第205話ニーナとの話し
「お父様? 今日も来てくださったのですか?」
「ああ。悪いな、なんの報せもなしに」
「そんなことは! あ、今お茶を入れますね!」
宮野達と話した後はすぐに佐伯さんに連絡し、浅田と北原の家族を保護してもらった。その際に二人は電話で家族と話していたみたいだが、その電話を終えると簡単ながら荷物をまとめて研究所にやってきた。
そして今は、宮野達はそれぞれ用意された部屋に案内されて、荷物を置いたり施設の構造の確認をしたりしていることだろう。
まあこの場所の構造なんてそうそう覚えられるものでもないし、簡易的な地図かなんかが渡されるだろうが。
俺はアパートに置いてあった荷物の大半は装備品やそれの調整見使う道具。それか服が大半だったので、必要最低限のものだけカバンに詰め込んで持ってきただけだ。服も装備も、わざわざ持って来なくてもここで揃えられるからな。
一応それらも後で回収して持ってきてくれるらしいがな。まあこんな状況だし、武装やなんかはできる限り節約したいってのが人情か。
そんなわけで、その持ち込んだ最低限の荷物を詰め込んだ鞄を研究所の職員に渡して俺の部屋に持っていってもらい、俺はその間にニーナに話を通しておこうと思ってここにきた。
「昨日は大変だったみたいだな」
お茶を入れて俺の前に置いたニーナは嬉しそうな様子で俺の対面に座った。
そんなニーナにお礼を言ってからお茶を一口飲むと、俺はそう切り出した。
血は繋がっていないとはいえ、仮にも親子の会話としては情緒も何もあったものではないかもしれないが、聞くだけのことは聞いておかないといけないので仕方がない。
「はい。休んでいたところを起こされて五つものゴミ掃除をしろと言われた時は、思わず〝やって〟しまいそうになりましたが、なんとか堪えました」
ゴミ掃除か……。俺にとっては命懸けで何日もかけるようなゲートの処理も、ニーナにとっては一日に何個もこなせる程度の〝ゴミ〟でしかないわけだ。
わかっちゃいたが、やっぱりこいつは規格外だな。頼もしいことではあるが、それと同時にやるせない気持ちにもなる。
ニーナみたいな力の持ち主がいたらこんな異常事態でも楽に解決するんだろうが、この子が力を持った経緯や育ってきた環境を考えると、ニーナくらいの力を持った奴は他に生まれない方がいいと思う。
「そうか。それは何よりだ。お前も成長しているようで嬉しいよ」
だがそれでも、今生きているニーナに死んでほしいと言うわけではない。
むしろ生きてほしい。しっかりと生きて、幸せに笑っていてほしい。
だからこそ、ニーナが人間社会で生きるために力の制御ができるようになるのは望むところで、本心から嬉しいと思い俺はニーナを褒めた。
「本当ですか? でしたらまた一緒にどこかにお出かけしたいです!」
しかし、そう言われたことで俺はぴくりと反応して眉を寄せてしまった。
頑張ったのならそれ相応に褒美があるべきだと思うし、俺としてもニーナとどこかに出かけるのはやぶさかではない。
ただの街に出かけただけで喜んでくれるのなら、どこへ連れていっても楽しんでくれるだろう。
今はニーナも落ち着いてきたので多少無理を通すこともできるだろうし、時間的な制約も緩くなっているので前よりも行き先の選択肢が広がっていると思う。
だが、時期が悪い。
「あー、悪いが、それはできないな。お前も聞いているだろうが……今は救世者軍がやらかしたんでな。その対処をしているんだ。それが終わるまではどっかに遊びに行く余裕なんてないんだ」
「そう、ですか……あの者らは処理したはずですが、甘かったようですね……っ」
正確には救世者軍の前身となる組織だが、ニーナは自分を攫い、そして非道な実験をしていたその組織を潰している。
だが、それはあくまでもその場所は潰した、と言うだけだった。他の場所、他の国にあった拠点は潰すことはできていないし、その残党を吸収した救世者軍も同様のこと。
むしろニーナが捕らえられていた当時よりも巨大で過激な組織となっている。
そしてその救世者軍が今回〝事〟を起こした。
ニーナはそのせいでお出かけが出来なくなったことを知り、口惜しげに端正な顔を歪めてしまった。
「まあ、代わりってわけじゃないがこれからはこの騒動が終わるまで俺はここで寝泊まりするから、一緒にいる時間は増えるだろうな。だからそれで満足しとけ」
「本当ですか!?」
「ああ。俺もゲートの処理のために動かなくちゃならないからずっとってわけじゃないがな」
「なら、もっとお話ししたり、一緒に寝たり、お風呂に入ったりできるんですか!?」
……待て。話は、いいとしよう。普通のことだしな。寝るのも、まあギリギリ良し。見た目はアルビノで神秘的な美少女だが、中身はまだまだ子供で、俺たちの関係性は親子だ。だから一緒に寝るのもおかしい話ではない。
だが、風呂ってなんだ? 確かに親子なら風呂に入ることもあるだろう。だがそれは、もっと幼い感じの小学校低学年くらい、いっても中学年程度までの子供の話だ。ニーナは肉体と精神の成長度合いにズレがあるっていっても、中身はもう十二歳くらいにはなっているはずだ。
……いやでも、十二歳って言っても育った環境がまともじゃないとなれば、風呂に入るのはおかしいと思わないのか? 俺たちが『おかしい』って思うのはそう教育されたからで、そんな教育を受けてこなければおかしいとは思わないものなんだろうか?
「風呂は……悪いがなしだ」
だがニーナはそう思っていなかったとしても、俺としてはまずいと言う思いしかない。なので一緒に風呂に入るのは却下だ。
「……はい」
ニーナは俺の言葉を聞くと少しだけ不機嫌そうに……と言うよりも拗ねたように小さく返事をした。そんな様子に苦笑してしまうが、それもまた良しとも思ってしまう。
ほんと、随分と人間らしい、って言うとアレだが、しっかりとした感情が育ってきたじゃないか。
もう前みたいに退屈にしているか怒るだけのニーナとは全く違うな。
前から俺に対しては親しげに接していたが、それでも何処か壁があり、基本的に今みたいに甘えてくることはなかった。
甘える素振りはあったが、それは上っ面だけのものだった。多分ニーナとしても俺との距離感が分からなかったんだろう。何せ今までは実験体として扱われてきてまともに人と接したことがなかったわけだし。
そんなニーナが短期間でこれだけ変わった姿を見ていると、その成長が我が事かのようにうれしくなる。
俺はニーナの本当の親ではないし、始まりは強引なものだった。親であろうとは思って行動してきたし今後もそのつもりだが、俺がニーナの親であるという自負はない。
でも、親ってのはこんな気持ちなんだろうか? そう思わずにはいられなかった。
今回の騒動は今までとは比べ物にならないくらいに大変な目にあうだろう。そんな予感がする。
だが、ニーナはまだまだ完全ではないとはいえ感情を抑える術を身につけたし、宮野達もいる。もう一人ぼっちじゃないんだ。
だから、もし俺が今回死ぬことになったとしても、ニーナはもう大丈夫だろう。
もちろん死ぬつもりなんてない。ないが……。
……何馬鹿なこと考えてんだか。死ぬつもりがないのは当たり前だ。その上で死なないように考えて行動するのが俺だろ。死んだ時のことなんて考えるなよ。
「代わりに、毎日じゃないが夜は一緒に寝てやるし、暇ができたら話し相手くらいにはなってやる。だから、それで我慢してくれ」
一緒に風呂に入ることを断られて拗ねたニーナを慰めるよりも、色々と誤魔化す意味合いを含めてニーナの頭を撫でるが、それだけで楽しそうに嬉しそうにしてくれる。
こんなふうに接して喜んでくれるのなら、親ってのは嬉しいものかもな。
俺の両親はもう死んでいるが、もう少し可愛げのある子供だったらよかったんだろうか?
「明日からは色々と勝手が違うことも出てくるだろうし大変だろうが、お前も今はゲートの処理を頑張ってくれ」
「はい、頑張ります!」
ニーナは元気よく返事をすると嬉しそうに笑った。——が、途中からなんだかその笑みが質の違うものになったような気がしてきた。嬉しそうなのは変わらないが、どこか楽しげな様子とでもいえばいいのか? いたずらっ子ってほどでもないが、どことなく嗜虐心の感じさせる笑いだ。
「けれど……ふふ。あの男、約束は守ったようですね」
「約束? 佐伯さんとなんかしてたのか?」
「はい。昨日ゴミの処理を頼まれた際に、お父様がここで暮らせるように部屋を用意すると言っていたのです」
どうやら佐伯さんは、ニーナに言う事を聞かせるために俺がここで暮らす事を条件として出したらしい。
そしてニーナは、『俺がここで暮らす』という自分の願いを聞かせられたから喜んでいるんだろう。
多分ニーナ自身にそんなつもりはないんだろうが、女王様気質的なあれだろう。命令し、それを叶えさせることが嬉しい、みたいな。
まあ、ニーナに限らず子供は大なり小なりそう言う気持ちを持っているし、むしろそれは子供だけではなく、人間であれば誰でも思うことだろう。ニーナは今まで誰にでも言う事を聞かせることができたので、人一倍そう言う気持ちは強いかもしれないがな。
自分の指示を聞いてほしい。自分の言葉通りに相手が動いてくれた。楽しいな、ってな感じだ。
だがそれは、今回に限っては多分元から決まっていたことだ。ニーナとの約束なんてなくても佐伯さんは俺と宮野達をここに呼ぶつもりだっただろう。
だから、そのついでにニーナへ約束として提示することで素直に言う事を聞いてゲートの処理に行くように仕向けたんだろうな。
まあ、それがわかったところで言うつもりはないけど。
「そうか。まあ俺がここにいるのはあの人が手を回したからなわけだし、感謝しとけ」
嘘ではない。初めから決まっていた事だとしても、裏に何某かの思惑があったのだとしても、実際にあの人が色々と動いたのは事実だからな。
「伊上さん。荷物の運び入れは終わりました」
そんな事をニーナと話していると、不意に部屋のドアが開きそこから宮野達四人が職員の案内を受けて入ってきた。
「あら瑞樹、佳奈。来たのですね」
「ええ。久しぶり、と言うほどでもないかしら?」
「最後にあったのは二週間ほど前ですから、どちらでもいいのではありませんか?」
「微妙なところね。……けど、そっか。まだ二週間しか経ってないんだ」
宮野達が最後にここにきたのは、新学期が始まる数日前だ。それから考えると、まあ大体二週間か。
「あら、ここには来たくなかったとでも?」
「あ、ううん。そうじゃないのよ。ただ……はぁ」
「昨日だけで色々と状況が動いたでしょ? だから、まだ一日しか経ってないけど、なんだか時間の感覚がね……」
確かに、これと言って宮野たちが何かをしたわけではないけど、それでも色々と考えることもあっただろうし、大変な一日だっただろうな。
「色々……確かに、面倒なことは増えましたね」
「あんたには面倒で済む話でも、他は色々大変なのよ」
今回の騒ぎを〝面倒なこと〟で済ませようとするニーナに、浅田は呆れた様子で肩を竦めて見せた。
ニーナも、自身が他人とは違うと言う事を理解しているからか、浅田の言葉に特に反論することもなく、それ以上は何も言わなかった。
「ところで、荷物がどうとか言っていましたが、もしや瑞樹達もここで暮らすのですか?」
「ええ。と言っても、しばらくの間だけだけれどね」
「あんたも知ってんでしょ? 外の騒ぎ。それが終わるまではここよ」
「そう。……まあ座りなさい。今お茶を入れて差し上げます」
ニーナはそう言って宮野達に席を勧めた後、立ち上がって俺にしてくれたのと同じように部屋の中に備え付けられている台所に行き、お茶の準備をし始めた。
そう、俺の時にもやってくれたことだが、ニーナは以外とこういった誰かの世話というものが好きなようなのだ。
まあ、世話をする相手は自身が認めたものでなくてはやらないのだが。
「——ですが、迷いますね」
宮野達のためにお茶をいれたニーナはそれを持って戻ってきたが、戻ってくると同時にそんな事を言った。
「何がだ?」
「お父様や瑞樹がここにいるのは、害虫駆除が終わるまでの間なのでしょう? なら、終わらせなければずっといてくれるのか、と」
それは、そうだろうな。俺がずっとここに住むことはないだろう。
救世者軍の起こした騒動が終わって、身の安全や連絡のつきやすさを気にしなくていいようになったら、俺は元々暮らしてたアパートに戻ると思う。
娘がいるんだからここで暮らせばいいじゃないか。そう思う自分がいるのと同時に、その考えを否定する自分もいるのだ。
なんでって言われても答えに困るんだが……多分だが、ここは俺にとっては『暮らす場所』と言う認識ではない、と言うのが一番俺の考えに近いか?
だから、俺や宮野達と一緒にいたいニーナとしては異常が解決しない方がいいんだろうな。
だが、それでは困る。
ニーナが力を手にれた経緯はともかくとして、その力が有用なのは確かだ。この騒動でニーナが動くか動かないかで結果はだいぶ変わるだろう。
だからニーナにはゲートを破壊し、敵を倒すために戦ってもらわないといけないんだ。
……親、なんて名乗りながら子供の力を利用しなくちゃならないのは、気に入らないどころの話じゃないけどな。
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