自分と向き合って。
遠い記憶
平野にある小さな家。そこは戦士たちが宿泊しているペンションであった。木々は揺れ、野兎が追いかけっこをしている、一見平和な野原。
今は各地で宿泊しながら、ムルシエラゴの領地に向かっている。といっても、ムルシエラゴはいつどこで、どういう風に出くわすか判らない。だから常に慎重に行動している。
「よし、できた!」
今は何をしているのかというと、武器の調達である。あたしは魔法を使うことができないから、薬学の知識さえあればできる、回復術担当に。薬学はアネラから教えてもらった。基礎的で簡素なものだが、ないよりはましだろう。
あたしのこの杖の名前は、「エルリエル」という。由来は、大昔のエステラでエルリエルという天使が発明したというまあ単純なもの。エルリエルとやらが自分地獄耳だったらさぞかし大変だろうなあ。
エルリエルに薬草を煮込んでドロッドロにしたものを入れる。この薬の名前は、「ストスリック」。ストスリックはエステラができる前に人間界にいたどこぞの冒険家が作って、後にエステラの民になった時に広めたものだそうだ。由来は不明。
杖とか薬草って奥深いな、と黄土色のエルリエルを見つめながら思う。
「レウェリエ」
ドアが開き、アネラがバルコニーに出てきた。お城にいるときの正装は着ておらず、魔法学校の制服を着ていた。
「何でそれ来てんの?」
あたしはベンチから立ち上がり、外に身を乗り出してそういった。草の香がとても心地よい。
「うーん? ああ、あたしってお城で着るもの以外ほとんど持ってなくて。あと、久しぶりに思い出に浸るのもいいかなーって」
これから本当に戦いに行くのか!? と言いたくなるようなくつろぎようのアネラ。いつもおろしている長い髪を、今日はきゅっと後ろでひとまとめにしている。
その時、森の向こうから砂ぼこりが立っているのが見えた。それは真黒くて、嫌な予感しかしない。
「ねえ、アネラ……」
「判ってる」
最後まで言う暇もなく、アネラにすかさず答えられた。アネラはさっと立ち上がり、部屋の中に入っていく。
「ついてきて!」
アネラは強引にあたしを中に押し込んだ。連れてこられたのは、アネラがとっている部屋。
「これに着替えて!」
手渡されたのは、戦闘服だった。白いセーラー風のシャツと、ショーパン。そしてポンチョ。
アネラもクローゼットから同じものを取り出した。あたしたちは戦闘服を身にまとう。
「外に出て! 早く!」
アネラは魔導書を胸に抱いて部屋を飛び出した。あたしもそれに慌てて着いて行く。
外に出ると、三十人ほどの戦士たちが馬に乗って待機していた。
「レウェリエは馬に乗れないと思うから、『あたし』に乗って!」
どういうことだろうと思ったが、アネラは直ぐにペガサスへと姿を変えた。
あたしは背中に乗って、杖を構えた。
「飛ぶよ! 振り落とされないようにね! あと、あたしが怪我したらそれで直してね!」
アネラはペガサスの姿でそう言って、空高く飛んだ。そして、真っ黒な砂ぼこりの中に突っ込んでいく。砂ぼこりの中には、ムルシエラゴの大群がいた。アネラの大渦に飲み込まれた大群は、次々に勢力を弱める。
ペガサスの鼻ら辺に傷ができているのが見えた。あたしはエルリエルの蓋を開けて、ストスリックを傷口に流し込む。傷口はみるみる緑色に染まって、やがてふさがった。
大群の勢力はだいぶ弱まってきたが、それでもまだ敵はいる。が、アネラは途轍もなく強い大渦を出したから、もう体力の限界なのだろう。地面に倒れこんでいるし、足の方から徐々に人間の姿になっている。そしてついに、取り囲まれてしまった。
その時。
バリバリバリバリ――
轟音とともに、周りの敵が全員倒れていた。上を向くと、雷神が飛んでいた。
森の方からは、真っ黒な狼が現れ、敵の体を噛み千切った。
騒ぎを聞いて駆けつけてくれたのであろう雷姫とソフィア。
敵はみるみるうちに消えて行き、そこに残ったのは平和な野原で咲き誇る小さな草花だけだった。
「大丈夫?」
元の姿に戻った雷姫があたしたちに声をかけた。雷姫のその鋭い角はみるみるうちに縮み、顔もいつもの雷姫に戻った。
ソフィアも戻ってきて、四人そろった。
「彼奴、ほんとに突然襲ってくる」
アネラが手をぎゅっと握った。アネラは悔しさをその手の中に埋めた。
「取り敢えず、ペンションに戻ろう」
まだ悔しさが治まっていないアネラを励ましながらソフィアと雷姫はペンションへ戻った。
取り残されたあたしは一人、樹木の下に座って、帳面を開く。
文字の読み書きの練習を始めて数か月経ったが、未だに簡単な単語しか読めない。ペンだってほぼ持ったことないから、そこから練習する必要があった。
それでも諦めず、今日も一画一画丁寧に文字を写す。この帳面に挟んであるメモ書きはアネラが書いてくれたお手本だ。綺麗な筆記体。
あちこちから漂ってくる甘い香は何処か懐かしげで、切なくもなった。
と、その時。
湖の対岸に人影が見えた。何やら水を汲んでいる。ここの近くには民家もなく、軍の偵察基地しかないはずだが。しかし、どうも困っているようだ。辺りをうろちょろして、時々水を汲む。何かあるに違いない。
あたしは湖の中に入った。
この戦闘服は防水で、水をはじく素材だから楽に泳げる。アネラに泳法を教えてもらっておいてよかった……
日光に照らされ、わずかな温もりを持つ湖水。不思議なオーラが漂っている。過去に来たことがあるような……
『……お姉様!』
フラッシュバックしてくる、誰のものか判らない声。ぼんやりとモザイクがかかっていてはっきりとは思い出せないが、小さな幼女が湖の中でバシャバシャと暴れて遊んでいる。
それを見ていたのは少しませた、でも子どもらしさが残る少女と、大きくて獰猛そうに見えるけど、その少しませた少女に頭をすり寄せる獣。
その様子は誰が見ても幸せそうに見える。
『……、大きくなったわね』
優しい声とともにあたしの頭をなでる女性。
『……決めた。この醜く悍ましい世界から逃れる楽園を……ねえ、……協力してくれる?』
名前のところは声が曇っていてよく聞こえない。だがその少しませた少女の決意に満ち溢れた声だけは耳の中でずっと反響していた。
泳ぎながら涙を流すなんて、なんて醜いの……。
何故か溢れてくる涙。
気づいたら体に力が入らなくなっていた。
ゆっくり、ゆっくり、湖のそこの世界があたしを攫うように。湖水の中でも息はできた。が、意識は遠くなっていく。ついに湖底の水草に体が捕まった。ぬめぬめした水草に体を絡めて、あたしは意識を失った……
どこかで味わったことのあるこの味。強い酸味と、その中のわずかな甘み。とろとろしていて、液体に近い何か。
耳元にはやはりあの筆記音が入る。が、目はしっかりと開けられた。
「……っ!」
椅子に座って何か書いている少年は顔に大判のハンカチーフを撒いていた。が、どこかで見たことある。絶対見たことある。
少年もあたしの意識が戻ったことに気付いた。目の真ん中まですっぽり覆っている少年だけれど、彼はくわっと目を見開いていた。
「ぼ、僕はウィリアム。この辺の薬学者……」
明らかに彼は挙動不審。多分何か隠している。
こんな人に本名を教えるのには気が引けたので、あたしは偽名を使うことにした。
「あ、あたしマリベル。マウカの戦士……助けていただいたようで……ありがとうございました」
ああーっ!! 何か隠してる感満載になっちゃったー!!
少年はこほっと咳込み、あたしに長い杖を渡した。上には何やらスコープらしきものがついている。
「差し上げます……マリベルさんのおかげで研究がはかどりました……」
お礼を言って、あたしは掘っ立て小屋から出た。外には崖があり、そこにはつり橋。それは見るからに古くて、落っこちそうだった。
半分腐っている木でできたつり橋を渡る。一歩歩くごとにミシミシと軋んだ。
「ひい……」
下を見ると、鋭い岩が連なっていた。沼地だったら助かるかもしんないのに! これは頭から落っこちても足から落っこちても間違いなく即死じゃん……!
がたっ……
嫌な予感しかしないこの音。見ると端の方からどんどん木の板が崩れ落ち、無残にも崖下の岩とぶつかって粉々になっている。血の気がどんどん引いていく。ついにあたしの乗っているこの足場も崩れ落ち、身は物凄いスピードで落ちていく。
が、その時。
白いペガサスがあたしの体を受け止めた。それはアネラだとすぐ判った。なんでこんなところにいるのだろう。
「全くもう! 帰ってこないと思ったらこんなところにいたなんて!」
明らかにガチギレしているアネラ。
「えへへ、ごめんごめん」
へらっと笑い、軽く謝る。
強い風が顔面に当たる。痛くも爽快だ。
風が運んでくる花の香の心地よさに、そっと目を細めた。
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