第一話 始まりはウゴウゴで(2/5)

 店の看板が見えてきた。

 古いせいかウゴウゴという文字のインクが雨で滲み溶け落ちている。

 呪詛の類と勘違いしそうなくらい不気味だ。

 開けっ放しの扉を潜ると、奥の机に座る赤毛の女性が笑顔で声をかけてきた。


「あらココロちゃん。来てくれたのね。今日は何を頼まれたのかしら」

「今日はおつかいじゃないの。また外のこと話してよ」

「いいわよ。どうせ他にお客さんいないしね」


 彼女はポニータ・デリシアス。

 ポニーの愛称で親しまれるウゴウゴの店員である。

 冒険者として多くの国を渡り歩いた経験があり、ココロが来るといつも面白おかしく旅の話をしてくれる。


「じゃあ、いちばん苦労した遺跡探検の話をして!」

「ええ、かまわないけど、この前の話とオチは一緒よ。超絶イケメンが私のピンチを救って攻略完了」

「またそういう惚気話なの。聞きすぎたし、聞き飽きたし!」

「ロマンスのない冒険なんてつまらないでしょう」


 彼女の冒険の話ではだいたい謎のイケメンが活躍している。

 同居する息子の父親らしいが、名前や経歴は頑なに教えてくれない。

 とてつもないイケメンで性格も良いらしいが、あまりにも現実離れしすぎていてココロは実在を信じていない。

 二本の剣を同時に操るだとか基礎魔術を全種使えるだとか、設定を盛りすぎなのだ。

 もっとも、話を面白くするスパイスにはなっているので本当はいないんでしょうと問い詰めたりはしない。


「旅の話ならライガードさんもしてくれるわよ。あの人キャリア長いから、ほとんど大陸中を旅してるもの」

「ライガードさんかぁ」

「あら、ちょうど帰ってきたみたいよ」


 外から二つの話し声が聞こえる。

 片方は今話題に上がっていたウゴウゴの店主、ライガード・カリーの声だ。

 背の高いスキンヘッドの大男である。

 愛想が悪くいつも仏頂面なので初めて会ったときには怖くて泣いた。

 今は慣れたので雑談もできる。


 ライガードは店の表で煤けた服をぱんぱんと叩いていた。

 その横でココロよりも背の低い少年が木炭の詰まった籠を地面に置いた。


「あいつも帰ってきたんだ」


 少年の名前はポーク・カリー。

 ポニータの息子である。

 アルノマである彼には一度見たら忘れられない特徴があった。

 豚にそっくりなのだ。

 二足歩行で蹄もないが、耳は頭の上についていて鼻は豚のそれだ。

 白い産毛は生えているが髪の毛はない。

 ややぽっちゃりとした体型も豚っぽさを増している。

 アルノマは特徴ある見た目に育ちやすいが、ここまで他の生き物に似ることは稀らしい。


 ココロは深いため息をついた。

 彼が嫌いなのだ。


「あっ、お前、また来たのかよ」


 早速ポークが絡んでくる。

 顔を合わせる度に大した理由もなく悪態をついてくるのだ。

 こいつさえいなければウゴウゴは楽しいところなのに。


「うるっさい。あたしに何か用?」

「そっちこそなんの用だよ」

「別に。あんたに会いに来たわけじゃないのは確かね」

「なんの用だって聞いてんだよ」

「時間があるからポニーさんとお話しに来ただけよ」

「客じゃねぇのか、なら帰れ。ほれ、帰れ!」


 手で払う仕草をされた。

 ここまで邪険に扱われる理由がわからない。

 他の客には腰を低くして対応するくせに、なぜかココロにだけでかい態度をとる。

 どうしようもなく嫌な奴なのだ。


「ざんねーん。ちゃんとおばあちゃんにお金もらってるもん」


 預かった小銭袋を上下に振って鳴らしてみせた。

 物を買う予定はなかったが、店に居座る大義名分である。


 するとポークは舌打ちした。

 客に対して舌打ちである。

 むかっときた。

 動かなくなるまで殴ってやろうと思い、小銭袋ごと拳を握る。

 するとポニータは「こら!」と怒鳴り、つかつかとポークに詰め寄った。

 腰を屈めて顔を近づける。


「あんたって子は何回言ったらわかるの。他人に舌打ちしないって教えたでしょう」

「でででも母ちゃん、こいつどうせ買う気ないんだぜ」

「こいつって言わない!」


 ポークの目がぐるぐる泳いだ。

 早すぎて渦が発生しそうだ。

 叱られるといつもこうなる。

 だがこれは母親を怖がっているだけで反省しているわけではない。


「ご……ごめん……なさい……」


 やっぱりだ。

 口では謝っているが、ポニータの視界から外れたとたん舌を出して馬鹿にしてきた。

 まったく懲りていない。

 相手にしても気分が悪くなるだけなのでココロはぷいと目を背けた。

 するとポークの怒りを煽るような顔がポニータにばれたようで、教育的追いかけっこが始まった。


 買い物をする予定はなかったが、これ以上悪態をつかれたくはない。

 ココロは店内を見渡した。

 できるだけ多くの物を並べるために木箱や棚が機能的に配置されている。

 商品も生活雑貨、工具、農具、消耗品、と用途別に分けて管理してあり、棚を眺めているだけでも楽しめる。


 店の中を歩いていると乾燥草や薬瓶が並んでいる棚の最上段にココロの目がとまった。

 分厚い本が七冊も並んでいる。

 本は高価なため気軽に買えるものではないが、興味はある。


 ココロの家には一冊だけ本がある。

『文字を覚える本』だ。

 父が幼い頃にサキから貰ったものらしい。

 文字の使い方を覚えれば将来就ける職の種類が広がるとサキから教わったため、ココロは家で時間を見つけては勉強していた。

 せっかく読み書きの知識を得たのだ。

 本を買うお金はないが、ちょっとだけでも読んでみたかった。

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