約束~宛先不明郵便~

村良 咲

第1話 約束

前略 お元気ですか?


いきなりのお手紙、失礼いたします。

人の世は、美しくも儚い。わたしもそう思う年齢になりました。


貴女様におきましては、ご尊父を亡くされ、今は悲しみの中にも深い愛情を感じておられる、そんな最中さなかかと思います。


手紙の書き出しをどんなものにしようか悩みましたが、本題から書くことにします。

わたしは昔、貴女のお母様から、一つの頼まれごとをされました。

今からちょうど、30年と少し経ちますか。

あの頃、新種のウイルスに世界中が震撼していました。

日本国内でも日に日に感染が増え始め、中には感染し数日で命を落とす人もいました。

頼まれごとをされたのは、その感染症により国に非常事態宣言が出された頃のことです。


まず、私が頼まれたときの貴女のお母様からのメッセージをそのまま書きます。


 MASATOさん、お元気ですか?

 新しく家族が増え、さぞかし忙しい日々をお過ごしのことと思います。

 今の世は、このような感染症におびやかされ、

 小さなお子さんを抱えるMASATOさんご夫婦も、

 さぞ不安な日々を過ごしていることと思います。

 そんなときにこのようなメッセージを送ることも憚られましたが、

 今の私にはこのような頼みができるのは、

 MASATOさんくらいしか思い浮かびません。

 もしお嫌でしたら断っていただいても構わないのですが、

 一つの「鍵」を預かっていただきたいのです。

 それは、私の身近にいない他人で、

 心より信頼のできる人にしか頼めないことなのです。


このメッセージに対して、わたしは自分で構わないのであれば、その「鍵」をお預かり致しますという返事を送りました。

そして、次のメッセージが届いたのです。


 今の世を想うと、人はいつ何時なんどき何が起こるかわからない。

 最近、そう思う気持ちが強くなってきました。

 私には一つ、娘に書き残しておきたいことがあるのです。

 それは、今、娘に伝える必要はなく、

 そして私が夫より長く生きられたならば、伝える必要のないことです。

 まあ、簡単に言えば、夫の取扱説明書のようなものです。

 その中には、女同士の娘にだから話しておきたいことも含まれております。

 そしてそれを記したUSBメモリーがあるのですが、

 誰の目にも触れさせたくないので、それに「鍵」をかけました。

 MASATOさんには、その「鍵」を預けます。

 もし、夫より私が先に逝くようなことがあれば、娘に「鍵」を渡してください。

 その「鍵」は、

 MASATOさんがどこにも書き残さなくても覚えていられるように、      MASATOさんがブログでお使いのハンドルネーム

 『MASATO』にしました。


このメッセージで気付いたかもしれませんが、わたしと貴女のお母様が出会ったのは、ウェブ上です。

当時わたしはブログをやっていました。

そこで、同じようにブログをされていた貴女のお母様と交流を持つようになったのです。

それは、わたしが書いた方言や訛りのことを書いた記事がきっかけだったと記憶しています。

その時、もしかしたら同県民かもしれませんと、数人の方が書き込みをしてくださって、お母様もその中のお一人でした。


お互いが知る人だったことに気付いたのは、交流が始まって随分と経った頃です。

貴女が社会人となり、私の職場に配属されたことで、お互いの記事の中に通じるものがあり、それで気付いたのです。

驚きました。

貴女のお母様はご自分がブログをやられていることを秘密にされていたため、私もその事には口を噤んできました。

お互いが貴女を通じての知り合いであることで、誰が誰ともわからないブログの中で、やはり信頼のおける相手となるのに、そう時間はかかりませんでした。


わたしが家庭を持ったころから、わたしは徐々にブログから離れました。

子供が生まれてからは、妻も仕事を続けていましたので、仕事に育児と忙しい日々の中で、それでもごくたまにはブログを開き、貴女のお母様の記事をチェックさせていただいていました。

その後、我が家に2人目が誕生した頃、送られてきたメッセージに気付いたというわけです。


そしてわたしは、お母様から送られたメッセージの返事に、

その「鍵」確かにお預かりしました。とても大切なもののようですね。

確かにお預かりはしますけど、その「鍵」を娘さんに伝えずに済むことを祈ります。

そう送りました。


そうです。これは貴女に伝えずに済んだ内容の手紙です。

伝える必要がないのだから、書く必要もないのですが、わたしはこの頼まれごとがずっと頭から離れず、貴女に送るわけにはいかないこの手紙を、宛て先不明郵便として出すことにしました。


インターネットの中で、その出すに出せない宛先不明の郵便を預かってくれるというそんな話を、お母様と交流のあった頃にブログの中で目にしたことがありました。

いまでもその宛先不明郵便を預かるという場所が引き継がれているという噂があるので、この手紙を出してみようと思ったのです。


恥ずかしながらわたしは、お母様からこの頼まれごとをしたあの日から、そのUSBメモリーの中身が気になって仕方がありませんでした。

お父様の取り扱い説明と書かれていましたが、それは本当なのでしょうか?

なにか、簡単に言葉に出来ないでいたことが書かれていたのではないでしょうか?

ブログの中にいた貴女のお母様は、家庭をとても大切にする妻であり母であり、一人の素敵な女性でした。

交流を続けていたからこそ、そこに書かれているのはもっと大切な何かなのではないかと、そう思ったのです。


お母様の、自分の身近にいない信頼できる人に頼みたかったというその選択は、正しかったのでしょう。

そんな秘密めいたものがあると聞いたのが、現実にお母様の身近な人だったならば、なんとかしてそれを覗いてみたくなるかもしれません。

わたしも、そう思いましたが、わたしは身近にいない他人なので叶いませんでした。


そして、貴女のお母様に頼まれた、もし自分が夫より先に逝くことがあったなら伝えて欲しいというその希望も、今となっては意味を成しません。

お母様は、既に必要のなくなったUSBメモリーを破棄したかもしれません。

貴女がそれを目にすることも、もうないのでしょう。

ですが、そこにこそ、お母様の心の大切な何かが記されているのだと思うと、わたしは胸のざわめきがどうにも治まらないのです。


貴女は読むことがない、わたしも知ることは決してない貴女のお母様の心、そんなものに思いを馳せているわたしです。

長い人生を思えばほんの一時ですが、毎日のように交流をしてきた友人として、この想いを誰かに伝えたくなりました。


貴女に伝えることは約束違反であります。



そんなわけで、宛て先不明郵便局様に、こちらを受け取っていただきたく存じます。


                     真崎直人


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