第24話 暦注

 本当に腹黒いお方であることは間違いないな。泰久は良からぬことを企みながら、笑顔で暦注を作っている保憲を見てドン引きしてしまう。

 そんな泰久に、ちょっと遊び過ぎたかなと、保憲は真面目な顔になった。そして、どうして制限できると考えるかを教えることにする。ということで、今書いているものではなく、別の年の暦注を出した。

「泰久君。これを見てどう思う?」

 そしてその中身をゆっくり見てみろと訊ねた。

「これですか」

 暦注は自分の時代にもあるので、珍しくはない。それなのにどうしてと思いつつも、泰久は素直にそれを開いた。そして、その細かさにびっくりしてしまう。

「な、何ですか、これ」

「その様子だと、暦注は君の頃には簡略化されているようだな」

「ええ」

 正直、こんなにびっしりと何かが書いてあるとは思っていなかった。泰久の時代にも十分に参照されている暦注だが、さすがに毎日は書いてない。泰久はそのまま最後まで確認してしまったほどだ。

 何も書いていない日がない。しかも色々と事細かに書かれている。この事実は驚かされる。

「これは不便ですね」

「そう思うだろう。殿上人たちはこれを律儀に毎日守っているんだ。もはや制限というしかないよね。そもそも、暦注というのは指針であって、その日の行動の総てを決めるためのものじゃなかったんだ。儀式との兼ね合い、農作物の出来る時期、衣替えの時期なんてものを解りやすくするためのものだったんだよ」

「は、はい」

「それがいつしか吉凶も載せるようになり、物忌みはいつがいいか、方違かたたがえはどうするということが付随するようになった。そうなるともう増加の一途だよ」

 自分で考えるのが面倒だからさと、保憲は悪い笑みを浮かべる。

 それに対し、この人はいちいち楽しまなければ気が済まないのだろうかと、泰久は曖昧な表情をすることしか出来ない。

 保憲はそれにごほんと咳払いをすると

「ともかく、あまりに煩雑なので一度廃止が決まったほどだ。弘仁元年のことなんだけどね。しかし、殿上人たちがないと不安で仕方ないと陳情したことによって、すぐに復活している」

 実際にそうなんだよと説明を加えた。

「へえ」

 まさかこの時代にも廃止が検討されたことがあったのかと、それに驚く泰久だ。しかし、殿上人たちが暦注にしがみついてしまったとは、何とも言えない気分になる。

 そりゃあ、賀茂家に目を付けられるよね。

 陰陽寮を乗っ取る事が出来れば自分たちの地位を確立出来る。この突飛とも思える発想は、こういう事例の積み重ねから導かれたことなのだろう。

 そして呪術的なことを廃してしっかり学問として学び、さらに呪術的な部分は自分たちの持つ、裏稼業という力によって実現してしまう。すでに呪術や儀礼に傾きつつあった陰陽寮にとって、これほど助かる人材はいないだろう。実に上手く立ち回っていることが解った。

「でも、そうなると不思議なことって全くないんですかね」

 泰久はどうなんですかと保憲に確認してしまう。それに保憲は君が言うのかとくすっと笑うと

「考えることを放棄した時に、不思議というのは現われるんだよ。まあ、君が時を超えてやって来たという、本当の不思議を前にすると、詭弁だけでは切り抜けられないものは存在することは解るけどね」

 例外が目の前にいるからなあと悔しそうだった。

 そうだった。泰久が晴明や保憲に出会えたのはまさに不思議。そしてその不思議をもたらしたのは巻物だ。

「あの巻物に、何か不思議が宿っているんですかね」

 泰久はそれが見つかれば、陰陽師の術も裏があるものばかりにならないのではと期待してしまう。

「どうだろうね。君の執念の結果じゃないの。人間ほど不思議なものはないからね」

 しかし、その希望は泰久が不思議という結論に置き換えられてしまうのだった。



 暦注に関して勉強していたはずなのに、違うことを悟ってしまったな。泰久がそう思いつつ晴明の元に戻ると、こちらは忙しく計算している最中だった。山のような数字が羅列されていて、泰久はくらっとしてしまう。

 算術の苦手意識は随分と改善されたが、やはり膨大な数字を前には怯んでしまう。

「あっ、君。暇ならばこれを写してくれないか」

 と、晴明に声をかけ損ねていたら、この時代の陰陽博士から雑務を押しつけられてしまった。ここに出入りしているからには仕事が回ってくるのは当然だ。ただで教えるほど、陰陽寮は暇ではない。

「う、写すだけで大丈夫ですか」

「大丈夫。君、字が綺麗だからね。よろしく」

 陰陽博士は任せたよと背中を叩いて去って行く。

 ちなみにここに出入りするにあたり、晴明の遠縁という形で入っている泰久である。今の自分の失態は後の自分に返ってくることになると、真面目に業務に取り組むのも当然だった。

 安倍家の評判を落とすようなことは出来ないからね。

「ううん。でも、帰れるのかな」

 不思議が次々と否定されていく中、その例外である自分はどうなってしまうのだろう。その不安が尽きない泰久だった。

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