第弐話 【 体内忌術と自然忌術 】
忌能力の恐怖に怯える、氷麗の涙が止まるまで、
灰夢はそっと抱きしめるように、傍で慰めていた。
「……大丈夫か?」
「……はい、ごめんなさい」
氷麗が涙を拭い、灰夢の顔を見つめる。
「お兄ちゃん、さっきのって……」
「恐らく、忌能力の源が外気に変わったんだ……」
「……外気?」
「忌能力には、体内のものを使う力と、自然のものを操る力に分かれる」
「自然のものを操るなんて、できるんですか?」
「霊凪さんやリリィだって、霊力や魔力なんかの自然のマナを使ってるだろ?」
「そう言われると、そうですね」
「俺の死術だって、似たようなものだしな」
灰夢が自分の手を凍らせながら、氷の花を咲かせる。
「そもそも忌能力者というものは、人間や動物などの存在が、
怪異の持つマナや呪力等の特有の力を扱える者のことを指す。
妖力や霊力、名前は様々だが、お前らの力も原理は同じだ。
そして、マナが無くなる程に力は弱まり、疲労感が溜まる。
だが、忌能力によっては、
ただ走り続けるのだって、人間は酸素を使って筋肉を動かし、
体内の酸素が足りなくなるまでしか、持続することは出来ない。
それが、他の人間にできない忌能力になろうと同じことだ。
例えば、吐いた息で現象を引き起こすなら、肺活量がものを言う。
体の酸素を元に炎を起こすなら、取り込んだ酸素が尽きるまでだ。
そういった、体の中の何かを使う忌能力を【
だが、忌能力者の中には稀に、自然のエネルギーを取り込み、
そのまま能力に転じさせ操る力を持った特殊な忌能力者がいる。
そういった忌能力者は、普通の忌能力者が扱う体内忌術と違い、
マナが尽きるということ以外に、限界という概念が存在しない。
例えば、リリィのように、自然を媒体にした忌能力だ。
リリィは植物の精霊の力を持った、自然を操るとする忌能力者だ。
自分のマナで自然そのものを操り、そのまま周囲に影響を及ぼす。
分かりやすく水の能力で例えれば、人の体の中の水分を操れる者と、
湖の水を全て操れる者との力の差は、誰が見ても規模が違うだろう。
そういった、体の外の何かを使う忌能力を【
それと同じように、もし、氷麗の身に宿っている忌能力が、
体の中の水分を元に、氷を生み出す忌能力では無いとしたら。
体の中の水分だけでなく、空気中の水分までも自在に操り、
周囲を凍らせることが可能な力なら、力の内容が全く異なる。
それは、いわゆる精霊たちと同レベルで、自然の脅威そのもの。
俺ら月影と同じくらい、危険視される程の忌能力に分類される」
「私が、精霊と……。同じくらいの、脅威……」
「……氷麗ちゃん」
不安そうな氷麗の頬を、灰夢が優しく撫でる。
「肌が乾燥してるな。お前、ちゃんと
「あっ、その……。練習に夢中で、あまり……」
「……だからだな」
「……だから?」
「忌能力は体の機能の一つだ。故に、体内の水分が無くなれば力は出ない」
「なるほど……」
「だが、氷麗の場合は体内だけでなく、外気まで操れる力だった。つまり──」
「体内の水分ではなく、外気を凍らせる方面に無意識で切り替わったと……」
「あぁ、恐らくな」
灰夢が影の中から、市販の天然水を取り出す。
「ほら、これでも飲んどけ」
「はい、ありがとうございます」
水を受け取った氷麗が、それを一気に飲み干していく。
「だがまぁ、自然を操れる忌能力は、忌能力者の中でも極小数なんだけどな」
「……そうなんですか?」
「そんなのがゴロゴロ居たら、戦争の兵器にされて世界が終わる」
「た、確かに……」
忌能力の戦争を想像した言ノ葉が、言葉を詰まらせる。
「自然の力は人の力とは桁違いだ。それ故に、異端の忌み子になりやすい」
「異端の、忌み子……」
「可能性は考慮してたんだが、正直、かなり確率は低いと思ってた」
「私は、その極小数だったんですね」
「あぁ……」
氷麗が不安そうな顔で、小さく
「お兄ちゃん。……それ、操れるんですか?」
「むしろ自然を操れるなら、今よりよっぽど効率がいい」
「……効率?」
「体の水分を失わずに忌能力を操れるなら、体への負担はかなり少ない」
「なるほど……」
「それに、技の規模や応用も桁違いに幅が広がる」
すると、氷麗が灰夢の袖を掴んだ。
「あの、お兄さん……」
「……ん?」
「それはいったい、何の役に立つのでしょうか?」
涙目で見つめる氷麗の頭に、そっと手を置いて灰夢が答える。
「 自分の、大切な人を守る為だ── 」
「……大切な人を、守る?」
「そもそも会得するのは、【 人を傷つけない為 】だったろ?」
「……そう、ですね」
「正直、無くてもいいのかもしれない。知らなければ、幸せかもしれない」
「…………」
「だが、お前に既に発現してしまった力だ。その結果は変えられない」
「……はい」
それを聞いて、氷麗が自分の手を見つめる。
「とは言え、もし目の前に、お前だけが救える者がいたら?」
「私だけが、救える人……?」
「いざと言う時。お前の力なら、大切な人が守れるとしたら……」
「守る為に、私は戦わなくちゃいけないのでしょうか?」
「何も相手と傷つけ合わなくていい。物騒なことは俺ら大人の仕事だ……」
「……いいん、ですか?」
「もちろんだ。ただ、その場を凌いで逃げるだけでも、力は役に立つ……」
「逃げる、だけ……」
灰夢は語りながら、作った氷の花を見せた。
「前に自分で言ったこと、覚えてるか?」
「……何をですか?」
「お前、『 私に発現したのも、何か意味があるのかも 』って言ったろ?」
「あっ……」
氷の花を見た氷麗が、植物庭園で話したことを思い返す。
「それを使えるようになったら、今度は、お前が言ノ葉を守ってやれ」
「私が、言ノ葉を……」
「お兄ちゃん……」
灰夢は氷麗の手を握ると、氷麗の目を見て、そっと微笑んだ。
「 それが、お前の力の……
その言葉を聞いて、氷麗の顔に笑顔が戻る。
「……はいっ!」
「ふっ、いい返事だ……」
「でも、もし……」
「……ん?」
「もし、それこそ……。私が、戦争の兵器にでもされた時は……」
「その時は、俺が迎えに行ってやるよ」
「……え?」
「この世界の戦争の兵器なんて、俺らからしたら、たかが知れてる」
「……たかが、知れてる!?」
驚く氷麗を横目に、灰夢が影に穴を開けた。
「……牙朧武、ちょっといいか?」
「……なんじゃ?」
灰夢に呼ばれ、牙朧武が影からひょっこりと顔を出す。
「──ひゃっ!? な、なんか出てきた……」
「こいつが俺の影に住む呪霊。影狼の牙朧武だ……」
「直接会うのは初めてじゃな。小娘……」
「ど、どうもです……」
「あっ、牙朧武さん。こんにちわなのです……」
「うむ、数日ぶりじゃな。言ノ葉よ……」
何事もなく会話をする言ノ葉を見て、氷麗が目を丸くする。
「前に、呪霊については軽く教えたな」
「恨みや憎しみから生まれた負の感情が、形になったものでしたっけ?」
「そうだ。呪霊は本来、その憎しみを晴らす為だけに暴れる怨霊だ……」
「なら、牙朧武さんも暴れたら……」
「牙朧武は暴れねぇよ、絶対に……」
「どうして、そう言い切れるんですか?」
「それは、牙朧武の生まれた理由が──」
「 ──『 大切なものを守れなかった後悔 』だからだ 」
灰夢は少し悲しそうな表情で、牙朧武を見つめていた。
「大切なもの守れなかった、後悔……」
「あぁ……。それが、牙朧武の生まれた負の感情の正体だ……」
言ノ葉と話している牙朧武を、氷麗がじーっと見つめる。
「だから、俺と牙朧武は同じ孤独を知る者を助ける為に戦うんだ」
「お兄さんは、何故、そこまで真っ直ぐなんですか?」
「何も俺たちだけじゃない。ここに居る奴らは皆そうだ……」
「……ここに居るやつ?」
「蒼月、リリィ、満月、梟月、霊凪さん。ここに居る者は、全員同じだ……」
その言葉を聞いて、氷麗は初めてこの祠に来た時の、
月影たちの家族の温もりを、何気なく思い出していた。
初めて訪ねてきた時の言ノ葉すらも、それと同じだった。
迷うことなく真っ直ぐに、自分の手を掴みに来てくれた。
みんな、誰かの為に動ける人間なのだと。
みんな、仲間を想い合える人間なのだと。
みんな、本当の強さを、知っている者たちなのだと──
「俺らは一人の爺に拾われ、共に生きていた婆に世話になった」
「……おじいさんと、おばあさん?」
「あぁ……。俺らが孤独だった時、俺らは二人に救われたんだ」
「…………」
「その二人の意志が、想いが、優しさが、今の俺らに繋がってる」
牙朧武や言ノ葉を見つめながら、灰夢は笑みを浮かべていた。
「みんな、同じ人の背中を見て育ってるんですね」
「そうだ。その背中を追って、今も、こうして皆で共に歩んでる」
「なんだか、カッコイイです」
氷麗が灰夢を見つめながら、小さく微笑む。
「だから、今度は俺らが救う番なんだよ」
「……救う?」
灰夢が振り返り、氷麗の目を見つめる。
「俺らは全員、嫌われ者だ。故に、同じ孤独を知る仲間でもある。
蔑みも、苦しみも、辛さも、恐怖も、絶望も、悲しみも、怒りも。
そんな俺らだからこそ、救える者がいるということを、
手を差し伸べられる者がいることを、俺らは知ってる。
この先で、お前らが、どこかの国の兵器にでもされてみろ。
そんな国の上役全員、俺ら月影がぶっ潰してやっから──」
そう笑って宣言する灰夢の言葉に、再び氷麗の涙が溢れ出す。
「ぐすっ……。おにぃ、ざん……」
「ったく、お前も泣き虫だなぁ……」
「だっで……。ぐすっ、だっで……」
灰夢が優しく頭を撫でながら、氷麗に微笑みかける。
「灰夢の場合は、本当に触れたら灰にする死術を持っておるからのぉ……」
「お前がバカデケェ牙狼砲を撃ったら、何もかも一瞬で終わるけどな」
「あんなの撃たずとも、吾輩が動いただけで人間などぺちゃんこじゃよ」
「バケモノの自覚ありすぎだろ。まぁ、事実そうなんだろうが……」
「お互い様じゃろ。誰のおかげで、こうなっとると思っとるんじゃ……」
そんな話をしながら、牙朧武が灰夢と笑みを交わす。
「 だから、大丈夫だ── 」
「 何があっても、俺が必ず守ってやるから── 」
灰夢は優しく微笑みながら、氷麗の涙を優しく拭った。
「 ……はい、信じてます。お兄さん…… 」
氷麗の心を押し潰していた、力の不安と恐怖が、
灰夢の言葉と温もりに、優しく溶かされるのだった。
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