第6話 キーメルの挨拶1

 裏の商売と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

 実際にはいろいろあるが、街の規模が大きくなればであり、それらを取り仕切る組織があるのは自然である。


 キーメルは、少なくともその取引現場を特定するのが得意だ。


 ぐるりと街を歩いて回れば、だいたいわかる。これは経験則であって、いくつかのポイントを押さえながら見ていれば、自然とわかることだ。


 ただし、現場に遭遇する可能性は低い。何故なら、そういう場所を選んでいるから。


 その日の取引も、いつも通りだった。


 木箱が一つ、地面に置かれたのでその上に封筒を投げる。立ち上がった時には封筒はなく、相手は無言のまま背を向けて去り、煙草一本分の時間は動かない。

 そして、吸い終えてからようやく、木箱を拾う――。


「なるほど?」


 警戒していたはずなのに、すぐそばで放たれた声に、ぎくりと彼は躰を震わせた。

 感知スキルを素通りしている――ならば、相手は第二戦神の可能性が高い。

「な、なんだてめぇは」

 いたのは、ガキだ。間違いなく、子供である――なのに、どうして。

 こんなにも、冷や汗が浮かぶんだ?

「ほう、貴様はなかなか見どころがあるな。私を見てガキだとわかりながらも、躰は警戒している。見た目ではなく中身を感じて侮りを消すのは、良い兆候だ。しかし、それをまだ自覚的に把握はしていないようだな」

 少女が一歩近づくだけで、躰が背後に向かおうとするのを抑える。抑えているつもりなのに、じりじりと足が地面をこすって下がっていた。

「よし、お前にしよう。悪いが付き合ってもらうぞ」

「なにを」


 ぽん、と手を当てただけで、視界が一変した。


 すでにキーメルは借りた宿に細工を仕掛けていた。空間転移ステップの術式は二つの指定した座標を移動するものであり、その構造に関しては複雑なので割愛するが、宿の一室に出入口を作っておいたのだ。

 そんなことをしなくても可能だが。

 作っておいた方が魔力の消費は少なくて済む。


「へ……?」

「さて、状況を教えてやろう。私は貴様らの組織にをしようと思ってな。これはその一手だ」

 一緒に転移した木箱を軽く蹴れば、それだけで封が解ける。

 中身は――。

「薬か」

 小袋には三つ入っており、その中の一つを取り出したキーメルは、ナイフで小さく割ると、口の中に放り入れた。

「ふむ、万能薬――とは言いすぎだが、浅く広くの効能だな。つまりは風邪薬か。正規ではないルートの取引となると、貧民街への卸しか? いや、仲介を通せば割高になると考えれば――なるほど? 善意の配布を、貴様らが代行しているのか」

「――」

「表向きな慈善活動ができない人種からの依頼だな。裏でお前たちがやれば、表の連中が文句を言う筋合いはない。しかし、代行業となると、この荷物がなくなるとそれなりの騒ぎになりそうだ。どうだ、期限は三日くらいか?」

「……それは、限度って意味か」

「そうだ」

「ああ、それくらいだろう」

「なら早めに片付けておいた方が良さそうだな。ここは宿の一室だが、貴様は外に出れないから気をつけろ。なあに、飯もあるし殺しもしない。お前の主人にも話をつけてやるから、死ぬこともないぞ」

「……目的は?」

「言っただろう、挨拶だ。正面口をノックしたら、理由もないのに逢えるわけがないと笑われたからな――では仕方がない、、そう思ってここにいる。だから、お前らの組織を潰すこともしないつもりだ」

「潰す?」

「できないと、そう思うか?」

 ――いや。

 たぶん、こいつならできると、なぜかそんな確信がある。

 あるがこの直感を、誰も理解できないだろう。

「ゆっくり休んでいろ」

 荷物を置いたまま、ふらりと扉から少女が出ていって六十秒後、ようやく一人になった男は大きな吐息を落とした。


「勘弁してくれ……」


 座り込んでしまうと、膝が笑ってしばらく立ち上がれそうにないのがわかる。

 ――とんでもない手合いだ。

 彼のボスと初めて出会った時よりも、よほど、絶望感がある。


 汗が引くまで、しばらく時間がかかった。

 部屋をすべて見回ったが、宿としてはシャワーもあるし、そこそこの値段だ。場所もだいたいわかるくらいには、この街のことはよく知っている。

 窓を開けても、手を伸ばそうとしたらはばまれた。やや弾力のある見えない壁のようなものが存在していた。


 そして、スキルが使えないことに気づいたのは、部屋の中に新しい人物が出現してからだ。

 二重の驚きで硬直してしまう――立て続けに四人、床に転がった。


 最後に、少女が到着する。

 彼がここに来てから、三十分後のことだ。


「ふむ、思ったより早く終わらせられそうだ。ともすれば今日中に貴様らは解放されるだろう、喜んでも構わんぞ」

 私も喜ばしい限りだと、少女は小さく笑った。

「よし、では全員、左手を床に置け。ああ疑問は抱くな」

「――従え。最初に捕まった俺が言うのもなんだが、死にたくはねえだろ。生きてボスの役に立て」

「良いことだな、それはとても良い。死んで片付けるのは間抜けのすることだ。よし、左手だぞ? 本来なら小指を切って落とすんだが、さすがにそこまではしない。こちらで複製しておこう」

 全員の指を見ながら、キーメルは組み立てアセンブリの術式でそれぞれの小指を作り上げる。設計図は持っているが、材料となる人肉は、さて、どう手に入れて保管していたかは、説明を避けるべきだろうか。

「どうして指を?」

「ふむ」

 指を六本、右手に持ったキーメルは、壁に背を預けて腕を組んだ。

「たとえ話をしてやろう。現状、貴様らはスキルを封じられ、結界が張ってあるので外に出られない。方法はいくつかあるが、貴様らには不可能だ。しかし、家探しをしたら、テーブルの上にある箱に、鍵が一つ入っていたとしたら?」

 そして。

「引き出しを開けたら、ナイフも一本入っている。――お前たちはきっと、ナイフを片手に外へ出るんだろうな。この指は、それと同じだ」

 言った彼女は、木箱の中にある薬を出し、指を中に入れて蓋を閉じた。

「この時に考えるべきは、脱出できるかどうか、ではない。閉じ込めた相手は、逃げ出そうとすることくらい見通した上で、鍵とナイフを置いていった、という現実だ」

「……てのひらの上ってことか」

「では、指が届けられて、どうする? 激昂して人数を揃えるか? 貴様らの主人が賢いことを祈りたいものだな。そして、お前ら自身はどうなんだ? どうせやることもないんだ、よくよく考えておけ」

 そうしてまた、彼女は部屋を出ていった。


 考えておけ?


 そこまで教えておいて、考えるもなにも――慎重にならざるを得ないじゃないか。

 主人は。

 ボスは。

 一体、どういう判断をするのだろうか。


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