第肆話 【 落ち着く匂い 】
灰夢と満月は晩餐の後、キッチンで肩を並べ、
みんなの食べ終わった食卓の片付けをしていた。
「……お前、その腕なんだ?」
「……幻影だが?」
「便利だからって、幻影で洗い物するなよ」
「クマにゴミ箱サイズの焼却炉を持たせてるやつに、言われたくねぇよ」
ベアーズが食べカスを焼却炉に捨て、食器を持ってくる。
そして、クマに渡された皿を、灰夢が四本の腕で洗っていく。
さらに、満月が熱風で乾かすという、異形のコンビネーション。
「あのクマ、いつも思うんだが。完全に土足だよな」
「安心しろ。反重力装置で、3ミリ浮いてる」
「アウトだろ。別の意味で……」
くだらない話をしながら、みるみるうちに片付けていく。
その途中、二階から、数人が降りてくる足音響いてきた。
「見てくださいっ! お兄ちゃんっ!」
「じゃじゃ〜んっ!」
「どう、ですか? 狼の、お兄さん……」
「……ん?」
「…………」
上から降りてきた風花、鈴音、言ノ葉の三人が、
猫耳の付いたパジャマを、自慢げに二人に披露する。
「うん、96点……」
「満月、お前も十分ロリコンじゃないのか?」
「何でもかんでも、オレが作ったことにするな」
「違うのか、それは悪かった……」
「耳を見てみろ、猫耳だろ?」
「そうだが、それがどうした?」
「俺なら、クマ耳にするっ!」
「今の俺の謝罪を返せッ!!!」
灰夢と満月のくだらないやり取りが続く。
すると、風花と鈴音が、灰夢の足にしがみつき、
うるうるとした上目遣いで、じーっと訴え始めた。
「……灰夢くん、似合う?」
「……可愛い、ですか?」
「その質問に答えると、俺がまたロリコン扱いされるんだよ」
「大丈夫ですよっ! お兄ちゃん。もう遅いですから……」
「おい、言ノ葉。今、なんて言った?」
「なんでもないですよ〜、えへへ〜っ!」
そういって、言ノ葉も一緒に、灰夢に抱きつく。
「良かったな、灰夢。モテ期じゃないか」
「モテ期って人生に三回っつったか? 初めてがこの歳って、キツくね?」
「まぁ、まだ一度もないよりはいいんじゃないか……」
そう言いながら、満月が部屋の隅で
「おい、自分で言って落ち込んでんじゃねぇよ」
「お兄ちゃん、いじめちゃダメですよ?」
「落ち込んでる原因を作ったのは、お前らだからな?」
そう言いながら、灰夢が猫耳の耳をいじって遊び始める。
「……で、このパジャマはどうしたんだ?」
「これは、リリィお姉ちゃんのお手製なのですっ!」
「あ〜。そういやリリィも、こういうの得意だったな」
「かなり趣味に偏ってるけどな」
「……だな」
灰夢は言ノ葉の頬をぷにぷにしながら、遊んでいた。
「動かなければ、まるでぬいぐるみだな」
「子狐なんか、クマと並んでたらわかんねぇよ」
「これで私も、ケモ耳っ娘に仲間入りなのだぁ〜!」
「ふっ、よくにあってんじゃねぇか。可愛いと思うぞ」
「……ふぇっ!? あ、ありが……とぅ、なのです……」
「いや、なんで赤くなってんだよ」
「う、うるさいですっ! いじわるですよ、お兄ちゃんっ!」
「痛ってぇっ!」
言ノ葉が、猛烈なパンチを灰夢に叩き込む。
「ね〜、鈴音たちは〜?」
「お前らは、いつもケモ耳だろ……」
「ぶ〜ぅっ!」
「お兄さん、言ノ葉お姉ちゃんのこと……。
「ひ、贔屓なんて、そんなっ……」
「だから、なんで赤くなってんだよ」
「うるさいですっ! ぶっころなのです~っ!」
「よかったな、灰夢。殺してくれるってよ」
「これでぶっ殺されんの、理不尽が過ぎるだろ」
三人の少女に、灰夢はひたすらポコポコと叩かれていた。
「わかったわかった、可愛いから。よく似合ってんよ……」
「ほんと? えへへ……」
「ほんと、ですか?」
「あぁ、ほんとだから。早いとこ部屋行って寝ろ」
「うんっ! おやすみ、灰夢くん……」
「狼の、お兄さん……おやすみ、なさい……」
「おやすみなさい、お兄ちゃん!」
「あぁ、おやすみ……」
そういうと、三人が揃って階段へと向かう。
すると、不意に風花が、その場に立ち止まった。
「あっ……狼の、お兄さん……」
「……ん?」
「……羽織、貸してほしいです」
「……羽織? 別に構わねぇが、風花にはでけぇだろ?」
「大丈夫、です……」
「そうか。なら、ほら……」
「ありがとう、です……。狼の、お兄さん……。おやすみなさい、です……」
「おう、おやすみ」
風花は羽織を握りしめると、鈴音たちと共に、
二階にある、灰夢の部屋へと向かって行った。
「随分と羨ましい生活になったな。灰夢……」
「お前には、これが羨ましく見えるのか?」
「そりゃそうだろ。異性に言い寄られてんだから……」
「同じ屋根の下に住んでるガキ共に、何を求めてんだ。お前は……」
「今のお前には、どうせ分かんないよ」
満月が呆れた顔で、自分の理不尽さを訴える。
「……と言うか、お前、別に異性とか無いだろ。サイボーグなんだから……」
「悪かったな。これでも、【 心 】は普通の男なんだよ」
「この歳になると、異性も何もあったもんじゃねぇな」
「お前は少し鈍感が過ぎるだろ、ラノベ主人公め……」
「こんな老骨のラノベ主人公がいるかよ……」
「そう言われると、オレまで悲しくなるだろ」
そう言いながら、満月と灰夢は再び片付けを再開した。
☆☆☆
その頃、梟月と蒼月は、露天風呂に来ていた。
「蒼月が願っていた出会いを、彼は見つけることが出来たみたいだな」
「そうだね〜。むしろ、思ってたより強烈なのがたくさんね」
「ははっ、良かったじゃないか」
「まぁ、彼の場合は、すぐに人の想いには気づかないだろうけどね」
「時間をかけていけば、そのうちわかることもあるだろう」
「あの子は鈍いからなぁ、何年先になることやら……」
「風花くんも、言っていたじゃないか。『 ずっと一緒 』と……」
「時と共に、周りから仲間が居なくなる気持ちは、僕らしか分からないからね」
「そうだな。孤独の辛さは、自分の身で経験しないと難しいからね」
梟月と蒼月が、夜空に浮かぶ月を見つめる。
「これで、彼に【 死にたくない理由 】が見つかるといいんだけど……」
「そうなるかどうかは、これからの彼次第かな」
「爺は今も、俺らを見守ってくれてんのかねぇ……」
「あの男のことだ、どこかの女にでも、うつつを抜かしてるんじゃないか?」
「……かもね。それでまた婆さんに、どやされてるんだろうな」
そういって、蒼月が、酒を一口流し込む。
「お前も、うちの子たちに許可なく手を出したりするなよ?」
「手なんか出したら、霊凪ちゃんに魂抜かれちゃうでしょ……」
「まぁ、お前の場合は、他の子に目がいくこともないか」
「まぁね。僕は、リリィちゃん一筋だから……」
「魔眼を持ってる割には、お前って女湯を覗いたりには使わないよな」
「灰夢くんもそうだけど、君たち僕のことなんだと思ってるのさ」
「割と容赦なく、変態だと思ってるが……」
「待って。それを人生一番の戦友に言われると、割と傷つくんだけど……」
「ははっ、冗談だよ……」
「僕の心の傷は、冗談じゃ済まないよ?」
☆☆☆
その頃、女湯でも、リリィと霊凪も温泉に浸かっていた。
「今日は、久しぶりに賑やかだったわね」
「うん。なんか、昔に戻った、みたいだった……」
「そうね。私が初めて来た時も、あんな感じだったわ」
「……うん」
「あの時は、お爺さんもお婆さんも居たのに、もう随分経っちゃったわね」
「うん、そうだね……」
リリィと霊凪が、静かに夜空の月を見つめる。
「これからは、少しこういう時間を、たくさん作っていきましょうね」
「うん。ワタシも、なるべく、そうする」
「子供たちも、あなたが居たらきっと喜ぶわ」
「私も、あの子たちといると、癒される、から……」
「うふふ、リリィちゃんも、あの子たちに夢中だったものね」
「さっき、お洋服、作ったの……」
「あら、それは帰ったら、見せてもらわなくっちゃっ!」
「凄く、可愛かったよ……」
「これからは、こういう楽しみが増えていくといいわね」
「……うん」
そういって、二人は笑顔を交わしていた。
☆☆☆
灰夢と満月は片付け終え、灰夢の部屋へと向かっていた。
「あいつら、寝たか?」
「寝たんじゃないか? 静かだし……」
二人が、灰夢の部屋の扉を開けると、
言ノ葉が座って、何かを見つめていた。
「なんだ、まだ起きてんじゃねぇか」
「何してんだ? 言ノ葉……」
「うわっ! しっーなのですよ!」
「……?」
「すっごく可愛いんです、ほら……」
言ノ葉の前には、風花と鈴音が、羽織に包まって眠っていた。
「さっき言ってた『 羽織を貸せ 』って、こういうことか」
「安心するそうです。お兄ちゃんの匂い」
「これが逆だったら、犯罪なのにな」
「男女差別だよな。まぁ、男がやってたら俺もかなり引くが……」
「灰夢の匂いって、加齢臭じゃないのか?」
「オイル臭ぇてめぇに言われたくねぇよ……」
「おい待て、オレの体はちゃんと抗菌防臭してるぞ?」
「俺だって肉体は二十歳くらいだ、加齢臭なんかねぇよ」
「……二人とも、しーっですよ」
「……はい」
「……悪ぃ」
言ノ葉の一言で、二人が申し訳なさそうに正座をする。
そんな中、風花と鈴音の寝顔は、幸せそうに笑っていた。
子供らしく甘えるように、ギュッと羽織にしがみついて。
今朝まで、悪夢を見ていたとは、思えないくらいの笑顔で──
「こいつら見てると、なんだか俺まで眠くなるな」
「ふふっ、たまにはお兄ちゃんも、一緒に寝ましょう」
言ノ葉は嬉しそうに、灰夢にベタっとくっついた。
「言ノ葉には、自分の部屋がちゃんとあるだろ」
「いいじゃないですか、たまには。どうせ同じ家なんですから……」
「なら、わらわも一緒が良いのぉ……」
その声と共に、影から牙朧武と九十九が出てくる。
「出てくるなよ、六畳間に七人は狭いだろ」
「良いではないか。今日ぐらいは一緒でも……」
そう言いながら、顔を真っ赤にした九十九が、
灰夢に甘えるように、言ノ葉の反対側に抱きついた。
「九十九、飲み過ぎだ。見た目的にアウトなんだが……」
「ひっく……。硬いことを言うでないわ、ご主人……」
「宴の余韻かのぉ。今は影より、吾輩も外が落ち着くんじゃよ」
「牙朧武が影より外で落ち着いたら、ダメじゃねぇか?」
「吾輩を引きこもりみたいに言うでないわ」
牙朧武が不機嫌そうに、しかめっ面を向ける。
「そんじゃ、オレはベアーズの整地作業が終わったか、確かめに行ってくる」
「待て、満月。お前が消えると俺の逃げ道が無くなる」
「安心しろ、そんなものは初めから存在しない」
「本当に、夢も希望もない家庭用ロボットだな」
「夢や希望を持った家庭用ロボットに、人型破壊兵器なんて異名はつかないだろ」
「確かに、夢や希望諸共、破壊するような名前してるもんな」
冗談を挟みながら、満月が出口に向かう。
すると、不意に扉の前で満月が立ち止まった。
「……灰夢」
「……あ?」
「今日は、よく生きて帰ってきたな」
「まぁ、不死身だからな」
「それでもだ……」
「満月にも、今日はかなり迷惑かけたな」
「共に過ごせば、お互い様だ。気を許している証拠と受け取っておくさ」
「そうか。礼を言うよ」
「まぁ、今日ぐらいはゆっくり休め……」
「あぁ、そうさせてもらう」
「そんじゃな」
そう言い残して、満月は灰夢の部屋を出ていった。
そんな満月の背中を見て、九十九が灰夢に問いかける。
「あやつは、ご主人と特別親しいのか?」
「満月は、俺と同時期にここに来たんだよ」
「なるほど、そうなのか」
「数日向こうが早いが、月影の中でも同期みたいなもんだな」
「確かに、ボケとツッコミのコンビの連携もよかったのぉ……」
「昔からウマが合うんだよ。あいつは……」
過去を思い返すように告げる灰夢に、九十九の質問が続く。
「ご主人は、後からここに来たのか?」
「あぁ……。ここに来た順番でいえば、俺は一番最後だ……」
「お兄ちゃん、もっと初めからいると思ってました」
「中身が老けとるせいか、みな世代の違和感ないのぉ……」
「互いを知り合ってからは、もう長いからな」
「まぁ、それもそうじゃな」
「満月も俺も他の奴らも、初めはもっと人との距離を遮断してたくらいだ」
「そう、なんだ……」
「なんだか、想像出来んのぉ……」
「初めは俺にも、ここは化物臭の強い場所だったんだが……」
灰夢は静かに微笑み、眠っている風花と鈴音の頭を撫でた。
「俺も気づかねぇうちに、ここの匂いに染まっちまったらしい」
「狼の、お兄……さん。えへへっ……」
「えへへっ……。灰夢、くん……」
「 だから、今度は俺がこの
お前らを包み込んでいく番なんだろうな 」
そういうと、灰夢は静かに笑みを浮かべていた。
軽い言葉一つで、心は誰しも傷がつく。
そこには、能力の善し悪しなど関係ない。
悪魔も鬼も呪霊も精霊も、それこそ人間も、
種族は違えど、生きる者の心はみな同じなのだと。
優れた者は、普通という定義の中では特に目立つ。
そして、目立つ者はより多くの非難を受けてしまう。
中には慰めや同情の言葉も、中にはあるのだろう。
けれど、傷つく言葉の圧力に消されてしまうのだ。
みな、どこか他者の目を気にして生きている。
目を瞑り、耳を塞ぎ、心を閉ざせば簡単かもしれない。
だがそれは、自ら孤独に生きると決めるのと同じ。
故に、己をさらけ出せる居場所というのは、
並外れた力を持つ者ほど、簡単には見つからない。
その大切さを、灰夢は嫌という程知っていた。
孤独を、痛みを、恐怖を、絶望を、心が知っているから。
例え、不死身の体であろうと治らない。
悠久の時を生きようと、慣れることは無い。
それを知っているからこそ、芽生える感情というものがある。
それを知っているからこそ、同じ境遇の者に与えられるものがある。
それをこの身に教えてくれた者に、できる限りの恩を返すために。
与えられた想いが『 無駄ではなかった 』と、恩師に答えるために。
今度は、自分がこの先巡り会った者達に、
その温もりを与えて行こうと決めた日のように。
灰夢は小さく微笑むと共に、心の中で呼びかけるのだった。
( 爺さん、婆さん……救ってくれて、ありがとな。
あんたらの意志、ちゃんと俺らが継いでっから )
そう心で唱えながら、灰夢は周りの者たちを見つめていた。
「お前らも、今日はありがとな」
「気にするでない。ご主人に従うのが、わらわの務めじゃ……」
「吾輩とお主の仲じゃろ。今更、遠慮なぞ要らぬ」
「ったく、随分と良心的なバケモノに恵まれたもんだ」
「わたしは、あまり役に立ててないですけどね」
一人
「人である言ノ葉の分け隔て無い笑顔が、俺やこいつらに笑顔をくれるんだ」
「……そ、そうなんですか?」
「あぁ……。だから、これからもこいつらをよろしく頼むな」
「はいっ! えへへっ、任されたのです……」
そういって、言ノ葉は嬉しそうに笑顔を見せた。
小さな六畳間の一室で、心を閉ざしていた者達の笑顔が、
優しい匂いに包まれながら、そこでは確かに美しく咲いてた。
❀ 第参章 捨てられた妖鬼姫 完結 ❀
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