31 後輩は部室が涼しくなったので俺と肌を触れ合わせたいらしい
さて、美沙緒さんのテレフォンセッ●ス発言にビビりちらしたその日の午後。将棋部の部室に向かうと日下部先生がなにやら段ボール箱を開けてガチャガチャやっていた。何ごとだろうと思うと、なんと扇風機でなく冷風扇を買ってきてくれていた。扇風機以上エアコン以下のアレだ。テレビショッピングでときどき売られているアレだ。
「すごいじゃないですか日下部先生。どうしてそんなすごいものを」
「いやな、扇風機探しにホームセンター行ったら、激安で売られててな。こっちのほうが涼しかろうと思って買ってきた。よっしゃ」
初期設定を終了して、日下部先生はぽちりとボタンを押した。そよそよと冷たい風が流れてくる。快適だ。
「春野はどうしてる? ナンボか将棋覚えたか?」
「春野さんなら、俺より強いまであるっす。頭がいいんスね」
「そーかあー……あいつ一年生だと成績トップレベルだからな……その上美人だしスポーツも得意だし」
「美沙緒さんスポーツもできるんですか」
「そうだぞ? 知らなかったか。体力テストのシャトルランの成績、体育の飯島先生によるとクラスでいちばんだったそうだ」
シャトルランってあのひたすら走らねばならないしんどいやつか。美沙緒さん、完全無欠の高嶺の花じゃないの。
「まあ冷風扇も買ったことだし、夏休みもたっぷり部活するといいぞ。あ、でもその前に期末テストか。お前らも忙しいなあ」
そんなのんきに「お前らも忙しいなあ」というのはやめてほしい。テストがなければ忙しくないのである。
日下部先生が将棋部の部室を出ていくタイミングで美沙緒さんが現れた。
「おー春野! すごいもん買ったぞ、期待してくれ」
「はい!」
美沙緒さんはバンとドアを開けた。そして期待外れの顔をした。
「なぁんだ。モザイクキャンセラーじゃないんだ」
なんだモザイクキャンセラーて。美沙緒さんから聞くところによると、河原に落ちているエロ本で知った知識で、アダルトビデオを見るときにそれをテレビに接続すると、モザイクが消える……という魔法のような商品があるらしい。たしかに魔法だが、それを部室に期待する高校生ってなんなの。
「でもただの扇風機じゃなくて冷風扇だぜ。ぜんぜんマシだ」
「そうですかぁ……? これ祖母が使ってるのと同じですよ。エアコンの風に当たりたくないって言って」美沙緒さんは残念な顔をして、それからヘウレーカの顔になった。
「でも涼しくなったんでこれで先輩と肌を触れ合わせても暑くないですね! 端的にいって肌を触れ合わせたいですね!」
「触れ合わせないの! 少なくとも高校生の間はAまで!」
「えーだってジャス子先輩元彼とCまで行ったって言ってたじゃないですかあ~」
「おいーす」
将棋部の部室のドアが開いた。保健室の白河先生とジャス子先輩が徒党を組んで乱入してきたのである。
「な、なにごとですか」
「うわー冷風扇めっちゃ涼しい! 快なり! 快なり!」白河先生はそう言って仕事を始めた。
ジャス子先輩も、「涼しー! ベロア縫うのめちゃめちゃ暑くてさー」と言って作業を始めた。
「なるほど。将棋部の部室に冷風扇がついたと聞いて涼みにきたわけですか」
俺はため息をつく。美沙緒さんは難しい顔をして、
「将棋を指さない人冷風扇に当たるべからずですよっ」と強気に一言発した。
「そう固いこというない。風の量は人数増えても変わらんのだから」白河先生よ、そんなノリの職員がいていいんでしょうか。というか保健室で働いていないとまずいのでは。
しょうがないので盤に駒を広げて並べる。俺の先手で勝負が始まった。飛車先を伸ばす。美沙緒さんも同じく飛車先を伸ばしていて、このままでは角の頭が攻められてそこから突破されてしまう。うーんと、と考える。金を上がるのが妥当だが、それでは金銀逆形というものになってしまう。
「こんなの悩むとこじゃないよ。相手は角道を開けてないんだから銀上がってOK」
白河先生が仕事そっちのけで将棋の指導を始めた。というわけで銀を上がる。そのまま両者駒組みを進めて、がっちり囲った持久戦になった。
というか、ほぼほぼ白河先生が指し方を教えてくれた。横からみるとよく分かるのは、アベマの将棋中継と同じだ。
勝負は結局美沙緒さんが勝利した。その間、ジャス子先輩は涼みながら、毛足の長いモフモフの布をちくちく縫っていた。
「たとえばこの局面で、こういう手があってだな」
白河先生がいろいろと指導してくださるのは嬉しいのだが、俺が強くならねばならないということを言っていたひとが割り込んできてなにをしているのか。そう思っていると、見知らぬ女子生徒が将棋部のドアを開けて、
「白河せんせー。ゆっこがお腹痛いって言ってまーす」と、白河先生に声をかけた。
「ああすまんすまん。いまいく」白河先生は感想戦を放置して将棋部の部室を飛び出していった。白河先生を呼びに来た女子生徒は、
「うわ、冷風扇じゃん! 将棋部ずっこい!」と言って去っていった。
「……はあ。ようやくいなくなった。これで猥談ができる」と、美沙緒さん。
「あのさ美沙緒さん、ジャス子先輩もいるからね? 猥談はやめよう?」
「ジャス子先輩にはずっと筒抜け状態だったわけじゃないですか。いまさら上品な将棋部気取っても遅いですよ」
「そうだよ将棋部くん。それじゃ赤裸々ガールズトークのお時間です」
やめてほしい。二人は低用量ピルの話を始めた。
いやそんな話されても困るんですが。まだABCとかのほうが話についていけるんですが。
盛り上がりを見せる生々しい女の子の生態の話に耐えきれず、俺は、
「……飲み物買ってこようか。リクエストある?」と二人に訊ねた。
「イチゴ牛乳がいいです」
「ウチはレモンティー」
「了解」というわけで将棋部部室を出た。じめっと暑い。保健室の前を通りかかり、一瞬覗くと白河先生はやっぱりネット対局をしているらしい。この人、働く気はあるのだろうか。よく見ると裏返してある「不在です」のボードに、「将棋部にいます」と書いてある。
自販機でイチゴ牛乳とレモンティーと緑茶を買う。ため息をひとつついて、ポケットから梅仁丹を取り出しかりぽりする。それもこれも将棋部の隣が演劇部の作業部屋なせいだ……。
のろのろと将棋部部室に戻ると、何故かジャス子先輩の初体験の話に話題が切り替わっていた。二人の飲み物をおいて、俺はそっと将棋部部室を出た。ジャス子先輩は喋りながらも指先の針仕事を止めない。本当に裁縫が好きなのだと分かる。
そういうところは尊敬できるんだけど、どうしてこうも生々しい話をしたがるんだろうか。つらい。廊下に座り込んで緑茶をぐびぐびやる。はあ。栗ようかんが食べたい。
「……将棋部くん、だいじょぶ?」と、唐突にジャス子先輩が現れた。
「あ、いえ……女子同士話が盛り上がってたので、邪魔かなって」
「あははー。ぜんぜん邪魔じゃないよ。みーちゃん、将棋部くんが困ってるとこ見たいんだってさ。てか将棋部くんって呼んでるけど正式名称なんてーの?」
「木暮仙一といいます」
「わぁお。おじいちゃんみたいな名前」ひどい扱いだな、俺の名前……。俺が傷ついた顔をしていると、ジャス子先輩はにこりと笑って、
「じゃあ木暮くん。今週末映画観に行くっていってたじゃん? ウチと、弦楽部のちっちゃいのも一緒に行こう、ってみーちゃん言ってるんだけど、どう? 清く正しいグループ交際、ってやつだ。あるいはダブルデートともいう」
「別に構いませんけど……てゆかジャス子先輩、仲のいい元彼いるじゃないですか」
「よっしゃ。映画楽しみだなあ。もうしばらく行ってないからなー映画。まあ衣装ばっかし目について本筋入ってこないタイプなんだけどね、ウチ」元彼の件はスルーされた。
というわけで、土曜日はみんなで映画と相成った。ドキドキする。
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