「ははは」

 そして、手すりに肘を乗せ、頬杖をつきながら、封筒をこちらに押し付けた。

「お前はわかりやすいな」

「……これは?」

「前金だ」

「多すぎるだろ、この厚み」

「最初からその金額で提示すると、間抜けが勢ぞろいだ。適当な値段にしといて、現場で上乗せするのが賢いやり方だ。行くぞ若造」

「あ、お、おう」

 最初から、主導権を握られていたように思う。


 そこから数日間、行動を共にした。


「あんた、戦場へ何をしに行くんだ?」

「観光か何かと勘違いしてるんじゃないかって? いや、まさにその観光と同じだよ。お前は僕を、ただ連れて行けばいいだけで、理由なんて気にするな」

「興味がある」

「ふうん?」

 老人とは思えない言葉遣いに加えて、その態度が若く見えた。

 一日目の時点では、不思議な人、という感じだ。

「僕に与えられた命令は、二つだけだ。生きて帰れ、結果を出せ。それを言った上官はもういねえからな、あとは僕が好きにする」

「……言っていることはわかるが、どう繋がってるんだ?」

「お前、僕がまだ十年も生きると思えるか?」

 問われ、改めて見る。

 夜中に火を焚いてはいるが、しわの多い顔や、骨が見えそうな手を見れば、かなり高齢なのは、わかる。

「あんた、いくつだ?」

「八十四だ」

「……」

「死ぬために、戦場へ行くんだよ。若造、お前の仕事は、僕を僕の家族の元へ運ぶことだ」

「――は?」

「行くだけなら、いつだってできる。ただそこで終わると、家族が困るから、こういう機会をうかがってた」

 たった、一日だ。

 それでも、今の言葉に嘘がないことがわかる。

 案内なんて必要がない。むしろ、自分よりも彼の方がよっぽど的確に森の中を進んでいた。このキャンプ場所だとて、彼の指定だ。


 だから、よく話をした。


「事前準備が八割、こいつも昔はよく聞いた。こいつは戦場入りする前の話だ」

「状況を事前に調べろって話か?」

「いいや、それ以前だ。お前は、目の前に二択を迫られたことはあるか?」

「やれば死ぬ、だが、逃げれば助かる――みたいな状況か? 今のところはないが、一度戻るかどうか、悩むことはあるな」

「それが既に最悪の状況だって認識は、持っておいた方がいいぜ。右か左か、前か後か、そういう状況におちいるってのは、それ以前の選択が失敗だからだ。選択肢なんてのは、自分の行動で、だんだんと狭めていくものだからな」

「そりゃ……そうだが」

「たとえば、お前は狙撃はできないだろ」

「距離にもよるが、まあ、800を当てろって言われれば困るな。そういうのが苦手だから斥候スカウトをやってるんだ」

「それ、僕らの部隊で口にすると笑われるからな」

「何故だ?」

「じゃあお前は、相手を殺すために、気付かれず800の距離を近づいて、殺したあと、また800の距離を取ることが可能なのか?」

「そりゃ……」

「できねえなら、狙撃で当てろよ。日ごろから訓練して、当てるようになれ。これが事前準備だ」

 だから、それは。

「……狙撃ができないなら、800の距離をどうにかしろ」

「そういうことだ、賢いじゃないか。僕たちの言う、結果を出せってのは、そういうことなんだよ。右のヤツと同じことをしろってのは、無理な話だ。けど、同じ結果を出せって言われりゃ、できるもんだろ?」

 簡単に言ってくれるし、それが正しいとも思えるが。

 ――現実的じゃない、そう言いたくもなった。


 三日目、だいぶ戦場に近づいてきた。


「……そういえば」

「おう、どうした若造」

飛行型シーカーがいないな」

「ん? ああ、監視型の飛行物体な。こっちに投入されている自立型砲台と一緒に、かく乱してるから、そろそろ人間が出てくる頃合いだな」

 何を言っているのか、わからなかった。

「――、……は? なんだって?」

「電子機器に対して、もっとも有効的な攻撃方法は、命令系統に侵入して壊すことだ」

「いや無理だろ……そんな技術はねえ」

「お前らにはないだろうな? けど、持ってるやつはいる。すげえ悪循環なの、気付いてないだろ」

「悪循環?」

「お前らは、電子戦技術者を殺してる。何故か? 軍に対して協力してるからだ。世界がこんな感じになっちまったから、軍の力ってのは、大きければ大きいほど良い」

「まあ、軍に確保される前に殺せって仕事は、たまにあるな」

「疑問を抱かないだろ――たぶんそれ、元をたどれば軍からの仕事だぜ」

「――軍が?」

「そう、お前らフリーランスに確保される前に、殺しておけって話だ。そうすると? お前が言ったよう、電子戦が得意なやつがいなくなって、それを軍が確保する。電子戦技術だけの力量を見た場合、どんどん差が広がっていくのさ。で、対抗勢力がないから、あいつらは慢心して、成長しなくなる」

 そこまで読めば、どれだけ重要なのかはわかるだろと、彼は笑った。

 重要だとわかれば、狙撃の話と同じで、できるようになればいい。

 だが、それはあくまで、理屈の話でしかない。


 ほかの話も聞いた。


「あんたは、軍人だったのか?」

「僕か? そうだな、ある意味では軍属だったと言える。といっても、それこそ五十年は前の話だから、現状とはまた違うし、軍学校は出てるが、やってたことは傭兵とも違って、どちらかといえば狩人ハンターに近かったな」

「狩人に?」

「そう、僕たちは部隊だったが、群れなかった。仕事は常に一人、同僚も同じだよ。うちの上官がそういう人だったから、しょうがねえさ」

「どういう仕事をしてたんだ?」

「うちは何でもやったな。前線を押し戻せ、撤退支援をしろ、そういう軍からの命令もそうだし、幅広くやってた傭兵団を潰したこともある。ありゃ珍しく、僕らの部隊も人数が揃ったな。一緒にやれって命令じゃなく、現地で勝手に集まっただけなんだが」

「勝手に集まるって、どういうことだ?」

「事前準備の話だよ、若造。世界的にどこで何が行われているのか、そういう情報を常に拾ってなくちゃ、準備ができない。そういう現場に投入する想定が必要だからだ。けど、それをやってると、いつの間にか、状況が、事件が発生する前に、その匂いを感じてわかるようになる――現地にいて」

 彼は苦笑する。

「こりゃあと一ヶ月もすれば依頼が出るだろう、とわかる。だが、今頭を押さえておけば、労力は半分以下で済む。じゃあ、仕事になる前に片付けるか――ってな」

「そんなもんが、わかるのか?」

「状況把握なんて、俯瞰視点を持つところから始めるものだ。たとえば、そうだな、情報が同じだ。仕事を引き受ける時、どのくらい調査する……なんてのは野暮だな。僕の依頼を引き受けた限り、お前らはそれほど裏を疑わない」

「……一応、正規ルートの依頼だったはずだ」

「正規ルート」

 彼は笑おうとして、やめて、水を口の中に含んだ。

「それのどこに信頼がおけるんだよ。たとえば、僕がお前に拳銃を渡したとしよう。弾は減ってない、好きに使え」

「……? ありがたいな、と思うぜ」

「じゃあ、依頼人が同じことをしたとして、お前は受け取るか?」

「――いいや」

「だろうよ。仮に、弾装が少し軽くて、二発くらい使ってるような形跡があったら、間違いなく断るだろ」

「ああ、そいつは間違いねえ」

「お前がやったのは、それと同じことだよ。正規のルートなら、どこをどう辿って、元は誰が出したのか、わかるくらいじゃなきゃ正規とは言わないね。そのくらいは把握しとけ」

「あんたはそうやって生きてきたのか?」

「知らずにドジを踏む間抜けが、生き残れる世界じゃねえだろ」

 それが、戦場と呼ばれるものだ。


 そして、戦場へ到着する。


「ま、二時間くらいで済むだろうさ。相手はせいぜい、二百人規模だ」

 その言葉に対し、どう言えば良いのか迷った。

 よくよく、あとになって考えれば、きっと驚くのが正解だったのだろう。残念ながら、その時には、正常な判断ができなかった。

「お前の仕事を言っておくぞ、若造」

「お、おう」

「すぐにヘリが来るだろうが、僕の手配した運び屋だ、挨拶しとけ。で、落ち着いたら僕の屍体を回収しろ。どうせ無傷だ、楽なもんさ」

 そして彼は、ゆっくりと、車椅子から立ち上がった。

「さあ、死ぬには良い戦場だ。上官の命令も失効した、僕は戦って死ぬ」

 右手に、拳銃があり、それを腰の裏へ。

「シグ、P320……」

「ああ、知ってるのか。僕の屍体がまだ持ってたら、お前にやるよ」

「――あんた、名前は?」

「今から死ぬ人間に名を訊くな」

 その笑顔を最後に、老人とは思えぬ動きで移動を開始した。

 追いつこう、とも、追いつけるとも思えなかったからこそ、動けなかったのだろう。


 しばらくしたら、本当にヘリがきた。

 ロープで降りてきたのは軽装の女性で、彼は。

 ゼダは、目を丸くした。

「運び屋、シーテーア……」

「あの人は?」

「あ、ああ、すまない。彼は一人で行った。さっきから爆発音がひどい」

「そう。ゼダ・ジャスティン、私を知っているね?」

「もちろんだ。けどあんたは、軍属じゃなかったのか?」

「軍にも、所属はしてるけれど、だからって軍の命令だけ聞いているわけじゃない。あんたたち傭兵は、どうにも、人を立場で規定したがる」

「――そうだな、ああ、その通りだ。盲目的で頭が固い」

「あら」

「これも、あの人に気づかされたことだ」

「いいことね」

「何者なんだ、あの人は」

「今まで、軍部は彼の存在を知っていて、手出しができなかった。だから今回のことはお互いに納得済み――上層部でも、一部の人間は、二百からなる兵隊が全滅することも想定してるでしょうね」

「……? 軍としては、彼が死ぬことに、賛成だった?」

「殺せるなら、あらゆる手段を使ってもやりたかった相手よ。私も、あの人は――勝つと、そう信じて疑っていない」

 勝つ、という言葉をあえて選んだように聞こえた。

 本来ならば、生き残ると、そう言うべきだろうが、それがないことも知っている。


 いつの間にか、周囲から音が消えていた。

 彼女が一歩、足を踏み出して、止まる。

「……ごめん、回収をお願い」

「わかった」

 それが斥候スカウトの仕事だ。

 単独で戦場へ突入し、情報を集めて帰る――若造と言われても頷けるくらい、この仕事もまだ三年目だが、それが役目だ。

 発見は早かった。

 だって戦場に倒れている、五体満足な屍体なんて、彼しかいなかったから。

 躰を抱え、背負い、落ちていたP320を少し考えてから拾い、懐へ。


 ヘリに乗っている間、ずっと無言だった。

 特にゼダも話そうと思っていなかったので、それを見守り、到着したのは大き目の葬儀場で――そこに。

 十三人の男女が待っていた。

 知っている。

 運び屋も含め、この仕事をまだ三年目の若造であるゼダだとて、知らずにはいられないほどの大物ばかりが、そこに集まっていた。

 軍人も、傭兵も、いろいろな立場の人間だ。仲間であり敵であり――と思っていた相手たちが、一堂に会し、特に気にせず話している。

 だが、遺体が運ばれると同時に、黙り込んだ。


 自分の仕事は終わりだと、それを見送ったが、外でどうすべきか迷っていると、男が一人やってきた。

 ラフな服装だが、軍上層部。しかも千人単位の部下を動かす立場にある男だと、耳にしたこともあるほどの大物だ。

「ご苦労さん」

 そんな男に、軽く背中を叩かれた。

「吸うか?」

「あ、ああ」

 お互いに火を点けて、一息。

「俺らは、あの人の世話になったことがある――ただそれだけの繋がりだ。助かったぜ、俺らが手を貸すわけにはいかなかった」

「……何者なんだ、あの人は」

「そうだな、それを知らなかったから、あの人はお前を選んだんだろうな。――犬だよ」

 一瞬、何を言っているのか、わからなかった。

「なんだって?」

「犬と呼ばれた人たちの、最後の一人だ。グレッグ・エレガット――その凄さは、見たんだろ」

「ああ、そうか、……そうか。移動しながら話もしたよ、いろいろ勉強になった。単独で、あれだけの人数を無力化か」

「話半分にしとけよ。それを二倍にしたって、現役の彼らには届かない」

「変な言い方かもしれないが、わかる」

「はは、だろうよ。ま、いろいろやってみろ」

「――忘れられそうにねえし、忘れたくはねえよ。それと、俺も形見分けを貰っていいか?」

「ん?」

「こいつを、貰った」

 懐に入れた拳銃を見せれば、男は笑って、また背中を叩いた。

「おう、そいつはお前のもんだ」

「ありがとう」


 ――だから。

 ゼダは思い出す。

 違う世界で、違う場所で、違うけれど同じ型の拳銃を片手に、記憶の底へ潜りながら、一言一句を身に刻む。

 そして、その光景が見える。

 グレッグ・エレガットと呼ばれた男の、最期の背中が。


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