僕と勝気なカノジョと顔も知らない許嫁(改)

青山 忠義

第1話 僕には許嫁がいた!?

「隆司、ちょっと話があるんだが……」

 夕食の用意ができたと、母さんに呼ばれて、食卓に座ると、父さんが口を真一文字にして僕を見つめた。

「なに?」

 父さんがこんなに真剣な表情で僕に話しかけてくるのは珍しい。

「うん。その……なんだ……あれか」

 かなり言いにくそう。よほど重大なことみたいだ。

「だから、なに?」

「おまえ、彼女とかいるのか?」

 一気に力が抜ける。どんな重大な話だろうと思って気合いを入れてたのに。

 なあんだそんなことか。

「いないよ」

 運動はほとんど駄目で、手先は不器用で、勉強は並で、顔は並以下、背も低く、唯一の取り柄が真面目ということだけ。人に自慢できるのは2年6か月の高校生活で、遅刻も欠席も一度もしたことがないということだ。そんな僕にカノジョなど出来るわけがない。自慢ではないが、産まれて18年間カノジョというものが出来たことがない。

「それはよかった」

 なぜか父さんはホッとした顔をした。

「よかった?」

 高校生の息子にカノジョがいないと聞いてよかったっていうのもどうかと思うけど……。

「実はおまえには許嫁がいる」

 突然、父さんが聞き慣れない言葉を口にした。

「はあー? 許嫁? 許嫁って、将来、結婚することに決められた人のことだよね」

 時代劇でそんなことを言っていたような気がする。

「そうだ」

 お父さんが力強く頷いた。

「いつから?」

「産まれる前から」

「そんなの初めて聞いたよ」

 そんな大事なことをどうして今まで言わなかったんだ。

「初めて言った」

 そんな禅問答のような返事はいらない。

「どうして僕に許嫁がいるの?」

 そもそも許嫁っていう風習が現代まであるとは知らなかった。江戸時代かせいぜい明治時代ぐらいまでのものじゃないの。

「元々、母さんは東北で代々地主をやっている旧家のお嬢様なんだ」

「母さんが? まさか?」

 僕は父さんの隣に座る母さんを見た。友達は小柄な母さんを若く見えるとか、可愛いとか言うけど、僕にはどこからどう見てもその辺にいるおばさんにしか見えない。とても旧家のお嬢様には見えないし、そんな素振りを見せたこともない。

「まさかって、どう言う意味よ。高校までは運転手付きの車で送り迎えしてもらって学校に通ってたお嬢様なんだから」

「うそ!!」

 今までそんな話は一度も聞いたことがない。

「嘘じゃないわよ。家だって大きかったんだから。パパは親戚が経営する会社の役員をやっていて私の子供の頃は羽振りがよかったのよ」

 母さんは自分の父さんのことをパパって呼んでたんだ。初めて知った。

「でも、母さんは東京生まれ東京育ちって言ってたじゃないか」

 母さんは東京生まれ東京育ちということをいつも僕に自慢していた。それに母さんは東北の話をしたこともないし、東北訛りの言葉を使っているのを聞いたこともない。

「そうよ。パパの実家は東北の旧家の出なの。東北の田舎暮らしを嫌って、跡を継ぐまでの間という条件で、東京へ出て来たの。東京で成功していた親戚の会社の役員をさせてもらって、そこの娘であるママと結婚して私が産まれたの」

 母さんが自分の両親のことを話すのを初めて聞いた。

「だけど、私が大学を卒業する前に私の祖父と祖母が相次いで亡くなったから約束どおり家を継ぐために両親は東京の家を処分して東北に帰ったわ」

「母さんは一緒に東北へ行かなかったの?」

「私は暮らしたことがない東北へ行くなんて嫌だったし、まだ大学に通っていたから東京に残って、マンションを借りて一人暮らしを始めたの」

 だから、母さんは東京生まれ東京育ちってことか。だが……。

「それでどうして僕の許嫁が出てくるのか全く分からない」

「最後まで聞きなさい」

 父さんがまた話し出した。

「母さんは一人っ子だった。実家の跡を継ぐのは母さんしかいない。田舎の旧家っていうのは、色々しがらみがあるみたいでね。おまえのお祖父さんは家を守るために、分家の中から母さんよりも少し歳上の人を許婚に選んでいたんだ」

 田舎の旧家では、先祖代々受け継いだ土地や財産が、一族の外に出ないようにするために、一族同士で結婚する風習が残っているところもあるということをテレビかで見たことがある。

「ところが、私はそんなことを知らないものだから、大学のサークルが一緒だった父さんともう付き合っていたの」

「そうなんだ」

「大学を卒業したら東北にくると、パパは思っていたみたいなんだけど、大学卒業をして東京でそのまま就職したもんだから、激怒されたわ」

 それはそうだろうな。大学に通うために残ったんだから、卒業したら当然自分たちのもとに来ると、お祖父さんやお祖母さんが思っても不思議ではない。

「パパは許嫁がいるからすぐに仕事を辞めて、東北に来て結婚しろって言ったわ。でも、私は父さんと結婚したいと思っていたから、好きな人がいるから結婚できないって言ったの」

「へえー。大恋愛だったんだ」

 聞いているこっちが恥ずかしくなりそうだ。

「そしたら、パパはそんな勝手なことをするならお前は勘当だ。二度と家の敷居を跨ぐことは許さんって怒り出したのよ。だから、どうぞ勘当してくださいって言ってやったの。そしたら本当に勘当になっちゃった」

 そりゃあそんなことを言ったら勘当になるよな。まだ、ほんの子どもだった頃、母さんは自分の親が死んでも、お葬式に行かなかったと聞いて薄情な人だと思ったけど、そんな事情があったんだ。

「へえー、母さんは財産も親も捨てて父さんを選んだんだ」

 僕はどうしてお嬢様育ちの母さんが苦労することが分かっていながら、勘当までされて僕と同じように真面目だけが取り柄の安月給の公務員の父さんと結婚したのか不思議で仕方がない。

「そりゃそうよ。住んだこともない東北で全く会ったこともない人と結婚して暮らすなんて嫌よ。それに父さんはすごく優しいし、愛してたから、離れて暮らすなんてその時はもう考えられなかったもの」

「私も可愛い母さんと離れて暮らすなんて考えられなかったよ」

 二人は見つめ合って顔を赤くする。僕はなんだか気恥ずかしくなってきた。

「それからどうなったの?」

「母さんを勘当すると、その許婚だった人を養子にして一族の女性と結婚させて家を継がすことにしたらしいんだけど、その許婚の人はまるで人の家の財産を乗っ取ったようで寝覚めが悪いから養子になることを断ると言ってきたらしい」

「へえー、珍しい人だね」

 普通は何もせずに財産が転がり込んでくるなら、喜んで養子になるだろう。それを断るなんて。

「そうだな。筋を通す人なんじゃないかな。そこで困ったお祖父さんは将来的に母さんが産んだ子どもとその養子の人の子どもとを結婚させて、財産の半分を継がせたら、乗っ取ることにはならないんじゃないかと言って説得したそうだ」

 そんな勝手な話を本人たちのいないところでよく言えるな。

「それで相手の人は納得したんだ」

「そうみたいだな。結婚前に一度だけお祖父さんが家に来たことがある。母さんの勘当を止めるわけにはいかないが、この条件を呑むんだったら、結婚だけは許してやると言われた」

「それで、父さんはどう言ったの?」

 なんとなく答えは分かっていたが、一応聞いてみた。

「子どもができるかどうかも分からないし、将来、子どもが誰を好きになるかも分からないのに約束できないと言ったら、それならどんな手を使ってでも母さんとは結婚させないと、怒鳴られた」

 なんか僕の祖父さんは横暴な人のように思えてきた。

「母さんの実家は大変な金持ちだ。どんな手を使って邪魔されるか分からない。どうしても母さんと結婚したかった。それで仕方なく承諾して、念書を書いた」

「母さんもそれで納得したの?」

「仕方なかったのよ。どうしても父さんと結婚したかったから」

「信じられない」

 自分は顔も知らない人と結婚したくないとか言っておきながら、息子にはそんな結婚をさせても心が痛まないのかね。

「それに、まさかそんな約束を相手の人がいつまでも覚えているとは思っていなかったし。まあ、その場凌ぎというか」

 母さんは申し訳なさそうな顔で僕を見る。そんな顔で見られても、結局、相手はその場凌ぎとは思っていなかったわけだね。

「はあー、じゃあ僕は会ったことも見たこともないその人の子どもと結婚して、東北で暮らさないといけないというわけなんだ」

 納得できたわけじゃないが、僕に許嫁がいるという意味は分かってきた。

「東北へ行く必要はないわ」

 母さんが首を横に振った。

「どうして?」

「それがちょっと複雑な話になってきたんだ」

 父さんが腕組みをする。今でも十分複雑なんだけど。もう訳が分からない。

「私が父さんと結婚する2年ぐらい前にパパとママが相次いで亡くなって、高津さんが私の実家の跡を継いだそうなんだけど……」

「高津さん?」

 いきなり出てきた名前に僕は戸惑った。

「養子の人の旧姓よ」

「ああ」

 そういえば、母さんの旧姓ってなんだっけ。前に聞いたことがあるような気がするけど。

「その高津さんから父さんと結婚して6年ぐらい経ってから、電話があったのよ。継いですぐに実家のあった村に国だか県だかの何かの施設を作るとかいうことで立退かされて、今、アメリカで親戚と一緒に農園をやっているって」

 母さんが眉間に皺を寄せた。なんか本当に複雑な話になりそうだ。

「それで?」

「先祖代々の財産を守れなくて、大変申し訳ないので、土地やら家やらの補償金をもらった半分をくれるって言ってきたの」

「律儀な人だね」

 僕は感心した。今時、そんな人は滅多にいない。

「でも、勘当になってる私が今さらそんなものもらえるわけないじゃない」

「それはそうだ」

「それに隆司が産まれたばかりでそんな話を聞いている余裕もなかったから、『子どもが産まれたばかりでそんなお話を聞く精神的余裕がありませんし、勘当になっているのでそんなお金はいりません』って言ったのよ」

 結婚してからもなかなか子どもに恵まれず、父さんと母さんが子どもを諦めかけた結婚6年目に僕ができたということを聞いたことがある。

「そうしたら、お子さんは男の子ですかって言うから、『はい』って答えたら、『自分にはアメリカで生まれた女の子がいるから、約束したとおり結婚させて、私の財産の半分をあなたのお子さんに譲りましょう』なんて言うのよ」

「それでどう言ったの?」

「考えるのも面倒くさくて、よく考えずに『そうですね』って思わず言っちゃったのよね」

 母さんが苦笑いをする。笑ってる場合じゃないでしょう。そんなこと言ったら向こうは了承したって思うだろう。

「そして昨日、この手紙が届いた」

 父さんが僕の前にエアメールを置いた。前に置かれた封筒をじっと見つめる。宛名が英語で書いてある。英語が大の苦手で大嫌いだが、宛先がうちであることぐらいは分かった。

「なんて書いてあったの?」

 ひょっとしたら、農園経営に失敗してお金を返せなくなったから結婚の話もないことにしてくれとでも書いていないかと思った。

「アメリカで成功したので、自分の財産の半分を譲るから、約束どおりおまえと自分の娘を結婚させようと書いてあった」

 どうやらなにがなんでも僕と自分の娘を僕と結婚させる気みたいだ。

「その娘さんは来年の春、高校を卒業するから、こちらに連れてきて、おまえと結婚させるつもりだとも書いてあった」

 僕も来年の春には高校を卒業する予定だ。どうやら同じ歳のようだ。

「えーっ、来年の春といったら、今は、10月だから、あと半年もないじゃないか」

 いくら許嫁とはいえ、そんなすぐに結婚しないといけないとは思っていなかった。結婚するにしても少なくとも大学を卒業して、就職をしたあとぐらい、まだ4、5年ぐらいはあると思っていた。

「そんな見たことも会ったこともない子といきなり結婚しなくちゃ駄目なの?」

「昔は顔も知らない許嫁と結婚するということはよくあったみたいだからな。許嫁ってそんなもんだろう」

 父さんは無責任なことを言う。今は、もうそんな時代じゃないでしょう。

「僕はそんなの嫌だな。しばらく付き合ってお互いのことをよく知ってから結婚するかどうか決めるっていうことはできないの?」

 どんな顔で、どんな性格かも知らない女の子といきなり結婚しろと言われても困る。相手の子もそんな結婚は嫌じゃないのかな。

「でも、隆司はカノジョができるあてでもあるの?」

 母さんが含み笑いしながら言う。

「それは……」

 女子と喋るのが苦手で、女子を惹きつけるような魅力が何もない僕にカノジョができる確率なんてほとんどない。

「結婚したくないの? 自分でカノジョも作れないのに結婚なんかできないわよ。今時、お見合いを世話してくれる人なんていないわよ」

「う~ん」

 母さんは痛いところをついてくる。

「それだったら、いいチャンスじゃない」

「なにが?」

「相手の女の子がすごい美人で隆司も気に入るかもしれないじゃない。結婚もできるし、財産もくれると言うし、隆司にとっていいことづくめじゃない」

「まあそうかな」

 そう言われれば、もっともだという気もしてくる。

「じゃあ、決まりね」

 母さんはニッコリ笑った。

 しかし、母さんは変わったもんだ。自分は会ったこともない人と結婚するのは嫌だとか言って、両親も家も財産も捨てて、愛を取ったくせに。

 時は、人を変える。


 夜、ベッドに入ったが、許嫁のことが気になってなかなか寝付けなかった。どんな子だろうか。美人だろうか。気は強いんだろうか。色々な想像が頭の中に渦巻いていく。

 明日も学校だから、早く寝ないと遅刻してしまうと焦れば焦るほど余計眠れなくなってくる。いろんな顔や容姿を想像しては妄想を膨らませる。そんなことをしているうちにいつの間にかウトウトし始めて夢を見た。

 まだ小学生だった頃に読んだ『安達ヶ原の鬼婆』の本の挿絵に書かれていた鬼婆が夢の中に出てきて、『私がお前の許嫁よ。早く食わせろ』と言って追いかけてきた。僕は必死に逃げたが追いつかれ、後ろから掴まれ倒されて、鬼婆の大きな口で、頭から食べられそうになった時、目が覚めた。

 寝汗をグッショリ掻いている。時計を見ると、まだ3時だ。もう一度寝ようとするが、何度も寝返りを打って一向に寝付けない。

 寝れないのなら、無理せず、いっそうのことこのまま起きておこうと思うと、いつの間にか瞼が重たくなり、意識が遠のいていった。

 


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