終わるゼロ、始まる零
「やっぱこれ、荒れてる……よな?」
1か月後、【CRE8】2期生の初配信当日。
自分の同期となるVtuberたちが華々しいデビューを飾る中、トリを任された零は自身のスマートフォンを見ながら何とも言えない表情を浮かべていた。
画面に映っているのはSNS上で呟かれるファンたちのコメントであり、今も配信を行っている2期生たちに対する数々の感想……なのであるが、その中に時折不穏な呟きがちらほらと散見されている。
【そろそろ蛇道枢の配信始まるけど、大丈夫かな?】という感じのものや【まさか本当に男のVなわけ?】だとか【男性Vだったら普通にキレるわ】などの配信を目前に控えた蛇道枢への過激なコメントが見受けられるSNSの雰囲気は、非常に複雑な様相を呈していた。
実をいえば、こんなコメントが噴出したのはこれが初めてではない。
およそ1週間前、【CRE8】が大々的に2期生のデビューと初配信の日付、そして5人のデザインを公開した時からこの焦げ臭い雰囲気は漂い始めていた。
【CRE8】初の男性タレント、蛇道枢。12名の女性Vtuberの中にただ1人だけ放り込まれた男のVtuber。
彼に対するファンたちの反応は新たなジャンルを切り開いてくれるのではないかという期待という部分もありはしたのだが、大半はこの事務所に男を入れることに対する疑念と、枢が存在することへの不安であった。
ガチ恋勢やユニコーンと呼ばれるファンは自分の推しが男と絡むことに大きな忌避感を抱いているようであったし、女の子同士の絡みを楽しむ層からも【百合の間に挟まろうとする男は死刑】というギャグなんだか本気なんだかわからないコメントを残している。
一応、そういったファンたちを宥める人々も存在してはいたのだが、彼らも【見た目は男でも魂を女性が担当しているかもしれないし、運営もその辺のことはしっかり考えているだろう】という、男性Vtuberの存在を肯定的に捉えていないことがわかる擁護の形を取っていた。
Vtuberのデビューというものに関しては詳しくない零ではあるが、この状況が一般的なものではないということは流石に理解できる。
薫子からも多少の反発はあるかもしれないとは聞いていたが、果たしてこれは多少という枠に収まる反応なのだろうか?
このまま配信を行ったとして、そこで蛇道枢の魂が男性であることが判明したとして……ファンたちは、その事実をどう受け止めるのだろう?
男の娘でも外見だけ男で中身は女性というわけでもない、完全なる男性Vtuberが【CRE8】の一員として加わったことに対して、どんな反応を見せるのだろうか?
男なんて【CRE8】には必要ない……箱推しファンが呟いていた過激なコメントを思い返した零の胸に暗い感情がよぎる。
薫子が用意してくれたバーチャルの世界でも、自分は存在を認められないのかと……そう、自分自身のこれまでの境遇と今現在の状況を振り返って自嘲気味に笑った彼は、何かを諦めたように呟く。
「……ま、なんとかなるだろ。別に悪いことをしたわけでもないんだし、キレられる謂れはねえわな」
臆する必要も、恥じることもない。少なくとも薫子や蛇道枢のデザインを担当してくれた誰かは、自分がこの世界に存在することを喜んでくれている。
今は悪い意見ばかりが目に付いてしまっているが、配信を無事に行うことさえできればきっとファンたちも自分のことを認めてくれると……そう、薫子に言われたことを思い返した零は、小さく息を吐いてから配信の準備を進めていく。
何度もテストを行った。機材の扱い方も学んだ。サイトの活用方法も、初配信でどんなことをするのかも、他にも沢山のことを今日まで学んできた。
ただ1か月という短い準備期間のせいで同期となる2期生の面々のことをあまりよく知れていないことだけが不安だが、それはおいおい知っていけばいいことだ。
「大丈夫、大丈夫だ。問題なんてないっての」
胸によぎる不安を、心に渦巻く暗い感情を、追い払うように自分に言い聞かせる零。
恩に報いるために、生きていくために、こうしてVtuberという仕事に就くことを決めたのは他の誰でもない自分自身だろうと何度も念じ続けた彼は、両手で顔を叩いて気合を入れた。
【CRE8】が、バーチャルの世界が、零にとっての居場所になるかどうかはその頑張り次第だ。
期待してくれている薫子やスタッフたちに不甲斐ない姿を見せるわけにはいかないと、気持ちを切り替えた彼はまさかといった口ぶりでこんなことを呟く。
「流石に男として生まれただけで炎上する奴なんているわけがないからな。ナーバスにならず気楽にいこうぜ、相棒」
そう、その通りだ。未だかつて、男性としてデビューしただけで炎上したVtuberの名前なんて聞いたことがない。
零が界隈に詳しくないとはいえ、Vtuberの世界がそんな下らない理由で燃やされるような殺伐としたものでないと信じている彼は、心の中にある弱気な感情を押し流しながらもう1人の自分となる蛇道枢の姿を見つめながら呟く。
これから先、自分は彼として生きていく。そして彼もまた、自分として生きていくことになる。
Vtuberとしての人生は決して楽なものではないだろうが、それでも薫子たちからの期待に応え、生きるために必要なあれやこれやを得るためには努力を重ねるしかないのだと、そう自分自身に改めて言い聞かせた零は、用意してあった配信ページを開くと最後の確認を行っていった。
背景、BGM、マイク音声、モデルの反応、その他諸々……全て問題なし。
コメントも普通に流れているし、配信画面にも不備がないことを確認した零は、小さく咳払いをしてから深く息を吸った。
「……やるって決めたんだろ、俺? なら、やるしかないじゃねえか。やるだけやって駄目だったら、その時はその時さ」
自分に何ができるかなんてわからない。自分が受け入れられるかもわからない。
ただ、もしも駄目だったとしたら薫子に頭を下げて、いつも通りに諦めて……別の道を進めばいいだけの話だ。
慣れている、不必要だと言われることなんて。諦めることも、居場所を追われることもこの18年間で何度も経験したことじゃないか。
だから……大丈夫だ。上手くいくとは思わないが、とりあえず全力を尽くすことだけを考えればいい。
今はただ、そのことだけを考えよう。悪いイメージを頭の中から消し去って、やれるだけのことをやるんだ。
コメント欄が既に焦げ臭くなっているような気がするが、SNSがこれまで以上に怪しい雰囲気を漂わせているような気もするが、無視しよう。
今、自分がやるべきことはただ一つ。ミュートを解除して、ここに集まってくれているファンたちに挨拶をすることだ。
「……よし、行くか!」
気合を入れるように叫び、PCを操作して……配信に音声が乗るように設定を行う零。
そのことを察知したファンたちがコメント欄の勢いを加速させる中、零は蛇道枢としての第一声を発した。
『……あ、配信始まってる? ん、んんっ……! どうも皆さん、はじめまして。この度、【CRE8】の2期生Vtuberとしてデビューすることになった、蛇道枢です』
――これが、蛇道枢の始まり。阿久津零がもう1人の自分として人前に立つようになった、物語が始まる前の出来事。
この星々がへびつかい座としての輝きを放つまでには、もう暫くの時が必要だ。
零が誰もが予想できなかった事件に巻き込まれ、その中で燻っていた心の炎を大きく燃え上がらせるのは、もう少し後の話。
エピソードゼロ、それは始まりに至るまでの物語。
誰もが期待するような鮮やかな始まりではないのかもしれない。
だが、これは間違いなく彼の始まりの物語なのだ。
今、この瞬間……ゼロの物語は幕を閉じ、零の物語が始まろうとしている。
夢の炎を燃やした彼が多くの人々の心を照らすようになるその瞬間が、刻一刻と迫りつつあった。
【初手、大炎上】へと続く。
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