ちょっとした修羅場と、契約



「は、話ね? わ、わかった。今ドアを開けるから、ちょっと待ってて……!」


 冷静に……努めて平静を装いながら自分の部屋を訪ねてきた有栖に接する零であったが、その胸中は実に不穏であった。


 別段、何も彼女に遠慮することもないし、やましいことがあるわけでもない。

 だがしかし……どうしてだろうか? こんなにも緊張と動揺を抱いてしまうのは。


 まるで彼女の留守中に浮気相手とイチャイチャしていたら、忘れ物をした彼女が家に戻ってきたような……そんな感覚が零の心の中に溢れている。

 どうしてだか罪悪感を覚えてしまうこの状況に困惑しながらも、零は落ち着きを取り戻すべく自分自身に言い聞かせるようにして声には出さず頭の中でこう唱えた。


(大丈夫! 年下の同期を家に連れ込んで、その子は半泣き状態で、2人だけの秘密を抱えたりなんかしちゃってるけれど、別に有栖さんに顔向け出来ないような何かはしていない! 大丈夫、大丈夫!!)


 何がどう大丈夫なのかはわからないが、自分が有栖に責められるようなことはしていないという部分だけは間違いない。

 そもそも別に自分たちは恋人でもなんでもないわけだし、仮に零がスイを家に連れ込んでいようともなんの問題もない……わけではないが、浮気や二股といった恋愛事情に関しての問題にはならないはずだ。


 とにかく、有栖を部屋に招き入れて、話を聞こう。きっと彼女も2期生コラボに関しての何かを自分に相談しに来たんだろうし……という考えの下に玄関へと向かおうとした零であったが、その足を土下座状態であったスイに掴まれたことで、見事につんのめって廊下へと顔面からダイブする羽目になってしまった。


「へぶっ!?」


「わ、わんつかちょっと待ってけ、阿久津さん! 入江さんばどうするつもりだが!?」


「いっでぇ……! ど、どうするって、家に入れるつもりですけど……?」


「まさがおいの訛りのごど話すたりすねよね!? そったごどされだっきゃ、わー全力で大泣ぎすますよ!?」


「どんな脅し文句っすか!? 安心してください、そんなつもりはないですから。取り合えず、有栖さんが来るまでにその泣きべそかいた顔をどうにかしておいてくださいよ」


 思いっきり床に打ち付けた顔を擦りながら、大慌てするスイへとそう告げる零。

 それでもまだおろおろしている彼女を放置して玄関先で自分を待ってくれている有栖を迎えに行った彼は、掛けていた鍵を外すとドアを開け、そこに立っている有栖へと声を掛けた。


「待たせてごめん。取り合えず、中に入ってよ」


「うん、お邪魔します……あれ?」


 零の招きに乗った有栖は、軽くお辞儀をして挨拶をする際に玄関に見慣れない女物の靴があることに気が付いたようだ。

 ぴたり、と動きを止めてその靴へと食い入るように視線を向ける彼女の姿に異様な緊張感を覚えた零は、すぐに状況の説明(弁明と言った方が正しいかもしれない)をしようとしたのだが――


「……お邪魔、しています……」


「あっ……!? 三瓶、さん……?」


 それよりも早くに、素の自分を隠した無口モードに戻ったスイが姿を現し、有栖へと挨拶をしてきた。

 予想外の人物の登場に驚いた有栖は、スイの目の下に薄っすらと涙の跡があることに気が付いて息を飲む。


 ……何故だろう? どうしてだろう? 何も悪いことはしていないのに、こんなにも罪悪感を感じてしまうのは?

 驚く有栖の顔を目にしながらそんなことを思った零は、彼女がなにかよからぬ誤解をする前にしっかりと事情を説明しようと口を開こうとしたのだが、それよりも早くに声を発したのは有栖の方であった。


「零くん、三瓶さんの相談に乗ってたんだね。ご、ごめん、私、2人の邪魔しちゃったね……」


「え? い、いや、そんなことないよ? 相談に乗ってたっていうのは確かにそうだけど、有栖さんが邪魔したってことは別に――」


「わ、私、今日は帰るよ! 話はまた別の機会にってことで! それじゃあ、お邪魔しました!」


「あっ!? ちょ、有栖さんっ!?」


 ドタバタと、慌ただしい音を響かせながら部屋を出て行った有栖の背中に手を伸ばす零。

 事情は正しく把握してもらっているはずで、彼女の行動も決して間違ったことではないはずなのに……やっぱり罪悪感が凄い。


 あの感じだと、有栖も自分に相談というか、不安を吐露したかったのだろうなと思いつつ、それをスイという先客がいたことで諦めたんだろうなと予想した零は、大きく溜息を吐くと共に小さな声で呟いた。


「後で連絡取っておかないとな。話はそん時にでも聞くか……」


「あ、あの~……わー、2人の邪魔すてまりますたがね?」


「ああ、いや、気にしないでください。ただちょっとタイミングが悪かっただけなんで……それより、折角有栖さんが気を遣ってくれたんです。三瓶さんの問題について話し合いましょう」


「は、はい!」


 ぴしっ、と背筋を伸ばして零へと向き直ったスイが、不安気な視線で彼を見つめる。

 その視線と、先程の彼女の必死の懇願と、自分たちの現状について振り返った零は、暫し悩んだ後で顔を上げると、スイへとこう尋ねた。


「三瓶さんの要望は、訛りを隠したままVtuberとして活動して、標準語を普通に話せるようになりたい……そういうことで合ってますか?」


「は、はい! そうです!」


「……わかりました。あんまり乗り気はしないですけど、秘密を知った上で見捨てるのは後味が悪いですし、なにより薫子さんから面倒を見てやってくれって頼まれてますしね。俺に出来る限りの範囲で、手を貸しますよ」


「ほ、本当だが!? ありがとうございます!!」


「ただし! ……三瓶さんも2期生コラボに対してもう少し積極性を見せてください。ぶっちゃけ、俺たちの間に広がってる不和の元凶は三瓶さんの無口さにあります。事情はわかりましたけど、だからといって全員が一丸となって取り組んでるコラボ企画の会議に参加しなくていいわけがない。上手く話せないなりに、自分の意思を伝える努力をしてください。わかりましたね?」


「は、はい……!」


 正直に言えば、スイが訛りを隠し続けることには賛成出来ない。

 コンプレックスがあるとはいえ、秘密を持ち続けることには限界があるだろうし、いっそバラして武器にしてしまった方が人気が出ると零は思っている。


 だが、本人がその案に乗り気にならない以上、零がスイに対して訛りを公表することを強制することは出来ない。

 ならば彼女の要望に沿って力を貸した上で、それを彼女に2期生コラボに対しての積極性を見せるよう説得するための材料として扱った方がいいと判断した零は、見事にその交渉を成功させた。


 問題は、また厄介な事情を抱えてしまったということだが……まあ、もうそれも今更という話だ。

 2期生コラボの成功のためには同期の団結が必要不可欠。そのためには、スイを話し合いの場に引っ張り出し、他のメンバーとの足並みを揃わせなければならない。


 有栖も、沙織も、天だって、初の同期コラボを成功させるために一生懸命頑張っている。

 ならば、自分も自分に出来ることをすることが筋であろうと……そう判断した零は、緊張と喜びを同居させた表情を浮かべているスイをちらりと横目で見ながら、一人呟いた。


「これで、上手く話が進んでくれりゃあいいんだけどな……」

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