外伝1.落ちてこい(SIDEニルス)

*****SIDE ニルス




 悪虐皇帝の右腕執事――その肩書きは、私にとって勲章です。


 いや、俺にとっても最高の栄誉だった。先代皇帝の時代を懐かしむ貴族を潰しながら、その罪を問われても鼻で笑い飛ばす。


 目の前で母を奪われた経験は、今も影を落としている。主君で親友のエリクも……あの日の記憶に魘されただろう。恐ろしくも悍ましい、だが我が母の命日である日は仕事を一切しない。たとえ戦時中であろうと。


 互いに顔を合わせることなく、その日だけは無言で息を殺して部屋に引きこもった。そんな不毛な日々はエリクが皇帝になることで変わり、だが命日の習慣は変化しない。当たり前だ。肩書き程度で癒される傷じゃなかった。


 そんな中、エリクが外遊先で見つけた奇跡――不思議な銀髪の女性はあっという間に主君の心を捕らえた。ベアトリス姫、属国ステンマルクの王太子妃候補であり、大賢者の娘だ。厄介な肩書きばかり持つ彼女を、主君はいたくお気に召したらしい。連れ帰ると言い出した。いつまで興味が続くか。そう思うが、ずっと続けばいいのにと願う。


 穏やかな笑みを浮かべて彼女を守るエリクの姿は、何か変化の予兆を感じさせた。隣にいて心地よい女性だ。傷つけられた今は臆病に身を竦めているが、心優しく穏やかな女性なのは間違いない。エリクの傷を癒やし、愛し、愛され、彼の特殊な性癖も受け入れるなら……彼女の肩書きと些細な秘密など問題ない。略奪を罵られる立場でもなかった。あくまでも虐げられた姫君を救出しただけなのだから。


 情報操作のことを考えながら乗り込んだ馬車の中で、エリクは彼女を労る。そこへ転がり込んだ侍女は、ベアトリス姫の関係者らしい。公爵家で彼女を守った唯一の専属侍女? 従者達と同じ馬車に拾い上げた彼女の調査を命じ、あの強い瞳を思い浮かべる。主君の為に命懸けで、悪虐皇帝の馬車に身を投げ出す。そのまま馬に踏み潰され、車輪に轢かれる未来もあったのに。


 目を閉じて、もう一度思い浮かべたのは、あの強い眼差し。思い定めた主君のために、命も体もすべて投げ出せる態度。震えながらもしっかりした声。傷だらけの手は、下働きかと思うほど荒れていた。ベアトリス姫の味方をしたせいで、虐げられたのだろう。栄養も足りてなさそうで、明らかに寝不足だな。隈も出来て、若い女性の魅力が半減だ。


 まあベアトリス姫も同様だが。再び走り出した馬車の中、主君であるエリクの合図を見逃さないよう注意しながらも、頭の中は彼女でいっぱいだった。


 ソフィと名乗った。あの子、たぶん……を持っている。主君の為に手を赤く染めても、笑って隣にいられる図太さと忠誠心の持ち主だ。あの子ならベアトリス姫に危険が迫れば、命を賭しても守るはずだ。最高の侍女で、護衛だった。多少鍛えるか。


 馬車が石で大きく揺れる。すでに膝枕で眠ったベアトリス姫は目覚める様子なく、小声で謝罪する御者に進むよう合図を送った。エリクの機嫌は悪くない。揺れを膝で吸収して、姫の眠りを守る役目に夢中だった。


 ふと我に返って額を押さえる。同類だからといって、道を踏み外すよう指導するのは違うか。そう諦めようとしたのに――飛び込んできたのはソフィ自身だった。


 己の主君の為に地位を得て、それに相応しい役目を果たそうとする。成長する彼女を見守りながら、囚われた自分に気づく。いつからか。そう問われたら、きっと出会った瞬間からだろう。自覚がなかっただけだ。


「逃がさない」


 愛する人を閉じ込めて愛でる悪虐皇帝の執事が、まともな男の訳がないだろう。そんな俺に目をつけられたのだ。運が悪かったな、ソフィ。互いの主君の為に命を削る環境で、俺に見初められるなんて――本当に、運がない子だ。


 さあ、落ちてこい、この手のうちに。

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