第拾話 【 友達が欲しくて 】
灰夢は逃げた二宮金次郎を追って廊下を走り、
旧校舎の端にある、理科室の前まで走ってきた。
「……ここか」
灰夢が理科室の前に、二宮金次郎像が横たわっているのを確認する。
( ……間違いなさそうだな )
灰夢が中に入ると、部屋の奥に制服姿の少女が
「……あれか」
「ご、ごご、ごめん……な、さい……」
「……おい」
「ごご、ごめんなさい。ゆ、
「おい、聞けって……」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……いい加減に、しろっ!」
「──うわぁ!」
灰夢が少女の顔をガシッと掴んで、自分の方に向けさせる。
「お前、顔が血塗れじゃねぇか」
「……ゆ、幽々のこと、怖くないんですか?」
「……別に、怖くなんかねぇよ」
「…………」
灰夢は自分の影の中から、白いタオルを取り出すと、
少女の髪を上げて、血塗れの顔を優しく拭き始めた。
「お、お兄さんは……。その、ゆ、幽々を……。やっつけに来たんじゃ……」
「害してこねぇなら、もう俺が戦う必要もねぇだろ」
「でもでも……。幽々、悪いことをして……」
「確かにな。でも、ケガ一つさせて無かっただろ?」
「…………」
「本当に悪霊なら、とっくにあの世に連れていかれてる」
そう言いながら、灰夢が髪留めとクシを取り出し、
少女の顔を隠していた前髪を整え、髪留めで止める。
「おぉ、思った以上に可愛くなったな。我ながら上出来だ……」
「……ほ、ほんと?」
「あぁ、鏡で見てみな」
「ゆ、幽々は……。その、鏡に映らなくて……」
「……マジか」
「でもでも、嬉しいです……。えへへっ……」
その笑顔を見て、灰夢は静かに笑みを浮かべた。
「ようやく笑ったな、お前……」
「……え?」
「ずっと、泣き声ばっかだったからよ」
「……お、お兄さん」
優しい言葉を告げる灰夢に、少女が一筋の涙を流し、
灰夢が優しく拭いながら、そっと少女に語り掛ける。
「お前、なんであんなイタズラしたんだ?」
「ゆ、幽々……。皆に忘れられて、消えちゃいそうで……」
「あ〜……。なんか、七不思議から消えたって言ってたな」
「はい。幽々……。送り狼さんに、居場所取られちゃって……」
「はぁ、やっぱそれなのか。いや、マジで悪かった……」
「……え?」
「その『 送り狼 』ってのは、たぶん俺のことなんだ……」
「──えっ!?」
そういうと、灰夢は影で自分の全身を包み込み、
数秒後に影を解くと、いつもの和服に戻っていた。
「これが、俺のいつもの姿でな」
「狼の、御面……」
「七不思議になりたかった訳じゃねぇが、これで歩いてたら広まっちまってな」
「な、なるほど……」
灰夢が狼面を外し、申し訳なさそうに頭を下げる。
「悪かったな、幽々……」
「いえ、大丈夫です……」
「……許してくれるのか?」
「はい。だ、だって……。送り狼さんは、悪い狼さんじゃなかったから……」
「……そうか。やっぱり、お前も悪霊なんかじゃなかったな」
そんな言葉を言いながら、二人は自然と笑顔を交わしていた。
「お前はなんで、こんな所にずっといるんだ?」
「ゆ、幽々は……。その、友達が欲しくて……」
「友達ねぇ……」
「幽々、ずっと……。ひとりぼっちなんです……」
「……そうか」
「ひ、一人は……。その、凄く寂しいんです……」
「……そうだな」
「……幽々の気持ち、分かるの?」
「まぁ、俺も昔は一人だったし、それなりに長生きしてっからな」
灰夢が顎に手を当てながら、真剣に解決策を考える。
「
「い、一応、居ます……。ト、トイレとか、音楽室とか、理科室にも……」
「なら、そいつらと仲良くしたらどうなんだ?」
「そ、そそそ、そんなこと出来ませんよっ!」
「……何でだよ」
「だってだって、相手はオバケですし……」
「いや、お前もだろ」
「それにそれに、幽々……。あがり症で、上手くお話が出来ないんです……」
「……あがり症?」
「もし、もし嫌われちゃったらと思うと……。その、上手く話せなくて……」
「さっきみたいに脅かす方が、よっぽど友達消えるわ」
「だってだって、他にやり方が分からなくて……」
「はぁ……。ビビりでチキンの不器用なコミュ障とは、幽霊以前の問題だな」
「──ガーンッ! 送り狼さん、ボロくそ言い過ぎです……」
「……事実だろ」
「あ、あとあと……」
「……ん?」
「な、何でか分からないけど……。幽々、避けられてるみたいで……」
「……避けられてる? ……他の幽霊にか?」
「……はい」
「また、お前が何かしたんじゃねぇのか??」
「ち、ちち、違うんです……。ここに来た時から、ずっとそうで……」
「……そうか、なんでだろうな」
どんよりと落ち込む幽々を見て、灰夢が考え込む。
「でも、お前……。俺には普通に話せてんじゃねぇか」
「……っ!? そういえば、確かに……。幽々、普通にお話できてます……」
「……気づいてなかったのかよ」
「なんでだろう。幽々、お兄さんには抵抗感がないんです……」
幽々が自分でも不思議そうな顔をして、灰夢を見つめる。
「送り狼さんは……。その、幽々の友達になってくれますか?」
「人間で構わねぇなら、俺は別に構わねぇが……」
「──ほんとですかっ!?」
「ただ、お前と同じところに、俺は行くことが出来なくてな」
「……同じところ?」
「なんつうか、こう……。死後の世界っうのか?」
「……そうなんですか?」
「あぁ、俺は変わった体質でな。身の危険を勝手に弾いちまうんだ」
そう灰夢が告げると、少女は灰夢の手を握った。
「ほ、本当だ……。幽々、送り狼さんの体に乗り移れないです……」
「だろうな。これのおかげで、俺は自分で死ぬこともできねぇんだから……」
「じゃあじゃあ、送り狼さんは、ずっとそんな身体で生きてるんですか?」
「あぁ、不老不死だからな。こんな見た目だが、もう数百年は生きてる」
「そ、そうなんですね……」
ガッカリとした様子で俯く少女の頭を、灰夢が優しく撫でる。
「そんなに落ち込むな。離れていても、きっと友達にはなれっから……」
「……送り狼さん」
「俺はお前を忘れたりしねぇし……。また、ここに会いに来るさ……」
「──はいっ! えへへっ……」
灰夢の言葉を聞くと、少女は嬉しそうに笑って見せた。
「ゆ、幽々は……。
「……
「うん、
「まんまじゃねぇか。俺は、
「お月様のお名前、凄く素敵です……」
「不死身と幽霊か。こういう出会いも巡りなのかもな」
「えへへっ、そうかもですね。でも、もう──」
「 ──お別れみたいです 」
その瞬間、幽々の体が光り、だんだんと薄くなっていく。
「運命ってやつは、本当に残酷だな」
「でもでも、あなたに会えました……」
「そうだな。俺も幽々に会えてよかった」
「もっと、たくさん……。お話、したかった……」
「……幽々」
そう告げる幽々の瞳から、静かに一筋の涙が溢れる。
「お前のこと、絶対に忘れないからな」
「はい、約束ですよ……」
「あぁ、約束だ……」
「ありがとう、送り狼さん……。幽々なんかの、友達になってくれて……」
空へと上がる幽々を、灰夢は真っ直ぐ見つめていた。
「俺もいつか、そっちの世界に行くから……」
「うん、待ってるの……」
「いつか、お前に……。もう一度会えたら、その時は……」
「はい。その時は、もう一度──」
「 ──幽々の名前を、もう一度呼んでね 」
幽々は静かに微笑むと、天国へ旅立って逝った。
天に登り消えた少女は、流れ星のような涙を流し、
一番星にも負けないくらいの、輝く笑顔をしていた。
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