らしくない、彼



「ふぅ……! 本当に美味しいですね、ここの料理。これでこのお値段なら、十分お得ですよ」


「そうでしょう、そうでしょう? なにせ今日のために必死にリサーチして……ごほん! じ、自分のおすすめの店なんすからね!」


「いいお店を教えてもらった上にご馳走にまでなっちゃって、本当にありがたいさ~! ありがとうございます、加峰先輩!」


「うめ、うめ……!!」


 それから30分後、スイ以外のメンバーは頼んだ料理を食べ終え、その感想を口々に言い合いながら梨子へと感謝の言葉を告げていた。

 後輩たちに慕われ、感謝されることを喜ばしく思う梨子は、ふんすと荒い鼻息を噴き出しながらどや顔を浮かべて胸を張っている。


 そんな彼女の姿を横目で見やり、小さく溜息を吐いた後、零は食後のコーヒーを啜ってからぽつりと呟きを漏らす。


「……こういうやり方をされた上で失敗を許したりしたら、金さえ払っておけばいいんだろみたいな感じになるじゃないすか。別に、本気で怒ってるわけじゃないっすし、今後はこういうのは止めてくださいよ」


「ぼ、坊や……! ママを許してくれるんすか? もう1度、自分にチャンスをくれるんですか……!?」


「……別にもう慣れましたし、いいですよ。ただ、悪ノリは自重してくださいね。あと、何度も同じミスを繰り返さない。それと、仕事の締め切りはしっかり守ってくださいよ」


「うん、うん……! 最後のは無理だと思うけど、ママ頑張るわね! こんな自分を許してくれてありが――」


「あと、食事に関しても気を付けてください。有栖さん以下の食生活なんすから、いつかぶっ倒れますよ? 部屋も綺麗にすること。荒れてる時の秤屋さんレベルの汚部屋をあのままにしておいていいとか思わないでくださいね。あと、それと――」


「ね、ねえ、坊や? なんだかママに要求することが多くないっすか? え? それだけ自分への不満を溜め込んでたってことっすかね?」


 零から許されたのも束の間、怒涛のラッシュとばかりに繰り出されるダメ出しに押し寄せていた感動の波を引っ込めた梨子が引き攣った表情を浮かべながら呟く。

 これじゃあどっちが母親なのかわかりゃしないと、見るだけならば微笑ましいそのやり取りを見守っていた一同が温かい視線を2人に送る中、どうにか息子のお説教から逃れようとした梨子が、ランチメニューの隅っこを指差しながら後輩たちへとこんな提案を投げかけた。


「あっ、そっそそそ、そうだぁ! 皆さん、デザートとかどうっすか? 追加料金100円で注文出来るらしいんで、一緒に食べましょうよ~!」


「ま~たそうやって都合の悪いことから逃げて……それだから成長しないんですよ」


「まあまあ、もう許してあげなよ、零くん。加峰さんも反省してるんだしさ」


「許してはいるよ。ただ、同じことを繰り返されたら困るから釘を刺してるわけであってさ……」


 くすくすと笑いながらやんわりと自分を窘める有栖へと、なんとも言えない複雑な表情を浮かべながら答えを返す零。

 そんな夫婦2人を放置して、残りの面子はデザートについての話をしているようだ。


「デザートって何があるんですか? ピザとパスタみたいに選択制?」


「あ、違うみたいだね。まあ、+100円で頼めるものだし、メニューは固定なんでしょ」


「で、なんなんです? ランチセットのデザートって?」


っすよ、プリン! でも、凄く美味しいって評判っすよ!」


 メニューに載っている写真を指差し、それを後輩たちに見せつける梨子。

 つるんとした見るからに滑らかな食感をしていそうなプリンの写真を目にした沙織たちは、甘いもの好きな女子らしいきゃっきゃとしたリアクションを見せている。


「へぇ、よさそうですね。大きさも丁度良さそうだし、お言葉に甘えて注文しちゃおうかな?」


「私も今日は羽目を外しちゃお~っと! 折角だし、みんなで美味しいものを食べたいしね~!」


「……それ、1人1つだけ、なんでしょうか?」


「ざ、残念ながらそうみたいっすね……っていうかスイちゃん、あれでまだ足りなかったんすか? 結構な量を食べてたと思うんすけど……?」


 まだお腹がいっぱいというわけでもないし、プリン1個分なら十分にお腹に余裕がある。

 食事の締めに食べるデザートとしては最適なそのメニューを注文するという意見で固まった話し合いを終えた梨子は、早速手を上げて店員を呼ぼうとしたのだが――


「……すいません。俺、デザート要らないっす。腹いっぱいなんで」


「え……?」


 ――零が発した、その意外な一言に気を取られた彼女は、驚きに染まった表情を浮かべながら彼の方を見やった。


 彼の発言を予想外に思ったのは梨子だけではなかったようで、2期生たちも驚きながら零へと次々に言葉を投げかけている。


「えぇ? あんた、そんな少食だったの? っていうか、大盛も追加注文もしてないんだから、まだまだ食べられるでしょ?」


「大丈夫、ですか……? もしかして、お体の調子が悪くて食欲がない、とか……?」


「いやいや、本当に腹いっぱいなだけっすよ。朝飯をガッツリいっちゃったから、そのせいだと思います」


 訝しむ天の言葉も、心配するスイの言葉もさらりと受け流した零が静かにコーヒーを啜る。

 そんな彼の様子を見ていた梨子はある可能性に思い至ると、出来る限り明るい雰囲気を纏いながら零へと声をかけた。


「も、もしかしてなんすけど、これ以上自分にお金を払わせるのが忍びないと思って遠慮してるんすか? だったら気にしないでいいっすよ! 自分、そんな貧乏してないっすし、零くんが甘いもの好きなのも知ってるんで、遠慮してほしくないっすから!」


「加峰さんもそう言ってくれてるし、甘えちゃえば? 下手に遠慮する必要もないって~!」


「……すいません。本当に腹いっぱいなんです。折角の機会なのに申し訳ないんですが、遠慮させてください」


 ……何かがおかしいと彼女たちが気が付き始めたのは、この辺りからだった。

 なんというべきかはわからないが……今の零は、彼らしくない。こんなに頑なに誘いを固辞するだなんてのは、明らかにおかしい。


 もちろん、本当に彼が満腹でこれ以上何も食べられない状態であるという可能性も十分にあり得る。

 だがしかし、今の零の様子を見る限りは、お腹がはち切れんばかりに何かを食べたという雰囲気がまるで感じられないのだ。


 それに、彼の性格を考えるならば、梨子や同期たちからここまで言われたとしたら、無理をしてでもデザートを食べようとするだろう。

 たかだかプリン1つならば頑張れば腹の中に納まるだろうし……と、本当にらしくない彼の反応に疑念を深め始めた梨子たちの視線を一身に浴びる枢は、その眼差しから逃げるようにして立ち上がるとぼそりと言う。


「お手洗い、行ってきます。デザート、食べちゃっててください」


 そう言って足早にトイレへと向かう零の後ろ姿を困惑しながら見送っていた梨子であったが……そこで、少し前まで彼と会話していた有栖の表情が、自分たちとは少し違うことに気が付く。

 彼女の表情は驚きと困惑というよりも、どこか零のことを不憫に思っているような物悲し気なものであり、ただ驚き、戸惑っている自分たちとは毛色の違う感情を抱いている気配を感じ取った梨子は、有栖に声を掛けようと口を開きかけ……それを、閉じた。


 どうしてだかはわからないが、今、ここで、この話題に触れるのはマズいという直感が、彼女の行動を止めたのである。


 ほんの数秒だけしか見ていないはずの有栖の表情を脳裏に焼き付かせた梨子は、胸の内に燻る苦し気な感情を抱えたまま、自分たちの下から去っていく零の後ろ姿を黙って見つめ続けるのであった。


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