第8話 猟奇的なのに放っておけない

 目を合わせる少女は怪訝そうな面持ちだ。

 なぜ星乃さんとばかり縁があるのか。当事者である真白さんとはあの屋上の一件以来会っていないのに。


 犬がリードを引くので、こちらに気づくも素通りしていく。

 そんな折、前を歩くポメラニアンが急に立ち止まり、クリンとした眼を俺に向けてきた。その犬につられて立ち止まる星乃さん。できればそのまま素通りして欲しかった。ネクタイ事件で恐怖心を抱いていたから。


 次の瞬間、一目散に白犬が俺めがけてくる。


「ちょっと! 待ちなさいっ」


 流石の星乃さんも犬の行動までは推測することは叶わず、焦り模様だ。リードに飼い主が引かれながら近くにやってくる。


 ほれほれといった具合に右手をベンチ下までおろして喉元をさすってやると目を細めてご満悦の表情を浮かべている。


「犬にも懐かれるなんて」


 不貞腐れた顔をしてベンチに座る俺を星乃さんが見下ろす。


「昔、うちで犬を飼ってたんで」


 犬の種類はパグと、この犬とは違ったけれど、美羽とふたり大切に世話をしたのを思い出す。ちょうど俺が小学校を卒業するころに死んでしまったけど。

 懐かしくもあり、切なくもあった。


「そういう意味じゃないわ」

「え?」


 撫でながら顔だけを上げて星乃さんを見やる。


「この子が男に懐くことなんて初めてだから」


 驚いた。飼い主に似るという言葉があるが、まさかこの犬も男を憎んでいるとは。ともすれば、俺はなんだ? 女だと思われているのか? そんな中性的な容姿じゃないのだが。


 ――ッ!


 その時、犬の体に不思議なものを発見する。身体の後方、俺と同じものが付いている。なぜ? 男を憎む星乃さんがなぜオス犬を連れているんだろう? 犬は人間ではないからノーカウントなのだろうか。


「この犬、オスだね」

「仕方ないでしょ。わたしが選んだんじゃないんだから」

「あ、親が選んできたってこと?」

「どうだって良いでしょ。さぁ、行くわよ、ブランっ」


 飼い主がリードを引くと、そのブランという犬は激しく抵抗し、ベンチに飛び乗ってきた。ベンチの中央に位置する白犬は左端に座る俺の体にすり寄ってきた。


「ちょっと! あなたが好きなのは女の子じゃないのっ?」


 赤いリードを何度引こうとびくともしない。

 普段は女性にばかり懐くのか。オス犬だからそれは正しい選択だろうと思う。俺に懐く理由がわからないが。


 ふぅとため息をついた星乃さんは綱引きを諦め、白犬を挟む形で俺の隣に腰を下ろした。


「よく来るの?」

「いや、来たのは久しぶり。小さいころによく来てただけだよ」

「そう」


 今は屋外でひと目もあるためか、教室の時よりも幾分穏やかに見える。ボロを出さないように、急変させないようにとで、非常に気疲れするけど。


「それはそうと、真白にあの本みたいな格好させてるの?」

「えっ!?」


 唐突な質問でしばらく理解に苦しんだが、本という単語から夕暮れを浴びたエロ本を頭に浮かべる。きっとあの時の、四つん這いになっていた表紙の女性のことだろう。


「いや、そんなことさせないよっ」

「その反応じゃあ、まだみたいね」

「……」


 言いたいことはわかる。偽カップルだからあり得ないが、したと言っておくべきなのか。だが、四つん這いに対してあんな動揺を見せてしまってからでは信憑性に欠ける。


「あんな本見ておきながら、興味ないとか?」


 こちらを見て片方の口角を少しだけあげてくる。さも、馬鹿にしているかのように。


「そんなわけ……俺も男だし」

「なら、わたしとしてみる?」


 俺の返答を逃さず、つけ入ってくる。真顔で言っているが、揺さぶりをかけているだけだとすぐにわかる。だって、星乃さんは男嫌いなのだから。


「冗談だよね? 星乃さんは男嫌いなんだし」

「本気よ。わたし初めてじゃないからどうぞ?」

「えっ!?」


 今の返答には驚かされる。

 それと同時に、もしかするとそのことが男性嫌いになった根源なのではという推測が脳裏をよぎる。


「どうするの? 今からでも良いわよ?」

「なあ、性被害……じゃないよな?」

「さあ?」


 俺の意図を明らかに理解したうえで視線を逸らし、空を見上げている。強姦を経験し、男を殺したいほどに憎む……十分あり得る。


「星乃さんっ、教えてくれっ。俺にできることなら――」

「わたしはするのかしないのかを聞いてるのっ。もう良いわ」


 俺の言葉を遮り、すっくとベンチから星乃さんが立ちあがり、前へ歩いていく。その様子に白犬もあとを追っていく。


「待って!」


 ベンチから立って呼び止めると、彼女は首だけをこちらへ回して言ってきた。


「土足でひとの過去に踏み込まないでくれる?」


 それだけを言い残して、舗装された道に戻り、来た道と逆に通り過ぎていった。

 どしんと倒れ込むようにベンチに尻をつき、天を仰いで呆然とする。


 ――おせっかいだったなぁ。俺、なんでネクタイ事件の犯人を救おうとしてるんだ? 好きだったからか?


 しばらく時が過ぎた時、遠くの方で犬の微かな鳴き声を耳にする。昼前のこの時間帯だからこそ静けさの中で聞こえたのだろう。

 鳴き声の在りかを捜索すると、池の脇の道で少女が男に腕を掴まれている。


 ――つーか、アレ、星乃さんじゃんっ。てっきりもう公園から出たと思ったのに。何してんだよっ?


 ただならぬ様子を感じ取り、ベンチから駆けていく。


 ふたりの容姿を判別できるくらいに近づくと、相手が金髪グラサンの青年だと知る。俺たちよりは年上だ。大学生くらいか。星乃さんと同じく犬を、あちらは茶色のチワワを連れている。


「放してっ」

「何やってるんですかっ」


 うしろから俺が声を掛けると、言い争うふたりが同時にこちらを見る。あまりの力で星乃さんの手首から先が白くなり、血の流れが止められている。


「いや、こいつらが盛ってっから俺たちもヤろうって話」


 2匹の犬に視線を移すと、確かに懐いてはいる。だが、多少の距離もあり、発情しているとは言い難い。

 二度も性被害に遭わせるわけにはいかないと思い、男の手を引き剥がす。


「放せっ」

「てめぇ! なにしやがるっ」


 どうにか星乃さんの腕から男の手は離れ、すぐさま彼女の手を握る。


「行くぞっ、千紗」

「なんだ? おまえの女か?」

「そうだっ。文句あんのか?」


 俺が言ってすぐ、げらげらと下品にチンピラが笑う。グラサンが陽射しを弾き、その光がとても鬱陶しい。


「全然釣り合わねぇ。モブが何ほざいてんだよ」


 ところどころ笑いで言葉が途切れている。

 釣り合わないことくらいわかってる。放っとけ!


 次の瞬間、星乃さんが握る手を離し、俺の腕に手を回して言った。


「良いでしょ? わたしが彼を好いてるんだから」


 その言動に男の笑みは鳴りを潜め、食いしばる歯を見せてくる。


「チッ! くだんねぇ。勝手にバカップルやってろやっ」


 怒り心頭で男は横を通り抜け、道を歩いて行った。犬だけが、切なそうに犬同士互いの顔を眺めていた。犬には申し訳ないことをしたかな。


 男が見えなくなってすぐ、星乃さんが腕組みを外す。


「何の真似? 恩を売っておこうってこと?」

「そんなんじゃない。ただ放っておけなかっただけ」

「……お礼なんて言わないから」


 それだけ言って犬と一緒に道を進んでいった。

 お礼なんて要らない。ただ、彼女が性被害に遭わなくて良かったと安堵している自分がいた。


 星乃さんが公園から姿を消してから、公園内に立つ屋外時計を見やる。時計はちょうど正午を告げていた。星乃さんとの出来事で時間はあっという間に過ぎたようだ。

 不思議なもので、ついさっきまでなかった空腹感が時間を知ったことで襲ってくる。


 ――何か食べに行くか。


 亀池公園をあとにし、飲食店が多くひしめく大きな商店街を目指した。




 途中の住宅街でふと足が止まる。

 商店街に向かう時、いつも横を通る高級マンションの前で、だ。

 Maisonメゾン de Richardリシャールと書かれたエントランス上の看板が目を引く。青銅で出来た板に金字が施されている。

 エントランスまでまっすぐに伸びる通路とその脇の芝庭。見上げればここが10階は優に超えると誰でもわかる。


 ――すげぇよなぁ。俺たち庶民とは違うな。いったい、どんなブルジョワが住んでんだろうなぁ?


 そんなことを考えていた時、グーンというスムーズな開き音と共にエントランスが開かれた。


 ――ッ!!


 あまりの光景に二度見した。

 なぜならエントランスから出てきたのは、愛咲高の上下赤ジャージ姿にマスクという恰好の真白さんだったからだ。

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