17 後輩は俺を紐につないで河原まで散歩に出かけたら楽しそうだと思っているらしい
「いや俺女装しないよ?!」食い気味に答える。
「なんでですかー? ぜったい似合うと思うのに。それにいまウィッグとかすんごい安く買えるんですよ。女装するなら今です」
「だから女装しないってば!」またしても食い気味に答えると、美沙緒さんは残念そうな顔をした。いやそこ残念な顔するところじゃないと思う。
「でもわたし、先輩の言ってたユニクロとかしまむらとか行ってみたいんですよー」
「……それなら女装じゃなくて普通に服買う感じでよくない?」
「……あ」美沙緒さんはアホの顔をした。ため息が出る。というわけで、テスト明けの土曜、俺と美沙緒さんはまたしても時間指定のアナログ待ち合わせでユニクロにいた。
美沙緒さんは落ち着きなくキョロキョロしている。こういうお店にくるのは初めてらしい。
「九条寺くんは誘わなかったの?」
「うーん。なんか一緒に買い物行く感じじゃなくて。学校のなかだけの友達ですね」
「そっか。お、新しい柄のTシャツが出てるぞ」
Tシャツを棚から取り出す。人気のゲームとコラボしたものだ。ちょっと欲しいが予算が厳しいのでいったん保留する。
「先輩はこういうゲームもするんですか?」
「うん、ちらちらっとだけど……なんせ社畜共働き家庭だからさ、小さいころはゲームくらいしか相手してくれる人がいなくて」
「先輩も友達いないマンだったんですか」
「うーん。友達かあ……いないわけじゃないけど、友達が家に遊びに来ても子供だから夕方には家に帰っちゃうわけで、帰っちゃったらよくばりプレートチンしてハンバーグとパスタ食べて、あとはゲームか読書……まあいまは将棋の勉強とか学校の勉強とかするけど」
「よくばりプレート?」
「知らない? 冷凍食品で、パスタと、ハンバーグとか鶏肉のグリルとかがセットになってて、六分チンすればアツアツのパスタとおかずを食べられるやつ」
「世の中にはいろんなものがあるんですね」
とりあえずコラボTシャツを眺めるのもほどほどに、美沙緒さんのほしい服は? と訊ねると、美沙緒さんは困った顔をして、
「服ですかあ……いままで自分で選んだこと一回もないんですよ」
と、驚きのセリフを発した。なんでも小さいころから洋服はデパートの外商さんが売りに来て、それを見ておばあさんが決めていたそうで、そこには美沙緒さんの主体性というものは一切なく、やはり美沙緒さんの育った境遇には問題が多いのだなと俺は思った。
「自分で選ぶんだから着たいものを買えばいいんだよ」
「着たいもの。なるほど」美沙緒さんは棚の間をうろつきながら、服を探している。
「これ、どうでしょう」美沙緒さんは棚からかわいいワンピースを引っ張り出した。似合いそうだ。いいんじゃない、試着してみな、と声をかけると、美沙緒さんは、
「試着って本当にあるんですね、先輩も一緒の個室入りません?」
とわけの分からないリアクションをしてきた。同じ個室て。ユニクロをなんだと思っているのか。
美沙緒さんはかわいいワンピースを試着して、俺に見せてきた。
「おー似合う似合う。イイ感じじゃん」
「えへへ……これならお散歩にもピッタリですね。こういう服装で全裸の先輩を紐につないでちょっと河原まで散歩に出かけたら楽しそう」
いや俺は犬か。ていうか全裸て。あんまりにもあんまりである。
美沙緒さんはそのかわいいワンピースを買い、俺は最初に見つけたコラボTシャツを買った。経済力の差がすごい。
買い物を抱えてユニクロを出る。美沙緒さんは嬉しそうな顔だ。そのまま吉野家で牛丼を食べることにした。美沙緒さんは三十秒で出てきた牛丼に驚いている。
「美沙緒さん、テストの自己採点どうだった? 頭打ってたから心配してたんだよ」
「まあまあですねー。平均が92点くらい」
いやそれまあまあじゃない。すごい好成績だ。そう言うと美沙緒さんはよく分からない顔。
「その成績なら十番以内入れるんじゃないの?」
「無理ですよ。みんな頭いいですもん」なぜ美沙緒さんはインスタントに自分を否定してしまうのか。牛丼をモグモグしながら難しい顔になる。
「わたしバカですよ、もし頭がよかったらきっともっと幸せです」
「頭が悪くても幸せな人はいるよ。俺みたいに」
「先輩頭いいじゃないですか。将棋のこと、いろいろいっぱい教えてくれて」
「そう言ったってさ、今じゃ美沙緒さんのほうが最新の定跡とか最新の囲いとか覚えてバリバリのめたくそに強いんだからね? 俺じゃもう勝てないよ? 俺が教えられたのは『知識』にすぎない」
「知識ですか」美沙緒さんは小さな口でタマネギをもっくもっくと食べている。
「そう知識。詰将棋の玉側は最長手数で逃げるとか、符号の読み方とか、それくらいのことしか教えてないよ。本質的なところではなにも教えてない。美沙緒さんの棋力は、美沙緒さんが自分で努力して身につけたものだ」
「……そう、ですか」
美沙緒さんはちょっと顔を緩めた。でも表情はなんとなく、寂しげだった。
牛丼を食べ終えて代金を支払う。
結局のところ、美沙緒さんの孤独は美沙緒さんにしか分からないのだろう。
「そうだ。先輩に貸してもらった本読みました。女の子がバイクに乗るやつ」
「おー。面白かった?」
「面白かったです! わたしもバイクの免許欲しいなーって思いました。たぶん家族に反対されるんでしょうけど」
「大人になってから自分のお金でしれっと免許取っちゃえばいいのさ」
「無理ですよ。大学じゃそんな余裕ないでしょうし、大学を出たらすぐ結婚することになるだろうし……どこぞの御曹司と無理くりかつ適当に見合いで結婚させられて、子供を産める労働力として扱われて、そんな人生のどこにバイクの免許を取る余裕があるんですか」
「美沙緒さんは人生を悲観しすぎてるよ。お見合いなんて断っちゃえばいい」
「……無理、ですよ」
美沙緒さんは震えがちにそうつぶやく。
美沙緒さんは自分の人生を、諦めてしまっているのだ。諦めの境地で、美沙緒さんは孤独に生きている。親の思う通りに生きねばならないと、そう思っているのだ。
なんとかしたい。先輩として切に思う。
ある意味、美沙緒さんに貸したライトノベルのヒロイン以上に、美沙緒さんはないないの女の子なのかもしれない、と俺は思った。美沙緒さんは裕福なお家に育っているから、白いご飯に温めていないレトルトの丼の具をかける弁当、という食生活をしなくていいし、欲しいものは買ってもらえる。でもそれは、親の決めた「いい子」の枠の中、の話だ。
たぶん美沙緒さんの家族は、美沙緒さんがバイクに乗りたいなんて言ったらあれこれ手をつくして諦めさせようとするだろうし、そうされたら美沙緒さんも諦めるのだろう。
そんな悲しいことがあっていいのか。
「――あのさ美沙緒さん。美沙緒さんは、自分のやりたいことを、貫き通したことってある?」
「……ないですね。それ、自発的に始めて、ってことですよね。ピアノは大好きですけど、親がやらせたのが最初で、ハノンとか弾いてたころはなにこれつまんないって思ってました。やりたくて始めたことなんて、ほとんどないです」
「そっか。なにか、貫き通してみたら?」
「先輩の肛門をですか?」それは貫き通すものじゃない。いつものことでいい加減俺も慣れねばならないことだが、突然下ネタをぶっこむのはやめてほしい。心臓に悪い。
「やりたいこと、かあ……将棋は自分から始めたけど、きっと高校三年間だけでしょうし」
「うーん、難しいなあ。美沙緒さんはどうしてもやりたいことってないの?」
「どうしてもやりたいことですか。先輩を妄想の種にするくらいですかね……」
ううーんそれどうしてもやりたいことって言わねーんだよなー! 俺は美沙緒さんに、どんどん外に出ていってほしいんだよなー!
そんなことを考えてから、俺たちは適当なところで解散した。
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