翌日、過去との対面

 翌日の【CRE8】本社。その社長室に呼び出された零が、ノックをした後に扉を開ける。

 僅かな緊張を感じながら、ほんの少しの躊躇いを覚えながら……ゆっくりとドアを開いた彼は、室内のソファーに座る人物の顔を見て、小さく息を飲んだ。


「やっほ。急に呼び出しちゃってごめんね、零くん」


「いえ……」


 大きく手を上げ、普段通りの笑顔を見せて、零を待っていた沙織が陽気な挨拶を口にした。


 初めて会った時と同じ格好の、胸を強調するようなタートルネックの縦セーターとデニムジーンズを身に纏った彼女は、周囲でなにも事件が起きていないような快活な姿を零へと見せている。

 昨日、事務所を辞めると言っていた時の暗い雰囲気は消え失せているが、その代わりに何か強い意志のようなものを発しているように見える彼女の姿に、零は感じていた予感を更に強めた。


 ……薫子から呼び出しを受けた際に、誰が自分を待っているかも彼女の口から聞いていた。

 沙織が、自分に話があると……そう告げられた時、彼はこれから大事な話をされるのだろうという予感めいた確信を覚えたものだ。


 これから沙織が自分に対して告げるであろう話の内容は、どう考えても2つに1つ。

 片方は、昨日の覚悟が変わらず、零からの制止を受けたとしても事務所を辞めるという意思を曲げられなかったという引退の宣言だが……今の沙織の様子を見るに、その可能性はなさそうだ。

 どちらかといえば、今の彼女にはどこかすっきりしたような雰囲気があるし、昨日のような諦めと怯えに支配されたような様子は見受けられない。


 ということはつまり……彼女が話すであろう内容は、もう1つの可能性の方が高いということだ。


 もう1つの可能性。それは、自身の過去について。

 沙織は今、ここまでの炎上を引き起こした【SunRise】というアイドルグループからの脱退と、芸能界の引退の理由についてを話そうとしているのだという確信を抱きつつある零は、緊張で早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、彼女の対面のソファーに座った。


「昨日は本当にごめんね~。私、駄目なお姉さんだよ~」


「あ、いえ……俺も生意気なこと言っちゃって、本当にすいませんでした」


「ううん、零くんが謝る必要なんてないさ~。君の言ったことは正しい。このまま私が引退しても、事態は何も収まらない。むしろ、【CRE8】のみんなや【SunRise】のメンバーに厄介ごとを押し付けて、逃げるだけになるだけだって……ホント、その通りだよ」


 昨日の自分の行動を、その行動を取らせるに至った迷走を、自嘲気味に笑った沙織が、自身に投げかけられた零の言葉を肯定する。

 逃げているだけでは意味がないと、過去に立ち向かう時が来たのだと、彼女の纏う雰囲気がそう物語っていた。


「実はね、昨日の夜、有栖ちゃんが私を訪ねて来たんだよ~。薫子さんから話を聞いて、私を引き留めに来てくれたみたいでさ……女の人と話すの、怖かっただろうに、一生懸命勇気を振り絞ってくれて……色々と、お話させてもらったさ」


「有栖さんが、っすか……!?」


 それは、零にとっても驚きの話であった。

 女性恐怖症を患っている有栖が、1人で女性である沙織を訪ねるなんて……と、にわかには信じ難い話に仰天する彼であったが、暫し後にその考えを改めるに至る。


 確かに有栖は気弱だが、自分の夢を叶えようと努力するだけの心の強さは有しているのだ。

 いつまでも誰かの陰に隠れ、怯えたままの少女でいるつもりなど、彼女にはない。

 前に進むために、強い自分になるために、Vtuberとしても人間としても成長していくんだと、そういう意思を秘めた彼女ならば、恐怖だって乗り越えられるはずだと、零は思った。


「……零くんも、李衣菜ちゃんと話をしたんだよね? あの後戻ってこなかったし、寮まで【ワンダーエンターテインメント】の社用車で送られてきたってところを目撃したスタッフさんも結構いるみたいだったしさ」


「……はい。無理言って、ちょっとだけ話をさせてもらいました」

 

「そっか……ごめん。自分から聞いておいて馬鹿みたいだけど、この話はここで終わりにしてもいい? 李衣菜ちゃんが私のことをなんて言ってたか聞くの、ちょっと怖いんさ」


「……うっす」


 自分の弱さを見せ、力なく笑いながらそう告げた沙織の言葉に、零が頷く。

 零の目には、今の彼女の姿が女性恐怖症であることを告白した有栖と重なって見えていた。


 夢に向かい、一生懸命に努力するのが【CRE8】所属のVtuberであることの条件だと、薫子は言っていた。

 同時に、そんな彼女たちにはリスナーたちだけでなく周囲の人間にも言うことが出来ない弱さや醜さ、闇を抱えているとも言っていた。


 それに寄り添うことが、『蛇道枢』としてデビューした零の役目の1つであると……自分自身もまた大きな闇を背負い、苦しみや辛さを存分に味わったことのある零だからこその使命を思い返す彼の前で、沙織がとうとう話の本題に入る。


「……話を戻そっか? 昨日ね、勇気を出して引き留めに来てくれた有栖ちゃんの姿を見て、私もこのままじゃいけないって思えたんだよ。逃げちゃダメだ、ってそう思えた。だから、引退なんかせずにもう1度『花咲たらば』として頑張ってみようって思ったんだ。その決意表明と、昨日、私の辞表届を破ってくれてありがとうってことを、まず零くんに伝えさせて」


「……はい」


 まず……その言葉をそのまま受け取るならば、これ以外にも自分に話したいことがあるということだ。

 それがなんであるかを既に予想している零の前で、その予想通りに事を運んでいく沙織が、静かな声で話を続けていく。


「それで、ね……昨日、有栖ちゃんにはきちんと話をしたんだ。私がなんでアイドルを辞めたのか、ってことについてさ。昔、何があったのか? どうしてアイドルを辞めたくせにVtuberとして戻ってきたのか? その理由も、全部お話した。色々とショックだったみたいだけど、有栖ちゃんは私の話を聞いてくれたよ。本当にいい子だよね~!」


「その意見には心の底から同意しますよ。有栖さんは、本当にいい子です」


「大事にしてあげなよ~! ……って、いけないいけない。また話が脱線しちゃったね」


 からからと笑いながら、同じく笑みを返してくれた零の様子に少しだけ安堵した雰囲気を見せながら、沙織が言う。

 この場に似つかわしくない明るい笑顔も、これから話す自身の過去の重さを少しでも和らげようとした彼女なりの気遣いなのだろうと零は思った。


「……うん。で、だ……薫子さんは勿論、私を採用する時に事件の全てを知ってる。有栖ちゃんには昨日お話した。今回の事件で迷惑をかけちゃった人たちの中で、まだ私がきちんと話をしてないのは、零くんだけなんだよ。だから、さ……この機会に、全部話しておこうと思ったんさ。私の、過去について……」


「………」


 予想通り、と聞けば、話が順調に進んでいるように思えるだろう。

 しかして、零と沙織は社長室の中に漂う暗く重い雰囲気を痛い程に感じ取っている。


 1人の人間の人生を狂わせ、その後の将来にも大きな影を落とした、2年前の事件。

 今現在も多くの人々を巻き込んだ炎上の火種となったその事件について、その当事者が話をする時が遂にやって来た。


 きっと、いや……絶対に、それを話すことは沙織にとって辛いことなのだろう。

 他人には想像の出来ない、苦しみと痛みを伴う過去を、自ら決意して彼女は告白しようとしている。


 それがきっと、自分たちの未来を切り開く道標になるはずだと信じて、己の弱さと苦しみを曝け出すことを決めた沙織であったが、最初の切り口をどう踏み出すか迷っているようだった。


「う~ん……さて、どう話すべきかな~? 自分から話そうとすると、色々と伝えなきゃいけないことがあって迷っちゃうね~」


 照れたように笑い、困ったように首を傾げ……どこから話を始めたものかと悩む沙織。

 まだ心の何処かで、この痛みを曝け出すことへの怯えが残っているのだろうな……と、自分自身の臆病さに辟易としながら零の様子を伺った彼女であったが、その零の方から話の取っ掛かりが差し出された。


「……喜屋武さん。実を言うと、あなたがアイドルを辞めた理由って、もしかしたらこれなんじゃないか……って、思うものはあるんです。少なくとも、これまでのあなたを見て、どうしても引っかかってる部分が俺にはある」


「……へぇ? そうなの? それじゃあ、名探偵零くんの推理を聞いちゃおっかな~!」


 自分の過去を、秘密を、射貫くような視線を向ける零と対面した沙織は、むしろそれを好ましく思いながら笑顔を浮かべた。

 最後の一歩を踏み出せない自分に代わって、あちら側から距離を詰めてくれようとしている零に感謝しながら、彼の話を促すようにして質問を投げかける。


「さあ、零くんの気になってる部分は、どこだ!?」


 彼女の問いに対して、少しだけ躊躇った様子を見せた零は……ややあって、右手の人差し指であるものを指し示しながら、口を開いた。

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