第2話 中編

「それじゃあ早速だけど。これ、着させてくれるんでしょ? ご主人様」


 立ち上がった成瀬はなかなかに上背があって、迫力がある。


(首輪付きのわんこのくせにご主人様を見下ろしている……!)


 いいのか、そんなことがあって、と気圧されてしまったが、おされている場合ではない。

 わたしは気を強くもって、睨みつけるようにして言った。


「そのくらい自分でどうにかしなさい。ご主人様の手をわずらわせないで」

「とはいっても、女の子の服は着たことがないからなぁ。じゃあとりあえずそのままそこにいてね? わからないことがあったら聞くから」


 そう言いながら、いきなりシャツのボタンを外し始めたので、わたしは慌てて顔を逸らした。


(脱ぐか! いや、脱がないと着られないでしょうけど、脱ぐんだ!? いきなり! クラスメイトの女子の前で! なんて破廉恥な! 羞恥心どこいった!?)


 心の中は大忙しで散々罵倒していたけど、命じたのはわたしだったし彼は忠実な下僕しもべの使命を果たしているだけであった。

 そのことを思い出して、(目を逸らしている場合ではないのでは!?)と思考が何周か大回転した挙句鋭く気付いてしまったわたしをさておき、しゅるしゅると衣擦れの音をさせていた成瀬は「これ、よくわからないな」と呟いていた。


「そこのご主人様。ちょっと手伝って」

「ええええ、わたしが!?」


 弾かれたように振り返ったら、首に首輪、裸にフリルシャツをひっかけただけの成瀬がこちらを見ていた。


「ご主人様以外、ここには他に誰もいないけど。いま、二人きりだよ」

「ちょっと待って。成瀬はなんでノリノリなんですか!? わたしをご主人様呼ばわりしてなんのつもり!?」


 焦って言ってしまったが、成瀬にはそれこそ「んんー?」と不思議そうな顔で見返された。


「逆に聞くけど。この異常な状況で俺はクラスメイトとしてご主人様を富樫さんって呼べばいいわけ? 『富樫さん、俺にこの可愛いシャツを着させてスカートはかせてよ』って」

「……それはそれでなんともいえない……」

「だろ? もう諦めてご主人様呼びに慣れようね。他に何があるって言うんだよ」

「そうだね……」


 納得しておいた方が良さそうな空気。

 しおしおとうなだれて頷くと、追い打ちのように声をかけられた。


「ということで、さっさと俺の着替えを手伝う。ほら、ご主人様。ボタンはここだよ。しめて」


 そのくらい。

 自分でやればいいと思う。


(ご主人様にやらせるのは、なんか違うよね?)


 と、思いつつも、貫禄のありすぎる飼い犬さまには逆らいにくく、歩み寄って胸元をかきあわせてボタンをしめた。

 ぴっちぴちだった。


「これ、下着とかつけなくていいの? スカートの下トランクスで大丈夫? なんだっけ。やっぱりこういうときはガーターベルトとか」


 成瀬は平然とした調子で、そんなことを言ってくる。


「別に女装してほしいわけでもなく……、単にメイドさんが見たいだけなので。ガーターベルトってなに? 実物見たこともないよ」

「そう。じゃあ、今度富樫さんにガーターベルトプレゼントするから使ってね。誕生日いつ?」

「八月だから夏休み中……」

「そうなんだ。確実に渡すために、連絡先を交換しておかないと」


 カースト上位のイケメンの手際は、さすがすぎる。

 わたしは、どう考えても答える必要もないことを答えていたし、約束させられていた。

 我に返って「誕生日プレゼントなんて、もらう間柄ではないです」とわたしは言ったけど、そのときには富樫はすでに、ベルトに手をかけてカチャカチャと音を立ててあっという間に前をくつろげ、ズボンを下げようとしていた。


「わあああああ!?」


 逃げた。

 退避して、部屋の隅にあった応接セットのソファの陰に隠れた。


「なにその反応。かわいいなぁ」

「普通の反応だと思います!! なんでいきなり女子の前でズボンおろしましたか!?」


 成瀬英志は変態だったのか!?

 と、非難がましく声を張り上げるわたしに対し、成瀬は極めて落ち着き払った声で言って来た。


「女子は女子でも富樫さんは俺のご主人様なんだよ? 見届ける義務あるんじゃないの?」

「え……、あるかな?」


(……あるかな?)


 恐る恐るソファの陰から顔を出して見ると、成瀬はすでにスカートを腰まで引き上げていた。


「ホックをとめて……これでいいのか」


 ぶつぶつと言いながら、正面でホックをとめてファスナーをあげている。それを後ろになるように、くるくると回していた。サイズは大丈夫そうだ。

 これでもうずり落ちたり脱げることはあるまい、とわたしはようやく人心地をついて、ソファの陰から立ち上がった。


「どう。似合う?」


 成瀬がにこりと微笑んできた。


(すごい)


 どこからどう見てもガタイのいい男なんだけど、それはそれとして顔がいいせいか普通に可愛くも見える。


「あとは、エプロンとヘッドセットをつけると、メイドさんの完成ですね!」

「その辺はお願い。勝手がわからないから全然できない。やってよ、ご主人様」


 素直に助けを求められて、わたしはまずはエプロンを手にした。

 成瀬の後ろに立って、前に手を回す。まるで抱きしめているかのような姿勢であったが、断じて違う。紐を後ろに持って来て、ぎゅっとウエストをしぼり、かわいくリボン結びをしてみた。


「頭は手が届かないから、座って。成瀬、背が高いから」

「うん。痛くしないでね」


 おとなしく椅子に座った成瀬の髪にヘッドセットをあててみる。幸いにもカチューシャ状になっていたのでつけるのは楽そうだったが、さらさらの髪を滑ってしまう。耳に髪をひっかけてみたりしながら、慎重にのせてみると、うまい具合にブラシ状になっている歯が食い込んだようで髪に留まってくれた。


(達成感……!)


 完成品を前に、わたしは感慨に浸ってしまい「ねえ、明かりつけていい?」と聞いてみた。


「うん、まあ、いいけど」


 答えながら、成瀬が突然わたしの手をがしっと掴んできた。

 あまりの力強さに、息が止まる。

 見下ろすと、恐ろしく真剣な目が見ていた。


「それで、俺は何をすればいいわけ、ご主人様」


 薄暗がりの中、筋肉メイドがわたしを見下ろしていた。


「ええ~……? それ、わたしが指示しなきゃだめ……?」


 片手を片手でおさえられただけなのに、猫の前足におさえつけられた雀みたいに歴然とした力の差を感じてしまった。

 もはや、生殺与奪は握っているんだぞ、くらいの圧迫感。


「当たり前だよね。俺にここまでさせて、まさか冗談だったなんて言わないよな。首輪つけてメイド服着させて部屋には鍵。で、どうする? ご主人様」


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