巡り逢えたその先で。

前世の記憶。

『まもなく、終点、新宿です』

 車内アナウンスに目を覚ました。

 窓の外を見ると、もう暗くなっている。この時間になると、蒼い星が出てきそうに思ってしまう。実際はあり得ないのに。

 あたしは電車を降りて、改札を通った。新宿駅周辺は、仕事帰りのサラリーマンで溢れている。

 改めて思うことがあって、この世界の大人たちは心に余裕がないなあ、と。

 いつも家と会社を行き来していて、趣味を楽しんだりできる人は本当にごくわずか。社会全体が残業しないと悪だとか言い出す。というか時間内に仕事終わらせる人の方がかっこよくない?? 

 まあ、そういうあたしももう大人なんだけど。明日で二十歳だ。あたしは心に余裕のある大人になりたい……。

 文京区内の某大学に通うあたしは、世間一般的に見れば「エリート」という類に入るのだろう。でも、あたしは自分に満足できない。もっと上を目指すために、行きたいのだ。

 そう、異世界へ。

 異世界転生?? そんなラノベみたいなことあるわけない! って皆言うだろう。ごもっともだ。

 異世界なんて行ける訳がない。だからあたしは、仲間たちとやることがある。

 あたしはビルの中に入る。ビルは四十階まであって、エレベーターの時間がとても長い。

 エレベーターから見る新宿の夜景はとても美しかった。あの一つ一つの窓の向こうには必ず人が居る。そう考えると心がときめいた。

 エレベーターを降りたあたしは、入場カードを取り出す。最上階は大手企業も入っているから、名前と入場カードを警備員に示さなくてはならない。

南出なんで水愛あくあです!」

 水に愛と書いてあくあと読む。周りからはキラキラネームだ、可哀想と言われてきたけど、あたし自信はめっちゃ気に入ってる。

 前世の想い人に付けてもらったこの名前の美しさは、とても広大で、その人の心を表しているようだった。

「南出様、どうぞ」

 警備員さんも、あたしのことをよく知っている。ほぼ毎日通っているからね。

 あたしはオフィスに入る。「エステラ・ディオース」の会社名をしっかり見

 て。

「水愛!! 待ってたよ!!」

 今日もゴスロリが良く似合ってる襟本えりもと阿奈あな。また原宿に行ってきたのか、彼女の目の前には原宿のロリータファッションショップの袋が置いてある。 

「遅いな……これで遅刻何回目だ? 某ダメ従者みたいだぞ?」

 と、その隣でショートヘアを梳かしている花山玲。今日も一日中阿奈の買い物に付き合っていたのか、少し疲れた様子だ。 

「まあ、取り敢えず始めようよ!!」

 元気な声が響いたかと思うと、暗地あんじ絵麗奈がパソコンを立ち上げて、退屈そうに脚をぶらぶらさせていた。

「ええ、そうね」

 あたしは鞄から書類とパソコンを取り出して、席に着いた。

「今度出す雑誌、『エステラ・アーダ』についてなんだけど。取り敢えず担当決めようか。取り敢えずデザインはあたし、文章は玲、イラストは阿奈、編集は絵麗奈……って感じで回そうと思うんだけど、いい?」

「良いよ!」

 皆からの了承を得、あたしはノートパソコンにメモする。

 あたしたちは中学の時に出逢った。中高一貫だったから、高校卒業まで「異世界研究会」と名乗って同人誌を書いたりしていた。卒業後は、あたしは大学、玲と阿奈は専門学校、絵麗奈は就職してバラバラになってけれど、「エステラ・ディオース」という会社を立ち上げて、自分たちが見た異世界について発信を進めている。

 最近は実際に異世界が複数、科学的にあることが認められていて、研究も盛んになっている。

 エステラ・ディオースの雑誌、書籍は、その鮮明なイラストや詳しい文章、興味を引くデザイン、読みやすい編集で定評を受けている。

「今回は東洋について特集しようと思ってるんだけど……」

「じゃあ、ヂャンジェゾンブーのこんなところを書いたら?」

「桜小路、月小路の都の呪文について説明しても面白いかもね」

 皆である程度纏めたら、作業開始だ。

 エステラは、今の科学技術ではいけない。もうあたしたちは魔法も使えないから、魔法陣の中を潜り抜けて行くというのも不可能だ。

 だから頼れるのは自分の想像力と記憶力のみ。あたしはひたすらにデザインを考える。ここにイラストが来るから……あと、フォントはどうしよう……。

 大変なことも色々あるけれど、あたしはこのデザイナーという一つの仕事を誇りに思っている。自分の記憶を表すというのは、快感に溢れた、楽しく爽快な行為。その記憶を表現したものはあたしたちにとってとても大切で、かけがえのないものだ。

 窓の外には、僅かだけれど星が輝いていた。

 存在感のある星しか輝けない新宿だけれど、必死に輝こうとしている星がいると思うと、星々の従者が恋しくなった。蒼い星も、もう一度見たい。

 レウェリエ——。そっちは今、どうですか。ムルシエラゴと、仲良くできましたか? 今日も星は輝いていますか? あたしのことは、忘れていませんか? 

 切ない夜。決して広いとは言えないわが社のオフィスに響くタッピング音。外には感情を無くしたかのように黙々と歩く大人たち。

 夢のない世界だなあ——。

「水愛」

 後ろから阿奈に声をかけられた。目頭が熱くなったので、堪えるかの様にあたしは目をぎゅっと瞑った。

「何?」

「誕生日……おめでとう。皆もう上がっちゃったから……」

 時計は零時を回っていた。オフィスにはあたしと阿奈しかいない。この孤独な空間で祝われた誕生日。……夢のない大人に、なっちゃったかな。

 まあいいわ。夢がなくても、人生は楽しめる。だから今日もあたしはデザイナーとして、仕事をし続けるんだ。

「ありがとう……」

 ぽつり、とお礼を言う。もう、誕生日が喜べない年になるのか。無情な時の流れに微笑する。

「じゃ、お先に」

 オフィスを出ていく阿奈を見送り、あたしはノートパソコンにまた向き直った。画面には、あたしが計画している特集ページについて書かれている。フォントがどうとか、配置がどうとか。今回も売れればいいな……。

 仕事が楽しくて、自ら残業してしまうあたし。時間内の仕事配分がちゃんとできない、ただのお馬鹿さんなんだけど、しょうがない。だって本当に好きなのだから。嫌々やっているのではなく、楽しいから。幸せだなあ……。

 でも今日はここらへんにして帰ろう。

「よし」

 あたしは呟いて、ノートパソコンを閉じた。

 オフィスを出て、エレベーターを降り、外に出る。夜でも明るい新宿の街は、星明りでとても明るいマウカを彷彿とさせ、じんわりと涙が浮かんできた。

 帰りたい。そうとは思うけど、これは運命さだめだ。この理不尽な世界で生き抜くこと。それがあたしに与えられた最大の宿命。前世の宿命は、「海を護る」ことだった。エステラの海は今、穏やかに輝けているだろうか。だとしたら、こんなに嬉しいことはない。

「エステラ・ディオース……」

 そっと、あの呪文を呟く、その瞬間、夜空に浮かぶ星の数が増えたような気がした。

 愛情、友情を上回るもので結ばれたレウェリエ。彼女こそ、今ごろ星々を見つめて、もう使えないこの呪文を唱えていることだろう。もう魔法は使えないあたし、そしてレウェリエ。また、魔法を救いたい。海を護りたい。

 あの星の降る夜に、あたしのこの宿命は剥がされてしまった。それで楽になる者もいれば、あたしの様に辛くなる者もいる。

 誰かが、この宿命を受け継いでくれただろうか……。

 涙が零れそうになり、あたしは手で目を抑えた。

 そうだ。あたしはエステラの永遠の王だ。民に涙なんて絶対に見せられる訳ない。強く、美しく、凛々しくいなくてはならないんだ。

 ——でも。

「……っ」

 民よ、今日だけは、泣くことを許して……。これも運命。逆らえない。でも、愛していた世界を、海を護るという使命を剥奪された悲しみ、苦しみはいつまで経っても癒えないのだった。

 誰もあたしのことを気に留めず、ただ通り過ぎていく。今はその冷たさが心地よかった。誰にも触れられたくない。

 急いで、人混みの中を駆け抜ける。そして、あたしが住むマンションに駆け込んだ。もう夜中だからエントランスにも、エレベーターにも誰もいない。たまには、孤独が心地よいと感じることもあるんだな。

 ——決めた。

 あたしは、この世界を救う「ザルバドル」になる。この世界で生き抜く勇者たちを支える救世主だ。雑誌に描かれた、あたしたちの大切なエステラで、勇者たちの心を癒す……。

 本当の宿命はこれだったのだ……!! 

「ただいま!」

 ドアを開けて、中に向かって叫ぶ。リビングには、スマホをいじっている、同棲

 しているあたしの彼氏……路間ろま歩玖ほくが座っていた。眠そうな目を擦って。風呂上がりなのか、モカ色の濡れ髪が、光を反射している。

「寝てればいいのに。あたし基本毎日遅いから……」

 あたしがやれやれと鞄を床に置き、スーツのジャケットを脱いだ。後ろで束ねた髪もほどく。そうすると一気に開放感が湧いてくる様だった。

「水愛が仕事頑張ってるのに、眠れる訳ないだろ」

 珈琲を口にする歩玖の目の下には、クマができていた。それはそうだろう。毎日、帰りの遅いあたしを待っていてくれているのだから。

「ありがとう。ところでさ歩玖、あれは書いた?」

「ん? 勿論」

 歩玖はクリアファイルから、一枚の書類を取り出す。路間歩玖、南出水愛の二人の名前、生年月日や住所など個人情報が諸々書かれている。書類の左上には……「婚姻届」。

 そう、あたしたちは結婚する。夫婦になるのだ。二つの生を乗り越えてやっと叶ったこの夢。だけれど、少し後ろめたい気もする。何故なら、この世界で玲と阿奈は婚約することは不可能なのだ。折角、今世でも結ばれたのに。

 性別の壁は、薄いように見えてかなり分厚い。その壁をぶち壊すことは容易ではないのだ。上に理解してもらうには、かなり時間がかかると思える。が、あたしは祈っている。全ての人が、心から愛する人と結婚できるように。

「結婚式、何処で挙げようか?」

「やっぱり、ハワイじゃない?」

 ハワイ。そう聞くと、ラニ島を思い出してしまう。あたしたちの名前も、実はそこの言葉から取っているのだ。

 あたしの大好きなハワイで、歩玖と一緒に式を挙げられると思うと、嬉しくて思わずにやけてしまった。

「そうね……」

 あたしは歩玖の珈琲が入っているマグカップをそっと奪い、口づけた。歩玖の唇の温もりがそこに残っていて、ホッとする。

『異世界研究協会の会長、花山桃氏、花山苺氏が今日、新たな異世界を発見しました。また、異世界へ行く実験も成功したとのことです!! 新たな異世界は、『エステラ』と名付けられました。同じ研究グループの桜小路桜花氏は『ありえない』、月小路月花氏は『未だに信じられません』と、涙ながらにコメントしました……』

 エステラへ……?? 行けるようになった?? 嘘……!! 

「歩玖!!」

 あたしは思わず歩玖の胸元に飛び込んでいた。歩玖は驚いたのか、よろけながらあたしをしっかりと受け止める。

「ああ。エステラへまた行きたいな」

「ええ!」

 玲……雷姫の妹や従姉妹、桜小路、月小路の都の主も死んでしまったのか。でも、この世界で巡り逢うことができるのだから、ネガティブには考えないでおこう。

『SNSでの皆さんの声です。東京都二十代、大学生の方は『異世界の人物とどう関わっていくかが一番の課題』だとツイートしておりますが、これに関しては異世界専門家の南出有菜さん、どう思いますか?』

 有菜……あたしの、義理の母親……。ごめんなさい。素直に親孝行できなくて。愛してます。お母様。

 ここは、夢がないとばかり思っていたけれど、そんなことはなかった。ここは前世で離ればなれになった者たちが集う、再開の場なのだ……!! 

 あたしは、全ての運命に感謝して、目をそっと閉じた。

 もしかしたら、あなたの近くにいるかもしれないあたしたち。見かけたら、エステラのことを心の中で想ってみて。一番最初に、何が浮かんできた? その思いうかんできたものが、運命を告げているわ。


 ——次の宿命を背負うのは、あなたよ——。

 

 

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