俺からの、交換条件



 過去との決別……それは、言葉にすれば簡単だが、実際にやろうとすると相当に困難な行為なのだろう。

 過去に紐づく悲しみと苦しみを切り捨てるためには、それと同等の痛みを感じなければならない。そして、苦しいだけの過去なんてものも、大概にして存在していないのだ。


 【SunRise】であった過去と決別するということは、グループで経験した思い出を振り払うということ。

 友人たちと苦労を分かち合い、成功を共にした楽しい思い出も過去のものとして、もうそこには戻れないという覚悟を決めて前に進むという沙織の言葉には、それ相応の重みがある。


 しかし、これは必要な行動なのだ。

 沙織のためにも、【SunRise】メンバーのためにも……彼女たちは、過去を振り払わなければならない。


 かつて共に活動していた李衣菜たちを想い、今現在Vtuberとして共に活動する零たちを想っての沙織の決断を尊重した零は、彼女から与えられた役目が自分が思っているよりも重大であることを再確認してから、その意気込みを言葉として沙織に伝える。


「……はい、わかりました。喜屋武さんの想い、絶対に小泉さんや【SunRise】の皆さんに伝えてみせます。だから喜屋武さんは、歌配信の準備に集中してください」


『ありがとうね。本当、零くんには色々と面倒な役割を押し付けて申し訳ないな~』


 申し訳なさと自分に対する気遣いを感じさせる声で沙織が笑う。

 そうやって、彼女からの謝罪を受けた零は、ほんの少しだけ沙織の態度に対する不憫さというか、憐みのような感情を抱いていた。


 確かに2年前、彼女は引退の際に判断を誤ったかもしれない。

 共に活動してきた仲間やファンたちに何も伝えず、唐突にグループを脱退し、芸能界を引退してしまったことは、失態といえば失態だ。


 しかし……最も問題があるのは、沙織ではなく【ワンダーエンターテインメント】ではないのだろうか?

 【SunRise】のデビューに固執し、騒動を大きくせぬように情報統制を敷こうとしながらもそれすらも失敗し、ただただ沙織が何も告げずに芸能界から去ったという事実と、彼女を引退に追い込んだ裏切り者を身内に残したままという事態を招いてしまった事務所側こそが、最大の原因であると言っても過言ではないだろうと零は思っている。


 沙織の行動に関しては、十分に情状酌量の余地があるはずだ。

 たとえ仲間であったとしても、自分がファンに襲われて消えない傷を負ってしまったということを伝えるのにはかなりの勇気がいる。

 そして、仲間だからこそ、もう一緒にステージに立てないということを告げることが出来ないという心情は、零にだって十分に理解出来た。


 沙織に非がないとは言うことは出来ない。だが、沙織の非は決して大きなものではない。

 だがしかし、世の中に蔓延しているのは彼女が異性関係の問題でスキャンダルを起こし、アイドルを引退せざるを得なくなったという事実無根のデマばかりだ。


 この状況だけは何とかしたい。沙織に全責任があると思っているファンの意識をどうにかして変えたい。

 そして、真に問題がある【ワンダーエンターテインメント】が2年前の負債を支払わなければならない状況へと、どうにかして話を運ぶことは出来ないだろうか?


 究極的に突き詰めて考えてしまえば、この騒動の問題はここにあるのだ。

 炎上はいつか収まる、悪評もいつかは消えるかもしれない。だが、真実は公開されなければ、一生闇に葬られたままとなってしまう。


 仮に今回の騒動が上手く収まったとしても、【SunRise】は沙織を引退に追い込んだ裏切り者という名の爆弾をこれからも抱えたまま、活動していくことになるかもしれない。

 それが三度爆発する可能性は否定出来ないし、彼女たちがこれからも活動していくにあたって、この問題は絶対に解決しなければならないものであるはずだ。


 どうにかして、その裏切り者を追い詰めることは出来ないだろうか? 【ワンダーエンターテインメント】に、2年前の真実を公表させる方法はないだろうか?


 そう考えながら、ちらりと自身のスマートフォンを見やった零は……思考を構築しながら、小さく頷く。


 、方法はある。だが、自分1人では実現は不可能だ。

 それを実現するためには、多くの人たちの力……今、ネット上で争いを続けているVtuberとアイドル、それぞれのファンの力が必要だった。


 彼らが争うことで生み出されている炎上の激しさは、かなりのものだ。

 その熱を、炎を、そのまま【ワンダーエンターテインメント】のみに向けることが出来たのなら、事態は新たな展開を見せるはず。


 何かがあると、彼らファンたちに思ってほしい。沙織の引退は異性問題やスキャンダルなどが発端ではなく、複雑な状況が絡み合った末の事態であると勘付いてほしい。


 だが、その方法はどうする? いがみ合い、争う両者に手を組ませ、その上で2年前の沙織の引退についての疑問を抱かせる方法なんて、存在しているのか?

 ……そこまで考えた零は瞳を閉じ、数秒の思考にダイブすれば……その足掛かりとなるヒントが頭の中に浮かび上がってきた。


『えっと……本当に単純で、当たり前過ぎて馬鹿らしいって思われるかもしれないんですけど……その、ファンのみんなを止める方法で1番効果的なのって、沙織さんと【SunRise】の皆さんがなんじゃないでしょうか?』


 少し前、沙織と【SunRise】の炎上への対策会議で有栖が発したその言葉が、再び強い意味を持って零の思考を揺らす。

 もしも、沙織と李衣菜たちが険悪な雰囲気でないと、彼女たちがいがみ合っている状況ではないと、そうファンたちが思ってくれたのならば、少なくともこの騒動は収まるはずだ。


 その上で、沙織がアイドルとしてではなく、Vtuberとして芸能界に戻ってきたことに対する違和感のようなものをファンたちが感じてくれたなら。

 李衣菜たちが、沙織がグループを脱退した理由を知らないということがファンたちの間に知れ渡ってくれたのなら。

 そして、どうにかして裏切り者の尻尾を掴み、その正体を突き止めることが出来たのなら。


 話は、自分が思うような展開に進んでくれるかもしれない。

 【ワンダーエンターテインメント】が情報を公開せざるを得ない状況が、生み出されるかもしれない。

 そうなって初めて、この事件は本当の終息を迎えることとなるのだろう。


 【ワンダーエンターテインメント】が2年前から抱え続けている負債を支払うことで、ようやく【SunRise】は真の意味で活動を再開出来る。

 真実が知れ渡ってくれさえすれば、世間からの沙織を見る目も変わるし、彼女の名誉も回復するはずだ。そうなればきっと、沙織も自分を必要以上に責めることもなくなるだろう。


 だが、そんな風に事を上手く運ぶための作戦なんて、本当に存在しているのだろうか?

 その問いに対して、自問自答に対して、零が出した答えはこうだ。


 。100%上手く行くとは限らない。むしろ分の悪い賭けになるかもしれない。

 だが、沙織と李衣菜という2人のアイドルたちの性格と、関係性と、お互いのお互いに対する想いを知っている零には、この作戦が成功するのではないかという半ば確信に近い思いがあった。


「喜屋武さん、ちょっといいっすか? 頼みごとを聞く代わりに、俺からも喜屋武さんにお願いしたいことがあるんですけど……」


『おっ、なになに~? まさかお姉さんのおっぱいがお望みなのかな~!? やっぱり零くんも男の子、オオカミさんなんさね~!』


「ははっ、んなわけないじゃないっすか。俺がそんなゲスい男に見えます?」


 お馴染みのジョークを笑って流し、一拍間を空けて……零が、自身の頼みを告げる。

 その願いを聞き、PCの前で驚きに目を丸くした後で……ふわりと、小さな笑みを浮かべた沙織は、承諾の返事を口にしたのであった。

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