17.私に飽きたら?

 馬車の旅は退屈だ。でも行きと違って、帰りはトリシャがいる。とても穏やかな気持ちになっていた。こんな感覚、初めてかな。


 揺れる馬車の中で、トリシャは窓の外を見ようとしない。膝の上の手を組みながら俯いて、時々僕の横顔を盗み見ようとして……目が合うと慌てて背けた。解いた手をまた所在なさそうに組む。その繰り返しが可愛くて、声を立てて笑いたくなった。


 トリシャといると、いろんな気持ちが湧いてくる。不思議なことに、僕という存在が許された気分だ。血塗られた一族の末裔だから、他人に憎まれるのは慣れていた。罵られたり命を狙われるのも日常だ。なのに、どうして初めて出会った君が、これほど愛おしいんだろう。


 命を狙う存在かも知れないのにね。呪われた人生や血筋を終わらせてくれるなら、君の手がいい。君の心の奥底に傷をつけて、僕を忘れられなくなったら嬉しい。


「トリシャ、何か気になるなら聞いて」


「……エリクは、なぜ私を」


 いつもならここで「選んだの、って聞くのかい?」と尋ねたところだけど、トリシャはそこまで弱くないからね。守るべき存在で、僕の唯一で愛する人だ。そして僕が優先する存在だ。


 待ってあげる。この僕を待たせて許されるなんて、トリシャ以外いないよね。


「私を……選んで、くれたのですか?」


 うーん。そこは確定して欲しかった。僕は君を選んだし、トリシャに選ばれたい。いや、拒まれたら閉じ込める選択肢しか残らないか。でもトリシャ自身の意思で、僕を受け入れてくれたら幸せだよね。


「逆だ、僕は君に選んでもらったと思ってるよ」


 出会った瞬間を思い浮かべた。最低の婚約者に公然と罵しられた。その状況自体が王侯貴族としてあり得ないが、まあ頭の足りない王族だからお粗末なのはしょうがない。


「私が?」


「そう。出会った時を覚えてる? 君はあの馬鹿に背を向けて……泣いたと思った。でも違った。あの横顔に惹かれたんだ。膝を突いて乞うた僕の手を取ったのは、トリシャだよ。君自身が未来を選んだ」


 あの時君が泣いていたら、トリシャに興味を持たなかった。きっと声もかけず、そのまま見捨てたんじゃないかな。


「私はお側にいていいのですか?」


「ああ、トリシャの居場所は僕の隣。それ以外は許さないよ」


「お願いが、あります」


「何?」


 僕が少し口を噤むだけで、トリシャはこんなに話してくれるんだ。この声で紡がれる言葉は美しくて、僕の心に積もる。空っぽの器を満たしてくれるかもね。


 伸ばした手でトリシャの手を握る。緊張しているのか、冷たい。温めるように引き寄せ、薄く開いた唇を見つめた。あの唇を貪ったら、どんな声をあげるんだろう。頬を赤く染める? それとも青ざめるかな。


 まだ早いから我慢だけど、想像するくらいは僕の自由だと思う。昨日より濃いめのピンクが彩る唇から目が逸らせなくなった。


「私に飽きたら」


 そのさきは永遠に不要の言葉だ。僕がトリシャに飽きて捨てるとでも? 否定したい気持ちを飲み込んで、トリシャを見つめた。ああ、先ほどまで魅力的だった唇なのに、今は言葉を紡ぐ動きが厭わしい。


「捨てずに殺してください」


 言い切ったトリシャの唇は、きゅっと引き絞られた。決意を込めた声に、僕は身を震わせる。感激と歓喜に全身の肌が粟立つのがわかった。


 ――どこまで君は僕を惚れさせるんだろう。

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