第41話「銀髪少女の外出」
風の精霊達から、森の至宝とすら言われているフォレストウルフの肉の実食レポートを、一言で伝えるのならば。
何この
という感じだった。
先ずナイフを前後すること無く、入れただけでスッと切れる繊細な柔らかさ。
恐る恐る口に入れたら、脂身なんてまったくない赤みの力強くも深い味わいが襲ってきて。
次に噛めば、自然と肉の繊維が解けて第二波の旨味の津波に、オレ達は全員ノックアウトさせられた。
狼の獣臭さなど全く無い。
正にムダな部分など全く無い〈森の宝箱〉と表現されるだけの一品である。
「フォレストウルフの肉、美味かったな……」
アストラルオンラインからログアウトして、VRヘッドギアを外した蒼空。
ゲーム内で口にした仮想の肉の余韻に浸りながら、壁に掛けてある時計に視線を向ける。
日本の時刻は午後14時30分頃。
ということは、アメリカのクロ達が住んでいる地域は深夜0時30分頃だ。
彼女にはログアウトして寝てもらわなければ、保護者によってオレが殺されてしまう。
流石に昨日怒られたばかりで、詩乃の逆鱗に再度触れるわけにはいかない。
第一に身を守るために、そして第二に昼時なので自身も昼食を取るために、一度ログアウトをする事にしたのだ。
「しっかしクロは甘えん坊だなぁ、小学生の時の詩織を見てる気分だわ」
部屋を分けようとしたのだが、今回もクロとアリアにゴリ押しされて、一緒のベッドでログアウトする事になってしまった。
またログインしたら、テントの時と似たような状況になるのだろうか。
……同じ失敗はしないように気をつけよう。
クロは、アリアの顔をじっと見てると、えっち認定してくる。
オレ覚えた。
胸に刻みながら水分補給を済ませると、蒼空は自室から出て一階に下りる。
すると、いつもこの時間帯にはリビングにいる筈の妹の姿は、今日はそこにはなかった。
今回は忙しく、イベント戦で手が回っていないようだ。
見たところ、昼食の準備は全くされていない。
あの真面目な詩織が準備できない程、リヴァイアサンの前哨戦のイベントに苦戦しているのか。
「うーむ、困ったな」
テーブルに歩み寄ると、何やら自分の服と書き置きを見つけた。
内容を見てみると、蒼空は思わず二度見する。
たまには運動しないと身体に良くないので、お昼は遠くのコンビニで買ってきて下さい。
私は、ピリ辛トマトチーズベーコンペペロンチーノをご所望します。
と、そこでしか売ってないパスタの弁当の希望と共に、そう記されていた。
筆跡は、紛れもなく詩織の文字。
中々な指令を下してくれるものだ、と蒼空は頬を引きつらせる。
うーむ、この姿で外に出るのは嫌なんだけどなぁ。
自分で言うのも何だが、この辺を銀髪碧眼の美少女が出歩いてたら、嫌でも人目を引くだろう。
もしも知り合いに会ったら、と想像すると、恐ろしくて震える。
「でも、いつまでもこのまま引きこもってるわけにもいかないよなぁ……」
冷静に考えると、夏休みが終わったらいずれは学校に行かないといけないのだ。
クラスメート達は、どんな反応をするのか。
そして何よりも、親友の真司と志郎はどんな顔をするのか。
考えるだけで、憂鬱になる。
すると、何かが足にすり寄ってきた。
ふと足元を見下ろすと、普段は母さんの部屋で寝ている肥満体型の白猫のシロが、身を寄せてこちらを見上げている。
「にゃ〜」
「詩織からごはんを貰いそこねたのか?」
予想が当たっているのか、シロは鳴いて頭突きをしながら、オレの足元をくるくる回る。
相変わらず、おねだりが上手な子だ。
戸棚に行き、猫専用のごはんを入れる器を手に取ると、タッパーに入れているドライフードを適量入れてあげる。
行儀よく座って待っているシロの前に置いてあげると、シロはゆっくりと食べ出した。
……シロを見てると、何だか色々とどうでも良くなってきたな。
後ろ髪を掻いて、蒼空は苦笑する。
あまり気乗りはしないけど、希望のパスタは買っておかないと、妹様に色々な意味で怒られそうな気がする。
こうやって外に出す機会を与えてくるところから察するに、引きこもりに慣れる事を彼女なりに心配しているのだろう。
「仕方がない、行ってくるか」
心に決めた蒼空は、ご丁寧にも妹殿が用意してくれた、目立つ銀髪を隠す為の白と黒の半袖のパーカーを手にする。
財布は、ポケットに。
格好は七分丈の綿パンに、ブイネックの半袖のTシャツ、その上にパーカーを羽織る形だ。
フードを被れば、一番の特徴的な銀髪は隠れて外には見えない。
うむ、これなら大丈夫だろ。
いざ出発の時。
蒼空は玄関でスリッパをつっかけると、1日ぶりの外に繰り出した。
◆ ◆ ◆
外に出てすぐにオレは後悔した。
アッッッッッッッッッツ!!!?
エアコンで快適な温度にしていた家の中とは全く違い、外は炎天下の地獄だった。
気温は38℃を記録して、上からも下からも熱気が襲いかかってくる。
汗はダラダラと流れ、正に7月後半の真夏って感じがした。
そんな灼熱地獄の中を歩く蒼空は、パーカーを脱ぎ捨てたい衝動にかられながらも、道の至る所に生えている〈精霊の木〉に感謝する。
「ふぅ、まさかこれに助けられるとは」
どういう原理なのか、僅かに発光している樹木。
触れてみると材質は普通の木で、特別な感じはこれといってしない。
こんなのが突然いたるところに生えてきたら、それはびっくりするだろう。
「ま、それはオレの身体にも言える事なんだけどな」
本来170センチくらいだが、今は150センチ前後と縮んだ身体。
しかもそれだけではなく、男から女に性別まで変わり、髪は黒色から輝くような銀髪に。
黒い瞳は碧い瞳になり、誰が見ても普通の顔立ちの少年は、誰が見ても美しい美少女に変わってしまった。
「やっぱつれぇわ……」
自然と、ため息が出る。
先程自販機で買ったスポーツドリンクを口にしながら、蒼空は歩きながら木の陰に避難しては次の陰を目指す。
他の歩行者も似たような事をしていて、みんな〈精霊の木〉の陰を利用して、極力日の下に出ないように気をつけている。
近所の若い主婦達は、オレの近くにある木下で、
「ゲームが現実になるなんて、ほんと信じられない」
「制作してるところが分からないなんて、怖い世の中になったわ」
「でも“神様”が選んだ冒険者の方達が、この状況をなんとかしてくれるみたいだから、私達は頑張って耐えるしかないですよ」
と、このファンタジーな状況を、受け入れているような会話をしていた。
その会話の中にある一つの単語に、蒼空は思わず足を止める。
神様?
そういえば、総理大臣や大統領達がアストラルオンラインの件を発表するときに、オレやクロはログインを優先にした。
だからどんな発表をしたのか、テレビの内容は全く知らないのだが……。
「あの、すみません。その神様ってなんですか?」
気になった蒼空は、思わず立ち話をしている主婦達に話しかける。
すると人当たりの良さそうな一番若い女性が、笑顔で答えた。
「総理大臣の説明が終わった後に、姿を現したお方よ。真っ白な髪で、金色の目をした、……見た目は君と変わらないくらいの女の子だったかな」
「なんでもこの世界の神様で、あたし達を救うために天上から現れたらしいわよ」
「不思議なことに、最初は神様って聞いて冗談かと思ってたんだけど、“声を聞くと本物の神様なんだ”ってみんな納得しちゃったのよね」
なにそれ怖い。
しかし、この人達は真面目な顔をしていて、とても雰囲気からは嘘をついているようには見えなかった。
……なんだか嫌な感じがする。
この現象がゲームのせいだと、素直に受け入れている事。
冒険者が、この現象を解決してくれると信じている事。
そして何よりも、神様の存在の事。
なんとも言えない不気味な会話に、蒼空の本能が、この場から離れることを推奨する。
「わかりました。親切に教えてくれて、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて、急ぎ足でその場を離れる蒼空。
すると背後で、
「あんな可愛い女の子、見たことある?」
「フードかぶってて分かりづらかったけど、目が碧色じゃなかった?」
「引っ越してきた外人さん……にしては日本語上手かったですね」
というやり取りが聞こえたが、全力で無視する。
早く、コンビニで買い物して帰ろう。
そう思って、蒼空は逃げるように走った。
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