第18話 カナタとマヨイ2

 たまに、ふらりとやってくる二人に指示を受けながら、山での生活は二ヶ月を過ぎた。

 この生活を苦しいと思えないくらいには、慣れたというよりも、適応したと考えた方が良いだろう。

 好戦的な魔物、警戒心が強い魔物。

 場を荒らせば怒る魔物に、そもそも場を持たない魔物。

 見極めができれば、お互いの立場も理解できる。

 食料として、どんな魔物を狩るべきなのか。手出しをすべきではない魔物は何なのか――夜間か、昼間か、その差も理解できる。

 休み方も覚えた。

 警戒をすることと、寝ることと、休むことを区別すると、欠伸をかみ殺すくらいの気持ちよさで、充分に夜間警備ができてしまう。


 それなりに実力もついたのかと、そんな会話ができるようになった。

 だが、その日。

 もうすぐ昼という時間帯に、二人は訓練をやめて、ナイフを引き抜いて身構えた。


 ――大地が揺れる。


 何かが倒れる音が遠くで聞こえるが、何よりも、魔物たちの移動の気配がすさまじい。

 こちらへ向かってきているが、狙っているのではなく、むしろ、どこかから逃げてきている。

「な、なに?」

「わからんが、だいぶ慌ててるな……」

 見境がない。

 それもそうだ、逃げているのだから。

 見たことのない魔物もいた。おそらく高位の魔物なのだろう、水場のあたりで一度足を止めたのは虎とも猫とも見える大型の魔物で、こちらをじっと見た。

 マヨイが頷き、カナタは肩を竦めた。

 物好きな、みたいな顔をしたその魔物は、すぐ走り出して姿を消す。

「驚いたな」

「うん……ちゃんと意思疎通できる魔物って、初めてよね? 機会があれば、話してみたい」

「けどあの態度、ぼくら二人じゃまず敵わないぞ」

「そんな子が逃げるって……」

「うん、まあ、ぼくらも逃げた方が良いんだろうけどな」

 残念ながら、逃げ場がそもそも、ないのだ。


 空気が張り詰めている。

 いや、それどころか、空気さえも現場から逃げているように感じるほど、強い威圧感があった。

「どうする?」

「諦めよっか……」

「だよな」

 この場合は、逃げるのを諦め、戦う覚悟を決めたと、そういう意味合いだ。


 三十分ほどだったと思う。


 急に空気がもとに戻り、二人はお互いに顔を見合わせた。右手から左手へナイフを移動させ、吐息を一つ。

 調査に向かうべきか、それを考えて――いたら。


 ぼちゃんと、湖に何かが落ちる音に、腰を落とすより早く木を使って身を隠した。


「ん、ああ、警戒しなくて良いぞ」


 水面に浮かんだのは。


「教官殿!」

「うむ、私だとも」

「私もいるわよ」

 シルレアが、隠れていた方から姿を見せた。

「汚れたから、水浴びをしただけよ」

「何があったんですか、先生」

「ちょっと戦闘訓練……いや、訓練とは言えない遊びなんだけど、確認というか」

「あの程度で魔物が逃げるとは思わなかったし、山も二つほど向こうだったんだがな」

 やはり汚れは水で流すに限ると、笑いながら湖から上がってきたキーメルに、負傷は一切ない。

「教官殿、先ほど大きめの魔物に、逃げるよう促されたのですが」

「そうか。強い魔物ほど、そういう傾向になるから、覚えておくといい。敵対せんようにな」

「諒解であります」

「カナタは素直ねえ……」

「先生、わたしが素直じゃないみたいに聞こえます」

「素直じゃないでしょ?」

「むう……」

 ここ二ヶ月で、嫌というほど二人の強さは痛感した。軽い戦闘訓練をさせられたが、一度も手が届いたことはない。

 自分たちは成長した――そう思いたいが。

 どうなのかは、わからないままだ。

 焦るな、とは言われているけれど、疑問ではある。

「さて、もうそろそろ良いだろうと思ってな。貴様らにはこれから、山を下りてもらう」

「下山でありますか?」

「なんだ、不満かカナタ」

「いえ、いくつか問題は浮かびましたが、いずれも金銭が原因であります」

「よろしい。シルレア」

「はい、これが地図よ。山を下りてそう遠くない場所に、シロハの街があるから」

 改めて。

 ――彼らは、自分たちがいる場所を知った。

「――先生」

「なあに?」

「ここ、……ここって、魔境まきょういただき、ですよね?」

「そうよ」

 あっさり認められた。

 三国が隣接する、大きな山だ。ここには強い魔物が多く存在するため、決して通り越すことができないとされている。

 そして、過去、どの歴史を辿っても、成功した例はない。

「といっても、そんなに奥地じゃないでしょう? 人も入らないし、訓練をするには丁度良い場所かと思って」

「先生! 早く下山したいです!」

「そういうとこだけ素直なんだから……」

 先ほどすれ違った魔物も、想像よりもさらに上の強さかもしれない。

「なるほど、シロハの街は聞いたことのある田舎ですが、確かに近くでしたね……」

「うむ、私たちの実家がある田舎だとも。まあ下山そのものに不安はないが、街に行ったら、同じ家が二つ並んでいる場所を見つけろ。その左側の家に入り、名前を名乗れ。そこが私の実家だ」

「隣が私の実家よ」

「……貴様は欲しがりか、シルレア。どうして余計な情報を提示してまで、その小さな自尊心を見たそうとする?」

「なによ」

「まったく、なんだかんだ言って目立ちたがりの寂しがりやは、これだから困る」

「あ?」

「なんだ?」

 また始まったと、二人は顔を見合わせる。

「それで教官殿」

「どうした。代わりに貴様がやるか、カナタ。よろしい」

「いえやりません!」

「や、今すぐにですか?」

 すぐにマヨイが疑問を引き継ぐ。そうでないと、話がまったく進まないからだ。

「そうだな、それで構わんが、設営したベースはきちんと壊すように。魔物が嫌がるからな」

「わかりました。ちょっとカナタと作戦を練ってから、向かいます」

「ほう、慎重だな?」

「だって命は一個しかありませんから」

「結構だ。到着する頃には、私もそちらに向かおう。移動の間にやるべきことの指示は、ない。好きにしろ。そうないとは思うが、街につくまでは、人目に触れないようにな」

「はい」

「諒解であります、教官殿」

「ああそれと、山から下りたら術式の使用は控えろ」

 そう言って、二人は言い合いをしながら下山していった。


 しばらくして。


「……あれ? 二人について行けば、すぐ下山できたんじゃないの?」

「まあ、片付けが必要だからな……」

「どうする? 壊す?」

「荒らすのは好きじゃない、丸太はまとめておこう」

「そうね。でも」

「ああ、明日の早朝からだな」

 さすがに慣れた森でも、下山ともなれば、明るい時間帯が好ましい。朝と夜との境界も、その二時間前が一番危険であることも知っている。


 つまり、夜明け前の二時間。

 そして空が明るくなる前の二時間だ。


 夜行性の魔物が巣に帰る時間であり、夜に眠るために魔物が移動する時間。

 そこに遭遇すると、間違いなく、争いになる。


「じゃ、片付けの準備から始めとく」

「保存食以外は、今日で消化しておこう」

 少しだけ、名残惜しさもあったが、新しい生活があるとわかれば、そちらに適応すべきだ。

 二ヶ月。

 時間感覚はほとんどなかったが、それでも、それなりに長い時間だったはずで。

 思い返せば。

「よく生きられたなあ……」

「同感だな。最初の頃は怪我ばかりしていた」

「今だから言うけど、もう駄目だって思ったよ」

「はは、ぼくもだ。眩暈はするのに、意識を失いそうになると痛みで覚醒する」

「街へ行けるって時は?」

「裏を疑うくらいには嬉しかったね。――こんな生活は二度とごめんだ」

 その気持ちも確かで、名残惜しさと同居している。

「方角的には、陽が沈む方向だ」

「ん――そうなるね。日中は陽光を背にしておいて、昼頃になったら野営の準備」

「荷物を持ったままだと距離を稼げないから、簡易拠点を作れるよう、ちょっと材料は考えておかないとな」

「たぶん困るのは、昼にはまだ時間があるけど、竹林を見つけた時かな?」

 それは確かに困ると、カナタは腕を組む。

 耐久性は低いが、加工が簡単な竹は、ベースの設営にもっとも使いやすいとさえ言える。それを発見する時間帯が深ければ安堵、浅ければ選択を迫られる。

 ここから先に、また竹があるとは限らない。

「どのみち、コンパクトな、持ち運び可能な移動拠点を持てない時点で、あまりにも早い段階ならともかくも、安全性を買った方が良いだろうな。例外はありそうだが」

「移動時間に魔物との遭遇も考慮しないとね。周辺の監視をしながらの移動経験は、まだなかったし」

「離れて行動するのは避けよう」

「うん。――ああ、教官殿に以前聞いたんだけど、山を下りる時は落ちろって言ってた」

「逆らわずに歩け?」

「歩くんじゃなく落ちろ」

「無茶を言う人だ……」

 経路を常に計算して、加算される速度を制御し、立体把握を行いながら落ちるように――それこそ、斜面を転ばないよう走れと、そういうことだろう。

 さすがに真似をしようとは思わないが、移動速度の理由はわかる。

「魔境の頂で二ヶ月――笑い話よね?」

「まあな。たぶん、教官殿も比較的、安全な場所を選んでくれたんだろうな」

「そうであって欲しいね」

 いずれにせよ、それも終わりだ。

「街は、どうだ?」

「あーうん、まあ、先生たちが何を考えてるかは知らないけど、……楽しめそうもないなあ」

 楽しめそうではないが。

 楽しそうではある。

 新しい何かが始まるのだけは、心が躍るものだ。


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