Badend・Brat・Blood

藤原 司

第1話 我輩は魔王である

「──せ……目を覚ませ」


「……ん」


 眠りを妨げる声がし、少年は重い瞼を僅かに開く。霞む視界には人が立っていた。


 昨日は眠れなかった、だからもうちょっとだけ寝かせて欲しい。そう思い少年は声を無視して、再び瞼を閉じる。


「──カ……起きろ! 『舞田マイダ 未架ミカ』ッ!」


「ハッ!? ハイィ!?」


 目覚ましの怒号に起こされ、ミカは驚きのあまり勢いよく立ち上がって、何事かと辺りを見渡す。


 そしてようやく気づく。ここが学校である事に。


「……おはよう舞田くん よく眠れたかね?」


 皮肉を込めた言い方に、引きつった笑顔を向ける教師の顔。沈黙の中、生徒達はミカに視線を向けていた。


 状況を飲み込んだミカの顔は青ざめる。そして、今度は教室中の視線を独り占めしてしまっている事に気づくと、顔色は青から赤へと変わった。


「高校生にもなって居眠りとは 良いご身分だな舞田?」


「す……すみません」


「でも珍しいな 具合でも悪いのか?」


「ちょっと眠れなかったもので……アハハッ」


「もういい座れ どうせもうすぐチャイムが鳴る」


 常習犯であればここからは説教の時間だったのだろうが、普段のミカは大人しく、地味ではあるが真面目な生徒である。


 その為深くは追及はされなかった。残り少ない授業の数分は、朝、生徒達の前で校長が言っていた件にあてられ、授業の代わりに改めて伝えられた。


「校長先生も言ってたが……近頃『通り魔事件』が多発してる 時間帯は夜らしいから 遅くに出歩かないように」


「えぇ〜?」

「うそ〜!」

「やだ〜!」


 各々抗議の声を上げるが、こればかりは我慢しろとため息を吐きながら言う。


「ニュースぐらい見ただろ……誰が狙われるか分からない以上 お前達だって例外じゃないの」


 現状この事件での死者は出ていないが、被害者が多い。犯人の人相も分かっていない為、警察も捜査が難航していると、ニュースでも報道されていた。


「そもそも夜に出歩くんじゃねえよ 先生達見回りしてるから 見つけたら即捕まえるから」


「オレらじゃらなくて犯人捕まえてよ」


「それは警察の仕事!」


 教室に笑いが起こる。ここは当たり前の平和な日常を過ごす、これといって変わりの無い、ごく普通のクラスである。


 チャイムが鳴り、日直が号令をした。これで今日は最後の授業。

 あとは掃除の時間と帰りのホームルームが終わりさえすれば、家に帰ってゆっくり休めるだろう。


そろそろ・・・・かなぁ)


【──……】


 それは、ミカにしか聴こえない"ノイズ"だった。


(最近良く聴こえるなぁ……前は夜だけだったのに)


 ノイズは突然始まった。何の前触れも無く、それは他に誰もいない帰り道でも、親が帰っていない家でも、一人でいる自分の部屋でさえも、そのノイズは聴こえてくるのだ。


(でも病院は嫌だなぁ)


 相談しようにも怖くて出来ずにいた。幸い痛みは無く、聴こえなくなるのを待っていれば、いつも勝手に消えた。


(それに──)


 めんどくさい・・・・・・。それが一番の理由である。


(心配かけたくないし 原因が分からなかったら逆に怖いし なんか慣れちゃったし)


 一番ダメなパターンなのだが、とにかくめんどうになりそうだという理由で、この症状は一週間放置されているのだ。


(あ……消えた)


 このノイズは一日一回、今日はもう聴こえてこないだろうと胸を撫で下ろし、帰りの支度を済ませた。


 現状に不満は無く、何の変哲も無い日常で起こる異音の正体を知りたいとは思うが、放置してしまうのはミカの性分である。


(結構やばい病気だったりして……そう考えるとやっぱり病院……かなぁ?)


 でもでもと、自分に言い訳をして行きたがらないミカ。何とかして自力で治したいと模索するも、解決策など思い浮かぶ筈もなかった。


 何故ならこの異音の正体は、この"世界"の誰であっても、解決出来る代物では無いのだから。






「ハヘェ〜疲れた〜……」


 家に帰り着くと、情けない声を上げてベッドへ身を委ねる。ミカはこの瞬間をこよなく愛していた。


 ミカは己の自堕落ぶりには自覚があっても、直すつもりは一切無い。

 咎められ無い最低限の礼儀と、最低限の交友関係を築いてさえいれば、後は好きにだらけてしまいたいのだ。


 事件に巻き込まれず、平穏であればそれで良い。だから現状に不備は無いと、満足しているのだ。


【嘆かわしい──それでも我輩の器か?】


「──へ?」


 独り言にまさかの応えが返って来た為、ミカは思わず気の抜けた声が出る。


【漸く目醒めたぞ】


 頭の中で声が響く。外からではなく、内側から聴こえてくる不気味な声に、ミカは何が起きているのか分からなかった。


【我輩は『ベルフェゴール』 "怠惰"を司る七欲の魔王である】


 部屋にはミカ一人だけ。親もまだ帰って来ていないのなにもかかわらず、この声は聞こえる。


【……何をしている?】


 ミカは誰もいないか辺りを見渡し、ベッドの下を覗き込む。

 机の下も覗き、次は本棚を入念に調べ、カメラやマイクなどが無いかを入念に確認した。


「……何も無い」


 椅子に腰掛け、ため息を吐く。ミカは何となく察してはいたが、やはり内側から聴こえているのだと、改めて確認して納得する。


 どうなっているのだと、唸りを上げながら必死に考え、ミカはついに答えにたどり着く。


「──夢だ!」

【戯け】

「アイタッ!?」


 激しい頭痛の代わりに、今度は顔面に殴られる痛みを感じた。


「拳が勝手に!?」


【理解力の低い奴だ 我輩がお前を動かしたのだ】


 夢ではない。が、全く信じ知られない謎の現象に、ミカの頭が追いつかない。


これが我輩の後世・・・・・・・・とはな……信じられん】

「ええと……『後世ごせ』って?」


 後世とは。端的に言えば前世の反対、つまり『生まれ変わり』を指している。


【貴様が今世で我輩は前世 吾輩からみればお前は後世であろう?】

「ややこしい」


 つまり、突如として、ミカの脳内に『魔王を名乗る人格』が覚醒したのだ。到底理解出来るものではない。


【理解しろ】

「アイタッ!?」


 問答無用でゴリ押される。


【──外に行くぞ】


 魔王を名乗る人格は、何かを思いついた様子でミカに命令を出す。

 ミカとしては、外に行くなら病院だろうと考えるのだが、魔王の目的は違う。


「なんでまた急に」

【ほう? まだ従わぬと言うのなら……】

「お供させてください!」


 ミカは無駄な抵抗はやめた。






【我輩のいた世界には魔力の素──『魔素』がある】


 街の明かりは眩しいが、魔王の指示する行先は人通りの少ない、暗がりへと進む。


 目的は『魔力を貯める事』だと言う。その為に外に出たそうだが、ミカは当然の疑問を投げかけた。


「でもこの世界に魔素なんてないよね?」

【その通りだ そのせいで本来ならば転生直後に自我が芽生える筈だったというのに……十六年もかかってしまった】


 ところが状況が変わった。何故なら、この世界に微かにであるが魔素が発生している・・・・・・・・・からだ。


【理由は定かではないが ここ二ヶ月程で街に魔素が感じられる お陰で目醒められたが……何かの拍子に異世界への門でも開いたか?】


「行ってみたいな〜異世界」


 剣と魔法のファンタジー。一度は憧れるそんな世界にミカも行ってみたいと、呑気な事を口にする。


【死ねば直ぐにでも転生させてやろう】

「ウ〜ン ボクの人格は無いよね それ」


 魔王ジョークは心臓に悪い。ミカが胸に刻むと、遂に魔力が感じられるという廃ビルに着いた。


【中々風情があるではないか】

「やだなぁ……何か不気味」


 噛み合わない二人。魔王は嫌がるミカを無理矢理中へ進ませ、上へ上へと登らせる。


「疲れた……」

【脆弱な奴め】


 二十階建てのビルを、エレベーター無しで登った為、ミカが屋上に辿り着く頃にはヘトヘトになっていた。


「──血の匂い?」

食事時・・・のようだ】


 突如ミカの脳裏に『通り魔事件』が浮かぶ。

 何人も襲われているというのに、未だ犯人の人相が分かっていない、不可解な事件の事だ。


「もしかして……魔力の正体って!?」

【"アレ"だ】


 人がいる。だが、様子がおかしい。


 血走った眼で振り返って男の口元には、ブクブクと溢れる泡と、匂いの正体である『血』が滴り落ちている。


 そして、側には血を流して倒れている女性がいた。


〈ガァァァッ!〉


 叫び声を上げ、ミカを喰らおうと牙を剥いて男は襲いかかる。

 急いで屋上を出て下の階へと降りると、適当な部屋へ逃げ込み、息を潜めた。


「なんなのさアレ!?」

【『魔憑まつき』 だ 霊に取り憑かれたのだ】


 見失って遠くへと走っていったのを確認し、ミカの疑問に魔王は冷静に答える


【この世界の霊は生者への干渉は不可能だ 死と生には明確な隔たりがあるからな】


 死後の世界があるというように、死ぬという事は『別の世界へ行く』のと同義であり、他世界への干渉が出来ない。


【霊とは『思念体』だ 強い想いのみ現世に留まり 形となって顕れる 無論現世に影響を与える事は無い】


 しかし、均衡が崩れた・・・・・・


【魔素があれば別だ 神々が与えし奇跡の力だ 人の身体に取り憑くなど造作もない】


 そして人を襲う。一度形を成した霊は、人を襲い、己の存在を定着させる為に生き人を襲うのだ。


【一人も殺せていないのはまだ身体に自我が残っているからか だがあれなら今日が最後か】


 一刻の猶予も無い。一度取り憑かれ、自我を失ってしまえば、完全に取り込まれ、人の血を啜る怪物に成り果てるだろう。


「どうにか何ないの!?」

絶好の機会ではないか・・・・・・・・・・

「……え?」


【奴が完全に墜ちれば魔力は今より更に高まる 我輩の良い餌となるだろう 熟すのを待つのだ】


 ミカは言葉が出なかった。冷酷な事を言う魔王の言葉に、初めて『魔王』を実感するのだった。


「──嫌だ」


 ミカにはどうする事も出来ない。それは分かっているが、方法がある・・・・・事も分かっている。


「熟すのを待つって言ったけど それって奴を倒せるって事だよね?」


 ここに来たのは魔力を得る為であり、凶暴な魔憑きから魔力を奪うとなると、相応の何かが必要になるだろう。


 それを魔王は持っている。だからここに来るように言ったのだ。


【──それで?】

「今すぐ倒して」

【それは正義感か? 面倒事を嫌うお前が?】


 知ったような口ぶりで問いかける魔王。反論しようにも、紛う事なき事実である。


 その通りである。これは、決して正義感等では無い。


「……後悔するから・・・・・・ 絶対」


 助けられる人を見殺しにして、これからどうやって生きていけるのか。


 そんな思いを抱いて生きてなどいけない。これは、ただの『ミカ自身の為』である。


「だからお願い どうすれば倒せるの?」


【──フハハハッ!】

「うるさ!?」


 脳内に響く笑い声。耳を押さえても変わらないというのに、ミカは思わず耳を塞ぐ。


【流石は我輩の生まれ変わりだ! 何と『怠惰』な事か!】


 要するに『めんどう』なのだ。


 助けなければ後悔する。そんな思いがめんどうであり、その為に助けるのだ。


【ならば我輩に力を貸せ! 安心しろ! 五分で済ませてやる!】

「ウ〜ン本当かなぁ」


 もしかして嘘を言われるのではとも思うが、今縋れるのは魔王しかいない。だからミカは半信半疑で了承した。








 魔憑きはミカを探すのを諦め、屋上へと戻る。

 本能のままに、捕らえた獲物の血を啜る為に。


〈ガァ……?〉


 だが食料の目の前で腕を組んで仁王立ちし、食事の邪魔をする存在がいた。


「ご機嫌よう下等生物 そして──さようなら」


 この言葉はミカの言葉では無い。


 迸る魔力を放ち、黒い瞳は紅く染まり、自信に満ちた不適な笑み。


「頭が高いぞ 我輩は──『ベルフェゴール』である!」


 自分を俯瞰ふかんするかのような感覚に、ミカは戸惑うも、それを上回る力を見た。


 魔王の一欠片を、重くのしかかる威圧感、この場を支配する力。


 魔王の力で取り憑いていた霊がはじき出され、正体が顕となる。

 この無防備となった霊を倒し、魔王は力を得る。


「心地良い……気に入ったぞこの身体!」

【ちゃんと返してね】


 指先を少し傷つけ血を落とす。地面に落ちた血の一滴から、魔法陣は描かれる。


「我が血の一滴をもって顕現せよ」


 それは、魔王がたった一滴の血を魔力で増幅させ、作り出した鮮血の魔剣。


「『ブラッドブレイド』」


 魔剣は亡者すら容易く斬り裂く。そして葬った霊の魔力を魔王は奪い、糧とした。


「──良い事を思いついたぞ 舞田マイダ 未架ミカ


 どうせロクでも無い事だろうと思いつつ、ミカは諦めて魔王に訊ねる。


【何を思いついたの?】

「お前を『弟子』にする その方が都合が良い!」

【えぇ!?】


 拒否権など無かった。自身の身体を扱う魔王に、ミカは従うしか道は無く、魔王はミカに告げる。







「覚悟しろ 我輩はお前を──悪に墜とす・・・・・


 今ここに、最悪の師弟関係が誕生したのだ。

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