「転移」part 2

「…さむっ…」

 

 廊下は部屋より一段と寒かった。階段を一歩下りるたびに足が冷え、段々感覚がなくなってくる。


 早くあったかいところに…


 階段を降りると、正面にリビングに通じるドアがあった。ユウキは目の前まで進み、開けるためにドアノブに手を掛ける。

 まだ昨日までのエピソード記憶を思い出せないが、この場所が何処か、このドアの向こうに誰がいるかはハッキリと分かる。


 リビングにはーーーが…


  ガチャッ とドアノブを捻り、静かにドアを開けリビングに入ると、中にはスーツに着替え、ダイニングテーブルの椅子に座っている叔父と、キッチンで朝御飯の準備をしている叔母の姿があった。


  叔父と叔母はリビングに入って来たユウキに気付き微笑んだ。


「あらユウちゃんおはよう」


「今日は起きるのがいつもより遅いみたいだな」


 ユウキはいつものように叔父と叔母に挨拶しようとする…が―――


「………」


  言葉に出せなかった。

 叔父と叔母の姿を見た瞬間、瞼の裏が急に熱くなり、頰に冷たい何かが伝うのを感じた。


「ユウキ…どうした?」

 

  叔父の心配そうな声が聞こえる。だがユウキは叔父の声に返事をすることができなかった。

 

 あれ…なんで?


  ユウキは泣いていた。悲しい訳ではない。辛い訳ではない。ただ心の底からという気持ちが沸き起こり、静かに涙を流しているのである。


「ユウちゃん…大丈夫?」


  心配そうに駆け寄ってきた叔母の手がユウキの肩に触れる。

 その肩に触れられている手の感触さえ懐かしいと思える。


「大丈夫」


  心配をかけてはいけない。そう直感で感じたユウキは涙を手で拭い、何も問題ないことをアピールした。だが、拭っても拭っても涙が止まらない。叔父と叔母は心配そうにユウキを見つめている。

 

  何だよ…急にどうしちゃったんだよ自分…叔父さん達も心配そうに見てるし…


  このまま二人に無駄な心配をかけさせてはいけない。そう思ったユウキは、何事も無いように思わせる軽快な口調で「多分悪い夢でも見ちゃったのかも。ちょっと顔を洗ってくるね」と言って、洗面所に向かった。




 うぅ〜冷たてぇ〜


  洗面所に入ったユウキは顔を洗っていた。

 二度三度顔を洗い、水で濡れ冷えきった顔をタオルで拭いたユウキは眼鏡をかけて鏡を見た。

 顔を洗った事で気分がリフレッシュしたのか、涙はもう出ていない。その事に一安心したが、その次の瞬間、鏡に映っている自分に、幻影とも呼べる青年の姿が重なった。


 え…?


  鏡に映っている青年の姿は、背はユウキと全く同じで、体格もほぼ変わらない。

 変わっている所があるとすれば眼鏡をかけておらず、髪が茶髪で前髪が真ん中から二つに分かれているという事ぐらいである。


  目の前で起きている事が信じられず、まだ夢でも見てるんじゃないかと思ったユウキはギュッと目を瞑り、再び鏡を見た。


 ……?


 鏡には自分の姿しか写っていなかった。この事にユウキは戸惑いを覚える。


 気の…せい?まぁいいや…


 どっちにしろ今の青年に見覚えはないし、きっとまだ少し夢現ゆめうつつになっているだけだ。だから一旦、この事は頭の隅に置いとく事にした。

 さっきの事が気に掛かっていたからだ。


  …本当に何だったんだ?


  何故、叔父と叔母の姿を見て急に涙が溢れ出てきたのか未だに分からない。悪い夢、先程自身が言った発言を思い出す。


 悪い夢、か…見た感じはするんだけど、どんなだったかは…分からないんだよなぁこれが。


  ユウキはド忘れなのかは分からないが、昨日までの記憶を思い出せないでいた。

  覚えているのは、急なアラームで目が覚めて今に至っていると言う事だけだ。となれば記憶は今朝からのものしかなく、勿論本当に見たか分からない夢の記憶は無い。

 このままだと後々不安になってくると思ったユウキは一度冷静になり、集中して昨日までの事を思い出そうとした。が…


 …取り敢えず戻ろ。みんな待ってるだろうし…何よりもここ寒い!


  洗面所は冷え切っており、とても長居できるような場所では無い。最初、入って顔を洗うのを躊躇ったぐらいである。

 仮に洗面所が長居できるような温度であったとしても、先程のユウキを見た叔父達が心配して待っているだろう。 そう思うと、新たな心配をかけさせる前にもリビングに戻るのが先決だ。

 別に思い出そうとするのは、此処じゃなくても何処でもできる。そう思い至ったユウキは、この極寒の場からいち早く去る為、洗面所を出て叔父達の居るリビングに向かった。



  洗面所を出てリビングに戻ると、食欲をそそる美味しそうな匂いが鼻に伝わってきた。

 匂いのする方を見ると、ダイニングテーブルに人数分の料理が置かれており、イスには叔父と叔母が座っている。

 祖母がリビングに戻ってきたユウキに気付くと心配そうな表情で言った。


「ユウちゃん、もう大丈夫なの?」


「うん。顔を洗ったらさっぱりした」


「そう…よかったわ…」


  叔母は何か思い詰めた表情をしている。

 叔父も同様だ。

 やはりかとユウキは思った。

 叔父と叔母に、自身も理由が分からないのに涙を流して無駄な心配をさせてしまったと言う申し訳ない気持ちが出てくる。

 ユウキはその事に対して謝ろうと…が、言う前に叔母によって言うタイミングを逃してしまった。

 さっきの思い詰めた表情を打ち消すように、明るい表情で叔母が言った。


「さぁ、冷めないうちにご飯を食べちゃいましょ。あなたもユウちゃんもと仕事に遅れちゃうわよ」


「お、そうだな。じゃあ食べようか」

 

「ほら、ユウちゃんも座って」


「うん…」


  叔母にイスに座るよう促され、ユウキは何処か力の無い返事をした。

 それには理由があった。


  まさか学校の事まで思い出せないとは…


  叔母に言われて気付いたのだ。

 学校の事、場所まで思い出せない事を。


「「頂きます」」


  そう言って叔父と叔母は朝ご飯を食べ始める。

 ユウキもそれを見て取り敢えず自分も食べなくてはと思い、「頂きます」と言って食べる事にした。

 ユウキは何も問題ないように見えるよう振舞ってはいるが、内心はとても焦っていた。

 

  ちょっと待てちょっと待て…一旦落ち着いて、一から自分の事を振り返ってみよう…


  流石に此処まで思い出せないのはまずい、このままだと少なからず生活に支障が出てしまい、叔父達にも本当に迷惑をかけてしまう。

 ユウキは全神経を集中させ、朝食を食べながら自分の事、過去の事を振り返ろうと試みた。


  まず自分の名前はユウキ・ナサイ、今年17歳でメカ、ロボアニメをこよなく愛する者…小5まではお母さんとお父さんと真奈の4人で暮らしてたけど…その頃からは訳あって叔父さんと叔母さんの家にお世話になっている…よし、自分の事は覚えてる…


 今ので分かったのは自身の事も勿論だが、幼少期の頃の記憶は覚えている。

 少なからず叔父達の家に来た小学5年生までは。

 ユウキはそれ以降の事を思い出そうと再び思考を巡らせる。


  小6の時はどうだったっけ…そうだ。卒業式の時に叔父さん達が来てくれたっけ…中一の時も入学式とか部活とかしてた記憶があるから大丈夫…


  此処までは順調に記憶が残っていて思い出すことが出来ている。だが、問題はこっからだった。


  中2の時は…中2の、時、は……あれ?思い出せない…


  中2の頃の記憶、すなわちユウキが13、14歳頃の記憶を思い出すことが出来なかった。

 思い出そうとしても何も浮かばない。

 それ以降もそうだ。

 中3にあるはずの卒業式の記憶も、高1にあるはずの入学式の記憶も誰かの手で記憶のフィルムを丸ごと切り取られたかのように思い出すことが出来なかった。

 休んだんじゃないの?とも思ったが、卒業式を休むぐらいなのだから少なからず記憶は残るはずで、高校の入学式も一番最初に休む人はそういないはずだ。

  此処からわかる事は、覚えているのは中1の最後まで…中2に進級するまでである。

 中2の時に。そうユウキはその時のことに思考を集中させた…次の瞬間、脳裏にオレンジ色の何かがゆらめき、それが部屋全体に広がっている光景が浮かび上がり

『早く逃げろ!』『危ないっ!』

 と言う二人の男女の声が、ノイズのように急に思考の中に割り込んで来た。


  何だ…?今の…と言うか今の声って…


  声の正体、それが誰なのか探ろうとする…が、確実に聞き覚えのある声、ユウキが知っている人であると思うのに、思い出しそうで思い出せなかった。

 その事にユウキは苛立ちを覚える。


  何でだよ…何で思い出せないんだよ…じゃあ昨日は!昨日の事だったら…!


  昨日の事だったら流石に何かしら覚えているだろうと思ったユウキは昨日の事を思い出そうとしたーーー


「…ッ!」


 だが、昨日の事を思い出そうとした瞬間、 頭を針で刺されたような鋭い痛みが襲った。

 頭痛による鋭い痛みで朝食どころではなくなり、ユウキは思わず頭を手で押さえる。


  …っ頭が痛い…何だよこの痛み…


『上空に高エネルギー反応です!』『君達丁度いいからさぁ!』


  っ…また…


「ユウちゃんどうしたの…?」


  また聞こえた今度は聞き覚えのない声。

 叔母の心配そうな声が聞こえたが、今も続く頭を針で刺されているような激痛で返事をすることも声の正体の事も考える事が出来ない。

 だがこの時、頭痛による激しい痛みにギリギリのところで耐えていたユウキの思考が、ある一つの方法を思いついた。

 もしこの方法が成功すれば頭痛は治ってくれるはずだ。

 瞬時にそう思い至ったユウキはこの激しい頭痛から解放されるべくすぐさま行動に移した。

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