第5話 偽カップルの誕生日
天宮さんに続いてすぐに出ようと思ったのだが、天宮さんはうしろに手を回し、背中の辺りでこちらにしか見えない待てのサインを送ってきた。手のひらをこちらへ向けるあのジェスチャーだ。
それを受け、しばらく青いベンチに座り息を潜めながらふたりの会話を聞く。
「あのさ。昨日の返事のことなんだけど」
俺がそばにいるというのに、いっさい動じず星乃さんを真向に見据える天宮さん。やはり名女優だな。
「聞かせてくれるの?」
「うん。あのね……あたし千紗とは友達のままでいたいの」
言葉のあと、しばらく沈黙が生じる。断られたことがショックなのだろう。
「NOってこと?」
「ごめんね」
「でも、真白もわたしと同じよね? 男子を避けてるわよね?」
「そんなことないよ。カレシだっているし」
「えっ!? うそ……」
星乃さんの悲痛な叫びがこの場を支配する。
とうとう後戻りできない事態になった。偽カップルの始まり、か。
「だから、ね?」
「誰よっ、それ。そんなこと一度だって――」
「今ここにいるの」
「え……」
星乃さんにわかるように、天宮さんが横を向く。俺の方を、だ。そして、手招きの仕草を見せる。といっても、頭脳明晰な星乃さんを騙せる自信ないんだけど。
なかなか動かない俺に対し、手招きのスピードがあがる。少し眉間にしわも寄っている。仕方ないと観念し、物陰から出た。
「あなた……昨日の……」
青ざめる星乃さんをよそに、天宮さんが俺の腕に手を回してきた。おっぱいが触れない絶妙な位置にある。もどかしい。
「カレシの真尋くん」
「ども」
軽く会釈をすると、みるみるうちに星乃さんの目が座っていく。おそろしい表情だ。
「おかしいわっ。じゃあ、なぜ昨日言わなかったの?」
「彼氏だ、なんて恥ずかしくて言えないよ」
「こんな男のどこが良いの? 全然釣り合わないじゃない」
普段、無口だから知らなかったが、星乃さんってこういうタイプなのか。つーか、めっちゃ失礼なんですけど。
「あたしもそう思ったけど、男は顔じゃないの」
いや、天宮さんもめっちゃ失礼なんですけどっ。ネタばらしすんぞ、こらっ。
「認めない……わたし、絶対に認めないからっ」
そう言い残し、くるりと体を反転させて入り口の方へ向かっていく。すぐに立ち止まり、もう一度こちらを振り向いた。
「あなた、名前は?」
眼光鋭く俺を射すくめて、星乃さんが聞いてきた。
「結城真尋です」
「結城くん……あなたのこと、絶対許さないからっ」
怖すぎるっ。ホラー映画を見ているかのようだ。というか、名前も把握されたし、夜道で殺されるんじゃあ……。
ふたたび、くるりと反転させ、星乃さんは屋上から去って行った。
その瞬間、全身の力が抜けて俺はその場で尻もちをついた。
「え!? 大丈夫?」
「受けるんじゃなかった……」
「もう遅いよ」
不安げな俺を見降ろし、天宮さんが片手を差し出してくれる。その手を握り、立たせてもらった。男として情けない場面だったが、初めて天宮さんに触れた瞬間――いや、さっきおっぱい触ったか。初めて手を握った瞬間だった。
俺が離そうとした手を天宮さんは握ったまま続けた。
「じゃあ、今日からよろしくね、カレシくん」
真正面に俺を捉え、歯を見せて笑った彼女はとても愛らしかった。
「つーか、なんで俺の名前知ってんの?」
「今日、坂巻先生に出席簿見せてもらって、昨日の窓際席と照らし合わせて、ね」
「機転利くなぁ、天宮さん」
手紙を入れる席についてはすぐにわかるとして、まさか出席簿で名前まで事前に把握済みとは。できる女は違うな。
「それ、ダメ」
「え?」
「苗字呼びは不自然だから。名前で呼んで?」
急に名前で呼べと言われ、胸が高鳴る。それと同時に羞恥心が半端ない。美羽や愛梨沙ちゃん以外で、女子を名前呼びしたことなんてないから。
「じゃあ……真白さんで」
「うん。よろしく、真尋くん。ってか、あたしたち、名前似てるね」
「言われてみれば」
平仮名に変換すれば、違うのは中央の『ひ』と『し』だけだ。運命のようだが、偽なんだよなぁ。
「じゃあ、あたし部活あるから行くね」
「え? 何部?」
「テニス部だよ」
女子テニス部……。
男子憧れの女子部じゃないか。ウェア自体がミニスカだから最高なんだよなぁ。動くたびに見せパンはチラつく。
「変なこと考えてるよね?」
妄想に集中し過ぎて、いま自分がどんな顔をしているのかわからない。けれど、真白さんが目を細めているところを見ると、スケベな顔なんだろうなぁ。
「考えてません」
「ホントに? あっ、それと、このことは千紗以外にはナイショね? たぶん、千紗も言わないと思うから」
演技をするのは星乃さんの前だけで十分ということか。まぁ、妥当だな。クラス中を相手に演技をしろ、なんて言われた日には死ねる。身が持たない。
「それは同感だ。学内では赤の他人ってことで」
「話が早いね。それじゃあ、お願いね」
「ああ」
お互い、手を振り合って別れた。
真白さんが屋上を去ったあと、ひとり立ち尽くす。
今の今まで会話が成立していたが、明日の朝には他人に戻っているのだろう。教室内で会話をすることもなく、廊下ですれ違っても会釈をすることもない。そう考えると少し切なくもあり、さっきの出来事があたかも夢だったかのように思えてならなかった。
普段よりも1時間ほど遅い下校となった。
自宅に帰り、自室でゲームをしている。夕飯までの心の休息だ。玄関口の靴を見て、美羽がまだ帰宅していないと気づき、少し穏やかだった。母さんは帰っていたが、この時間帯は夕飯の準備で忙しく、俺に構っている暇はないのだ。まぁ、俺もゲームをしている方が楽しいのでそれはそれで良いのだが。
格ゲーをプレイしていると、部屋のドアがノックされるのを耳にする。美羽が訪ねてくることなどないはずだが。
がちゃりと音を立て、ドアが開く。
「ちーっす」
そう言って入ってきたのは愛梨沙ちゃんだった。革ジャンに短パンという派手な恰好だ。
「愛梨沙ちゃん、どしたの?」
「兄貴が真尋んちに饅頭もってけってうるさいから」
「悪いね、わざわざ」
「良いって。おばさんも喜んでたし。おっ、格ゲー?」
ドアを閉めて俺のうしろまで歩いて来て、テレビを覗き込みながら言ってきた。
「おう、やるか?」
「オーケー」
そう言って俺の右隣に胡坐をかいて愛梨沙ちゃんが座る。愛梨沙ちゃんの左ひざが俺の足にツンツン当たる。短パンなので生足がハッキリと見える。ダチの妹になに欲情してんだって話だけど。
ゲームの腕前は俺の方が上のはずなのに、なぜか今日に限って全然勝てない。おそらくは真白さんの件があったからだろう。
「なんだよ、真尋。今日弱ぇな。いつもはあたしになんか負けねぇだろ?」
「もっかい」
「良いけど」
健闘むなしくまた負けた。
「何か悩みでもあんのか? え? 女絡みとか? まっ、真尋に限って――」
そこで愛梨沙ちゃんの言葉が詰まる。俺の横顔を見ていたから察知されたのだろう。
「マジっ!?」
「いや、そんなことないよ」
隠そうとすればするほど声が裏返る。
「女できたんかっ?」
普段から目つきの悪い愛梨沙ちゃんの目が更に座る。なぜそこで俺を睨む?
その問いに返事をしようとした瞬間、ドアのノック音を聞く。
今度は美羽が部屋を覗いた。
「愛梨沙、やっぱここにいた」
普段俺に見えない笑顔を愛梨沙ちゃんに向ける。昔は俺も向けられていた笑顔だ。懐かしい。あんな顔、久しぶりに見たな。
すぐ愛梨沙ちゃんが立ちあがり、美羽の方へ向かっていく。
「おかえり、美羽。美羽の部屋で話そうぜ。真尋、女にうつつぬかしてるみてぇだし」
顔だけをこちらへ向けながら愛梨沙ちゃんが冷たい視線で言ってくる。それを聞いて、隣の美羽も軽蔑の眼差しを俺に向ける。
このふたり、目で俺を殺しにかかっている。
ふたりが部屋を出て、ドアが閉まったあと、到底ゲームを続行する気になどなれなかった。
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