最期の音。

「はあっ、はあっ……」

 息を切らすあたし。の横で同じように息を切らす愛おしい雷姫。短くなった金髪が星明かりを反射していた。

 悲しくなるから、レウェリエとアネラへの別れの言葉は簡潔に済ませ、一切振り返らなかった。お陰でもう戻りたいとも、死にたくないとも思わない。

 ……死にたくないとも思わない。これは真っ赤な嘘だ。流石に盛りすぎた。死ぬ直前まで強がるあたしは、やっぱり小さい頃から自分を騙してきたのだろう。

「ソフィア」

 ああ、愛おしいその声。もっと聞いていたい。でも、そういう訳にもいかない。これで宿命を果たせるのだから、この辛さをあたしは乗り切らなくてはならないのだ。

「なぁに?」

「愛してるよ、ソフィア」

「あたしもよ、雷姫」

 心が幸せに満たされ、気が楽になる。

 あたしたちは未来の蕾を自ら切り落とす。が、後悔はしない。そう心に決めた。

 ――はずだった。

 涙が止まらない。目の前に愛する人がいるのに、ちゃんと素直に自分の思いを伝えられない。これ程もどかしいこと、他にあるだろうか。

 いつかはやってくると判っていた筈なのに、まだ大丈夫と先延ばしにし続けた結果、こんな時にまで時が伸びてしまった。

 頭の中で、沢山の雷姫との記憶が蘇ってくる。

 エステラに来てすぐに出逢った雷姫の瞳は、キラキラとしていて吸い込まれそうだった。その頃から恐らく、雷姫を思っていたんだろうね。

 ああ、頭の中で雷姫との思い出が走馬灯のように蘇っていく……。

 桔梗の咲く丘で、声をかけられた。以降毎日その丘で会うように。あたしがエヴァの教会を見つけるまで、雷姫の小屋に匿ってもらったりもした。偏見に包まれた恋愛だったけれど、不幸には思わない。

 そびえ立つ神殿。こいつを焼き尽くすことがあたしの使命。これは運命なのだ。だから乗り越えなくてはならない。仕方がないのだ。

 こんなことで泣きじゃくるあたし……。バカみたい。

「来世でも、きっと巡り逢えるから。この辛く悲しい運命さだめの代償だよ。辛いことの先には必ず喜べることが待っている。世界には冷たい場所もあるけど、暖かい場所もあるだろう?」 

 いつまでも心の中で共鳴するであろうその言葉は、あたしにとってとても重く、でも心安らぐものだった。

 辛くても、悲しくても、前を向かなくてはならないのだ。直ぐには立ち上がれなくても、いつかは立ち上がれる。希望はなくても、愛する人が居る。そう自分に言い聞かせた。

 もう、今世での別れの時が来てしまう。この、抱きしめられた温もりもいつかは消える。けれど、いつかはまた味わえる。そうして、愛というものは巡り巡ってまた出逢うのだ。

 あたしはそっと、雷姫から離れた。

「いこう……」

 どんな意味でも取れる「いこう」は、切なく、悲しかった。

 雷姫に背を向けて、あたしは神殿の中に走った。デスグラシアに殺されたエレナのためにも、前世の片思いの人を探し続けてきたアネラのためにも、そして、思いを伝えたいレウェリエのためにも。あたしのやることで、皆が幸せになれるのだ。

 暗闇に包まれる神殿は、あたしを死へと誘っているよう……。

 皇帝の間の中心にいるデスグラシア。恐怖と狂気で包まれた雰囲気。そこに飛び込むのは勇気が必要だけども、あたしはもう覚悟できた。お前を絶対に倒す。

 あたしは皇帝の間に入った。最期までお人形でありたい。そんな本心があるあたしは、今日は王子ロリータとゴスロリが混じったような自作戦闘服を着ている。本当はいつも着ているようなゴスロリで逝きたかったけども、あたしの大切な服を破くわけにはいかず、この日のために作った戦闘服で逝くことにした。

「さあ、今からお前と死闘を繰り広げるとするか」

 あたしは魔導書を開く。皮肉なことにエリオット家の魔法陣はとても強力だから、今日もこれで戦う。

「この魔法陣も瞳も血肉も、お前から授かったと思うと反吐が出そうだ」

 きっと桔梗色の瞳を互いに吊り上げる。父娘との大決戦が今、始まるのだ。

 あたしは暫く魔法を使って攻撃し、弱点を見つける。弱点が見つかったら、自爆するのだ。

「スフラギダ・カイザラ・アフィプニスィ!! 封印されし皇帝よ! 今こそ覚醒せよ!!」

 一点に集まっていく桔梗色の光。このままだと封印されしムルシエラゴが目覚め、デスグラシアに最大の力が与えられてしまう……!! 阻止せねば!! 

 あたしは魔法陣を空中に出し、呪文を唱える。

「スフラギダ・プロスクリスィ・カタストロフィ!! 召喚を封印せよ!! 異次元への扉を閉ざし、破壊せよ!!」

 異次元への扉を破壊できれば、皇帝の召喚は不可能だ。お願い、効いて……!! 

「やった!」

 心の中でガッツポーズし、そっと呟く。

 一点に集まってきていた桔梗色の光は砕け散った。

「てめえ……!! よくも異次元への扉を閉ざしてくれたな……!! 仕返しだ。ドラゴンの力にお前が勝てるなどとは思わない。さあ、覚悟しろ……!! ドラコーン・テロス・フロガ!! 終わりの炎よ!! 襲え!! 襲うのだ……!!」

「!!」

 牙をむき、あたしに襲い掛かってくるデスグラシア。何とか逃げたはいいものの、手には桔梗色の炎。これじゃあ逃げ纏っているばかりで、弱点を見つけられない……!! どうしよう……!! 

 不安があたしを支配し、自信を無くしてくる。

 呪文を編み出さなくちゃ……!! えーと……!! あ!! これだ!! 

 呪文を何とか思いついたあたしは、逃げながら魔導書を開いた。

「リュコス・メタノイア・ホモロギアー!! 狼に嚙み付かれたその痛みで、これまでの自分を悔い改め、懺悔するがいい!!」

 と、唱えた途端、デスグラシアの手に浮かんでいた桔梗色の炎がスッと消えた。

 ——そうか。あたしは「悪魔の狼娘」なんだ!! あたしの狼魔法に勝る者はいない。だから、これが弱点……!!  

 あたしは間の隅に行く。

「クリスィ・ソーテーリア―」

 少し、闇に自分の身を守ってもらうことにする。自爆には相当なエネルギーが必要だから、少し休まなくてはならない。

「ハッハッハ……!! その程度か、お前!!」

 数分後に起きることも知らないで呑気にあたしを嘲笑うデスグラシア。正直言ってもう相手にしたくないけど、そうするとこの世に未練が残ってしまう。

 闇に包まれて、少し心を落ち着かせたあたしは、自分の心に掛けた束縛のチェーンを切断する。そうすることで、何億倍もの強い魔法が放出できるのだ。

「ペリオリズモス・アリスィダ・スパオ!! 束縛のチェーン、壊れろ!!」

 その時、あたしの胸にスーッと風が通ったような気がした。束縛を壊して解放するというのが、こんなにも気持ち良かっただなんて。

 目の前に、もう完全に溶けるであろう蝋燭、それを持つ死神が現れた。やっぱりあたしはもう死ぬのか。あたしの残す未練は、デスグラシアをまだ倒せてない、ただそれだけだ……!! 

 薄れていく闇。さあ、もうすぐだ。

「ウシオディス・タナトス・コズモス・アナクフィスィ・エラトマ・スファギ!!! 我の死と引き換えにこの世界へ救済を!! この者の虐殺を!!」

 あたしは桔梗色の瞳の力で、デスグラシアを動けないように拘束した。

 く、苦しい……!! 魔法のエネルギーが強すぎて、息を吸うことすら苦しい……!! 心の奥底からじわじわと染み込んでくる痛みは、心臓を停止させるかの様だった。

 体中に闇を纏って、突進する。もう後悔なんてない。生きられなくてもいい。あたしには、愛する人が居るのだから……!! 

「リュコス・ハロス!!」

 お前のもとにも、狼の死神が来て、お前を地獄へと誘うだろう。それまでせいぜい、あたしらの魔法に苛まれるがいい!! 

 衝突する……!! そう思った時。

 ——バリバリバリ!! 

 雷鳴が轟いたと思うと、辺りが真っ白になった。どうやら衝突して、その衝撃で頭が真っ白になったらしい。

 視界は回復した。辺りが火の海に包まれている。横には倒れている雷姫。と、弱っているデスグラシア。お前は、レウェリエとアネラにとどめを刺されなさい。

 ああ、雷姫……。生きている間にもう一度視界に入れることができて、本当に嬉しい……。

「ソ、ソフィア……」

「雷姫……」

 声を出すと声帯がキリキリと痛む。が、幸せだった。またあなたの名前を呼ぶことができて。

 あたしたちは死ぬ気で這った。近づきたい。近づきたい……!! その重いを打ち砕くかのように意識が遠くなる。が、何とか振り払った。この愛に勝るものはなにもない。

「ずっと……一緒…………だ…………よ?」

 一音一音の間がだんだん遠くなる。視界がだんだんぼやける。死神があたしのもとへ歩み寄ってくる。 

「ダメ…………来‥………な…………い…………で…………」

 まだ来ないで。少しだけ待って。もう少ししたらいいから。ごめんなさい。さっきの未練はデスグラシアを倒すだけ、は嘘です。まだあるの……。

「ソフィア……」

 本当に力を振り絞って一音一音の感覚を短くしている雷姫。儚き時間は脈々と過ぎていき、心臓が悲鳴をあげているのが判った。

 これ以上喋ったら本気で死んでしまうだろう。でもいいのだ。これさえ伝えられればそれで。

「何……?」

「だ…………い…………す………………」

 雷姫……。頑張ったね。なんで先にいっちゃうの。一緒にいきたかったのに。というか、なんで肝心の一音を忘れちゃうかなあ。

 雷姫の顔には、わずかに涙の痕が残っていた。物凄く怖かったのだろう。でも、それを乗り越えられた。偉いよ、雷姫。

 あたしは目を触る。当然ながら濡れていた。その涙がどんな感情で出たのかは判らない。悲しみか、怒りか、嬉しさか。判らないけれど、それはネガティブな感情ばかりではないことだけが判った。

 あたしは、消えて行く雷姫の温もりを戻すようにして手をぎゅっと握る。絶対に話さないように。

「き——」

 儚く響いたその音。ちゃんと伝えられたから、もう未練はないよ。

 静かな神殿にはただあたしの声が響き渡っただけ。これであたしと雷姫が生き返るわけでもないけど、何故かあたしの心は幸福に満たされていた。

 最期の音。今世での自分の声は、いつまでも耳に残るだろうなあ……。

 

 心臓が、終わりを告げた。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る