2 「ずっと黙っててごめん。葵太、これが私の秘密なの」

 姫奈の家は、葵太が住むマンションから徒歩で10分程度の距離にある。古めかしい外観の、純和風な平屋の一軒家だ。


「お邪魔しまーす」

「どうぞー」


 葵太が言うと、横にいる姫奈が返す。


 小学生の頃はよく来ていたが、ちゃんと中に上がるのは数年ぶり。居間には御年90歳のヨネばあちゃんが、コタツに入ってウトウトとしていた。起こさないように声をかけず、奥へと進む。


 葵太としては随分久しぶりに上がったつもりだったが、ここまで古い家になると数年程度では変わらないようで、庭から流れ込む植木の青いニオイも、少し湿った空気もあの頃とまったく変わらなかった。


 廊下を歩いて行くと、ニオイが少し変わる。右を見ると、天井近くまである本棚に、大量の書籍が詰まった書庫さながら部屋があった。表紙からして古めかしい本が多く、中には古書店街に置いてそうな、著名作家のいかつい全集も並んでいる。この部屋も昔となんら変わっておらず、手入れは行き届いているものの、普段から利用されている感はなかった。


「どうぞ。入って」


 そして、一番奥の部屋に到着。畳の広い10畳程度の部屋に、絨毯がいくつか敷かれ、その上にベッドと勉強机がある。壁時計や本棚、小物などのチョイスは女の子らしいものの、和室ということもあってそこまで甘すぎない雰囲気。そこがなんだか逆にいい。うまく説明できないけど、ちょうどいい。


 うむ、小学生の頃と全然変わってない。小説しかない真横の部屋と違って、マンガがほとんどな本棚も含めて、なんというか姫奈の部屋だ。


「どうかした?」

「いや、なんでもない」


 姫奈に尋ねられ、葵太は首を振る。そして、丸いテーブルの横に腰掛けた。


「それでなんだけど、その条件とやらは何なんだ?」

「あ、早速聞くんだ」

「当たり前だろ。そのために来たんだし」

「ははは……まあそうだよね」


 葵太が切り出すと、姫奈は困ったように視線を逸らした。


「えーっと……ま、でも少し休憩しようよ! 学校から帰ってきたばかりだし!」

「え、休憩?」

「そうそう! きっと告白して疲れたでしょ? してもらった私もすっごい緊張したし! だからゆっくりしようってかさ!」

「そ、そうか……」


 まあでも、たしかに告白は、俺の人生で最大のイベント。高校入試よりもずっと緊張したし……。


 しかし、それから姫奈はなかなか条件を言わないままだった。雑談し、マンガを読み、ゲームをして……気づけばすっかり夜になってしまった。もしかして、今日はこのまま言わないつもりか……?


 葵太が心のなかでそう思っていると、


「さてと、もう遅い時間だね」


 姫奈が言う。いよいよ、条件とやらを話してくれる気になったのか……。


「葵太、ごはんとお風呂、どっち先にする?」

「えっ!? ごはんにお風呂っ!?」

「もう遅いし、泊まっていかないかなって。ほら、小学生の時もよく泊まってたでしょ?」

「そ、それはそうだけど……でも、それはまだ子供だった頃の話というかさ」

「でも、私たちもう、こ、恋人関係、でしょっ!?」

「そ、それは……」


 告白が成功したとは言え、姫奈の言う『条件』がなにかわからない以上、自分たちはまだ付き合っていないはず。


 だけども、顔のいい姫奈が間近でそんなことを言ってくると、拒否するのが難しいのも事実だった。


「……じゃ、お風呂で」


 そして、葵太はなし崩し的に宿泊することになった。お風呂に入り、ヨネばあちゃんと3人で食卓を囲む。姫奈は皿洗いなど一通りの家事を終えたあと、お風呂に入り、


「ただいま」

「お、お帰り」


 部屋に戻ってきた。自分の部屋なのに「ただいま」と言っているのは明らかにおかしいが、仲が近づいた気がして心の奥がくすぐったい。


 すっぴんなのか、姫奈はいつもより少し幼くなっていた。でもそれで美少女感が失われることは一切なく、色白の頬がりんごのように赤くなっていて、普段よりもあどけない印象だ。


「……葵太、そんなにじっと見ないで」

「ご、ごめん……じっと見るなってことはチラっとならいいってこと?」

「そんなわけないでしょー!」


 文言こそなじっているが、語尾が伸びて上がっていて、実際に怒っているわけではないことがわかった。


 化粧水や乳液を取り出すと、姫奈は顔周りに丹念に塗っていく。その他にもいいニオイのするヘアオイル? とかも塗っていて、雑談しながら正直、葵太は頭がクラクラしっぱなしだった。


(いよいよ、俺も◯貞を卒業するのか……痛くなければいいけどな。あ、でもゴムとかあるんだっけ? 姫奈が持ってそうにも思えないけど……買ってくるべきだったか?)


 しかし、期待とは裏腹に、エッチなことが起こる気配は皆無だった。その後、ふたりで黙々とマンガを読んでいたからだ。詳しく言うと『進撃の巨人』33巻。この間発売された最新刊だ。『進撃』は小学生の頃、葵太がオススメしてから姫奈も読んでいる。


 視力があまり良くない姫奈は、授業やマンガを読むときは赤い縁のメガネ姿をかける。清楚なビジュアルもあって、その姿はとても知的で、正直マンガよりも小説のほうが合いそうだ。


 やらしいことを期待してるなんて、とてもじゃないけど言い出せないな……そんなことを葵太は思ったり思ったりしつつ、各々マンガを読んでいるうちに、深夜の3時となった。


「ふわああ……もうそろそろかな」


 姫奈は、口を隠しながらあくびした。もうそろそろ寝る頃合い、と言いたいのだろうか。シバシバした目で見つめながら葵太は考えた。目がかすんで、もはや痛くすらなってきている。


「普段、こんな時間まで起きてるのか?」

「たまにね。夏休みとか冬休みとか、夜ふかししたい気分のときだけ」

「夜ふかししたい気分?」

「そう。なんか悪いことしてる感じで楽しいでしょ」

「夜ふかしくらいで悪いことって、姫奈は相変わらずいい子だな。そういうこと言うなら信号無視とかカンニングくらいしてから言えよ」

「信号無視とかカンニングのほうが子供っぽい気がするのは私だけかなあ……」

「でも意外だな。姫奈が夜ふかしって」


 葵太が言うと、暗がりのなかで姫奈が目をしばたたかせた。


「だって姫奈って、寝るのすごい好きじゃん。いや、好きってか命かけてるというか」


 そうなのだ。葵太が知る限り、姫奈は昔から寝ることが大好きな女の子だった。


 小学生の頃、こうやって泊まったときは率先して眠っていたし、中学の林間学校や修学旅行でも、他の女子が「男子の部屋に遊びに行こう」と誘ったのを断って、すぐに寝ていた。学校の休み時間もよく寝ているし、その結果、声をかけたくてもかけられない男子の姿も、寝顔で余計に恋に落ちた男子の姿も葵太はたくさん見てきた。葵太がLINEをするときも、22時以降だと翌朝まで既読がつかない。


「好きじゃないよ、寝るのなんか」


 しかし、そう語るは姫奈は拗ねたような口調だった。冗談で言っているのではなく、本気なのが葵太にも伝わってくる。一体、どういうことなんだろう。深く知っていたはずの中崎姫奈という人間が、一気にわからなくなる感覚だった。


「葵太、眠い?」

「いや、変に頭が冴えて眠くない。でも目はもう寝たいって言ってる」

「そっか」

「……」

「……」

「今度、映画見に行く?」

「……」

「あれ、姫奈もう寝た?」


 尋ねるも、返事はない。目を凝らすと彼女の瞳は閉じられており、かわいい寝息が聞こえた。布団が小さく上下している。


 幼馴染に告白したらまさかのOKで、でも条件があって、家に久しぶりに来たらその条件とやらをなかなか教えてもらえず、泊まることになり、深夜まで各々ストイックにマンガを読んで過ごして、なにもなく終わる。葵太の家にはない『東京喰種』を久々に読めたので意外と満足したものの、何が何だかわからない展開だ。


 そんなことを思っているうちに、葵太もいつの間にか眠りの世界へと落ちていって……。



   ◯◯◯



 ジリリリ!!!


 けたたましい、目覚まし時計の音とともに目を覚ました。あれ、目覚まし時計なんか使ってないのに俺……と思った葵太だが、見慣れない天井で、姫奈の家に泊まっていたことに気づく。


 どうやら、ヨネばあちゃんが使っている目覚まし時計らしい。体を起こすもどうすることもできず、音はたっぷり30秒ほど鳴って止まった。なんだか寒いと思ったら、自分用の掛け布団は隣の姫奈のところに移動していた。そうだこの子、意外と寝相悪かったんだ。


「……姫奈、起きてる?」


 隣の膨らみに声をかけた。掛け布団の端っこから後頭部が出ていて、こちらに艷やかな黒髪を向けている。


「うん、今起きた。今何時だろ?」

「待ってスマホ見る…6時半だな」

「土曜日は遅くしてって言ってるのに……ごめんね、うちのおばあちゃん耳が遠いからさ、あれくらい音大きくないと聞こえないの」


 謝りつつ、葵太に背を向けたまま姫奈は体を起こした。その結果、かぶっていた布団が体からずり落ちる。長い黒髪がパジャマにかかり、華奢な首元がちらりと見えて……あれ、なんだかパジャマが大きい気がする。本来あるはずの位置に肩がなくストンと下に落ちていて、というかそもそも体が小さいような……。


 いや、ようなじゃない。実際に縦も横も、何回りも小さくなっているではないか!


「ひ、姫奈……?」


 声をかけると、その女児はゆっくりと振り返った。年の程はおそらく10歳程度。姫奈が昨夜着ていた、大人用のパジャマに身を包んでぶかぶかになっている。


 瞳は大きく、鼻筋が通り、色は透き通るように白く、丸い輪郭はあどけないかわいさを有していて……誰が見ても美少女だと認める美少女だったが、おかしい。だってそこにいるべきは姫奈であってロリ美少女ではないからだ。


「あれ、夢見てるのか俺……」


 当然、葵太はそう思った。目をこすって、頬をつねるがしっかり痛い。


 と、そこでロリ美少女が這いつくばって近寄ってきた。あどけない顔立ちとは裏腹な、聡明さを感じさせる大きな瞳が葵太を捉える。


 結果、葵太は自然と言い放っていた。


「姫奈……なのか、もしかして…」


 すると、目の前にいるロリ美少女は、切なげにうなずいた。


「ずっと黙っててごめん。葵太、これが私の秘密なの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る