幼い頃に大切な約束をした幼馴染に振られた俺は、思い出を忘れて友達と仲良くしたい。女友達を絶対応援したくなるラブコメ

うさこ

約束

 

 俺が五歳の頃、世界で一番大切な人がいた。

 近所に住む片桐渚かたぎりなぎさ。俺の一番大切な親友であり――俺の初恋の人。


 学校は違ったけど毎日のように遊んでいた幼馴染。

 渚は家庭の事情で海外に行かなければならなかった。

 幼かった俺は、海外の遠さを想像出来ない。絶対に会えないという悲しさだけは理解し得た。


 別れの朝は二人で手をつないで街を散歩した。

 歩みはとても遅い。時間が止まればいいと何度も思った。

 渚と俺は泣きすぎて掠れた声で名前だけを呼び合う。


「なぎさ……」

あおいちゃん……」


 俺たちは子供だった。家庭の事情に口なんて挟めるわけない。

 かと言って家を出ていくわけには行かない。


 どうしようもない無力感に襲われる。


 渚の家の前で俺たちは立ち止まった。

 もう出発の時間である。


 俺たちは手をつないだまま見つめ合う。

 渚は涙声で俺に願い事をした。


「あ、葵ちゃん……。私、絶対日本に帰って来る……。だから――約束して」


「なぎしゃ、ひっく……ひっく……、僕……」


 かすれた声が俺の喉から出てきた。

 抑えようとしても抑えられない思い。

 俺たちはこの時誓った。

 必ず、再び、出会う。そして、今度こそ、二人で幸せになる――




 そして、月日は流れた――




 家の事情で名字は変わってしまったが、葵優作あおいゆうさく改め羽柴優作はしばゆうさくはこの辺りで一番の進学校に入学することが出来た。

 高校二年になって直ぐの事で衝撃的な事件が起きた。

 渚がこの学校に転入してきたのであった。


 俺はその事実を聞いた時、ひと目を憚らず思わず叫んでしまった。

 悪友の早川理央はやかわりおに『うるさいよ!』って頭を叩かれてしまった。


 渚がなんでこの学校に転入してきたかわからない。

 今思えば、なんで手紙のやり取りをしなかったのか後悔する。

 あの時は泣き腫らしてそんな精神状態じゃなかったな……。


 親に聞いても渚の住所がわからなかった。

 だから、俺は高校生になったら渚を探しに行こうと思っていた。


 まさかこの学校に入学するなんて拍子抜けだ。

 嬉しい誤算。

 ……渚が転入してから一ヶ月が経つ。俺は未だに喋りかける事が出来なかった。


 だって……緊張しちゃうじゃん!

 同年代よりも比較的感情のコントロールができるはずだが、渚に対してだけは思いがこみ上げて行動に移せない。


 教室の自分の机で悶々と考えていると、隣の席の悪友の早川がニヤニヤしながら話しかけてきた。


「にしし、ゆーさくは相変わらず片桐さんの事考えてるの? ていうか超面食いじゃん! あっ、とういう事は私も狙われちゃうの?」


「……お前、女だったっけ?」


「むむぅ!! こんなにかわいい女子捕まえて何言ってるのよ! ていうか、ゆーさくは告白とかしたいの? ねえねえどうするの! 手伝おっか?」


「俺は……」


 子供の頃の約束。今でも鮮明に思い出せる。あの時確かに俺と渚の思いは通じ合っていた。だが、月日の流れは人を変える。久しぶりに遠目から見た渚は美しい女性に変貌していた。

 転校初日で、告白の行列ができたほどであった。

 地味な俺と釣り合いが取れていない。


 渚は誰からも告白を受けなかった。

 いつも渚の隣にいる男子……伊集院司いじゅういんつかさが渚を守っていた。


 渚と一緒に転入してきた伊集院はスカした伊達男であった。女性と見間違うばかりの綺麗な顔をしていて、学校中の女子が騒ぎ立てる人気者だ。


 伊集院と渚が一緒に仲良く会話しているところを見るだけで心が苦しくなった。

 巷の噂では、二人は結婚を誓いあった仲で婚約している。

 本当か嘘かわからない。


 もしかしたら、子供の頃の約束を覚えているのは俺の方だけかも知れない。

 ……渚はもう――


 突然頭に衝撃が来た。

 理央がノートを丸めて俺の頭を叩いた。


「にしし、ゆーさくが話してくれた子供の頃に約束をした女の子なんでしょ? 片桐さんは? ならさ、ゆーさくが勇気を出して話しかけてみればいいでしょ? ほら、私も手伝ってあげるからさ! ウジウジしてるゆーさくは見たくないって」


「……理央。お前……やっぱ良いやつだよな? そうだな、まずは話しかけてみるか!」


「うんうん、その意気だよ! それでこそ我らのゆーさく! チーム早川の特攻隊長だよ! ほら、あんた空気なんて読まないしょ? 婚約者の噂なんて過去の思い出で蹴散らしちゃえ!」


 チームと言っても、俺達は友達が少ない。クラスメイトと喋らないわけではないが、一番仲の良い友達は理央だけであった。


 お互い恋愛感情はない。だから俺達は親友になり得た。


 自由奔放な早川は女子に嫌われていた。一緒にいられるのは俺だけだった。

 空気を読まない俺はクラスから疎まれている。一緒にいられるのは早川だけだった。


 だから俺は笑顔でうなずいた。


「おう!! 任せろ!!」





 ***************





 実は俺と渚は何度もすれ違った。

 だけど、渚は俺を見もしなかった。もしかしたら顔を忘れているのかも知れない。

 俺は渚を見てすぐに気がついたけど……。

 月日が人の心を変えるのかも知れない。

 俺が抱いているものは幼稚な子供の頃の思い出かも知れない。


 だけど、俺はあの時の想いを忘れられなかった。


 だから、俺は渚に言われた言葉にショックを隠しきれなかった――






「――えっと、羽柴さん。申し訳ありませんが、私には婚約者の司がいます。私の見た目だけで好意を持った話したこともない人とお付き合いできません。……ごめんなさい」


 丁寧な言葉なのに絶対的な拒絶の意思を感じる。

 渚の隣にいる伊集院がすまし顔で渚の肩に手をかけている。その距離感は恐ろしく近かった。伊集院の瞳からは俺に対する敵意を感じる。



 俺は放課後に渚がいる教室へ向かった。渚は教室にいた、伊集院と一緒であった。俺は特に空気を読まずに渚に話しかけた。


『A組の羽柴と言います。ちょっと話良いですか?』とだけしか言っていない。

 きっと、面と向かって話せば俺の事を思い出してくれると思った。


 教室には数人生徒がいた。

 誰もが、俺と渚の動向を好奇の目で見ている。

 誰もが、俺が振られた男だと思っている。



 そうだ、俺は――渚に振られたんだ。

 話す事さえままならない。


 俺は渚を見つめた。食い入るように見つめた。

 子供の頃の思い出が走馬灯のように頭に駆け巡る。

 月日が人を変えたのか? それとも最初から俺の事なんてどうでもよかったのか?

 婚約者の伊集院の事を愛しているからか? 

 もう覚えていないのか?


 なら……彼女の中にいた俺は消えた方がいい。

 伊集院の事を愛しているのなら、子供の頃の幼稚な約束は思い出さない方がいい。

 ここで昔の事を話す必要はない。これ以上拗れる必要がない。


 人は変わる、成長するんだ。だから、これ以上、過去に縛られる、な。

 胸が苦しい。死にたくなる思いだ。涙は意地でもこらえる。


 ――思い出とサヨナラの時間だ。


 声には出せないけど。

 渚。今までありがとう。幸せになってくれ――



 動かない俺に困惑している――片桐は――俺を訝しげな目で見つめた。

 目が微かに大きくなった。


「……あなた、どこかで……。なんで見覚えが……、葵ちゃ……でも……ちが」


 全く動かない俺に痺れを切らした伊集院が片桐を守るように前に出た。


「君、もう帰りなさい。君は振られたんだ、現実を受け入れろ。渚ちゃ――渚は私の婚約者よ――だ!」


 声を出すと違う何かが出てしまいそうであった。


 そうだ、渚はこいつと一緒に未来に進んでいるんだ。

 俺がこれ以上関わっちゃ駄目だ。


 俺は無言で頷いて教室を――出た。





 教室の扉を閉めた瞬間、俺は廊下を走り出した。

 そうしないと、前を向かないと俺の心が壊れてしまう。


「――――――――っ」


「こ、こら!! 廊下は全力ダッシュしない!! 羽柴ーーーー!!」


 たまたま廊下を歩いていた担任の明美あけみちゃんに見つかったけど、どうでもいい。

 俺は階段を飛び降りるように降りて、下駄箱に向かって全力疾走をする。


 下駄箱の前で早川がいた。小さく手を振っている。


 俺の事を待っててくれたんだ。

 だけど、俺は今は誰とも会いたくない――

 速度を緩めて、軽く挨拶をして立ち去ろうと思った。


 早川は俺の前に立ちふさがった。

 と、思ったらいきなり俺の腹目がけてタックルをしてきた!?


 俺の腹に衝撃が走る。


「ぐぼっ!?」


 俺はなんとか倒れないように踏ん張った。

 早川が転ばないように小さな身体を抱き止めた。

 友達なら普通の事だろ? 手をつないだりハグするなんて?


 早川は両手を俺の背中に回している。自分の顔を俺の胸にグリグリと押し当てる。


「にしし、友達なんだから逃さないよ、バーカ! ゆーさく、サイゲリア行こ?」


 理央はいつもよりも言葉数が少ない。

 俺に何が起きたか大体は理解しているのだろう。


 理央はそれっきり喋らず俺の背中をポンポンと叩く。

 まるで子供をあやすようであった。もう大丈夫と言っているようであった。


 ああ、そう、だな。


 なぜだか、さっきまで我慢していた涙が出てきた。

 止まらない、どうしても止まらない――


「ひっぐっ、ぐっ……、ありが――――」


 涙で過去の思い出を流したかった。

 俺はひと目を憚らず泣き続けた――


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