BEYOND THE STORY

Sunny Sunny Sunny

第1章

第1話 百万 一与 ①

 序章


 神の力か偶然か、何かの力が働いたのかはすでに知る者はいないが、膨大な時の流れの繋ぎ目に、一粒のしずくが生まれた。


 滴は同じ時をつむぎながらやがては広がり、そして一つの始界ティアとなった。


 水は透き通り、地は雄大で、万物は生命に溢れ、およそ世界が望むものは天から与えられ、説明などつかないほど美しく調和のとれた平和な世界が、そこにはあった。


 いつしか世界の望みは膨らみ『欲』が生まれた。


 同じくして天からの恵みも止んだ。

 

 天は閉じ、木々は枯れ、地は剥がれ、水は裏側を忘れた。

 

 奪い、争い、それでも欲は膨らみをやめることはなく、美しかったその世界は、今では終焉しゅうえんを待つだけの世界、只々全てが終わりを待つだけの終界ティアレスとなった。


 『始界雫ティアドロップ』第1章第1小節・・・ユグニド・リーアム


 --------------------------------------------------------------------------------------------------------


 空に終わりなどないかのような、雲ひとつない晴れ渡った青空の下、豊かな自然に囲まれたその戸建の中、一階から二階へ繋がる階段、檜皮色ひはだいろの床の木目の継ぎに合わせて、ズシズシと足音が近づく。


 その先の部屋へ繋がる閉ざされた戸は、きしむ音も間に合わずに、勢いよく開いた。


 —— BaTaNバタンッ


「イチっ! な・ん・か・い・呼べばあなたは来るのー!」


 仁王像におうぞうでもなかったにらみをきかせ、先日実演販売にまんまと魅了され購入した、どんなに熱い汁物も適温で味見ができるという、主婦層に大変喜ばれているおたまを片手に、年頃の息子への配慮もなく突如として現れたのが、百万ヒャクマン晴美ハルミ(通称:母さん)だ。


 最近の嬉しかった事は、宣伝文句通りに、化粧のノリが良くなった化粧水と出会えた事。


「え? あ、ごめん、すぐ行くよ」


 そしてこの母親の睨みも凄みも引き継がれなかった、どちらかといえば人前で何かを強く表現するという事は苦手で、人の顔色を見ては、遠慮気味に日々を送るという所謂いわゆる一般平均男子が、この物語の中心人物、百万ヒャクマン一与イチヨ(通称:イチ)である。


「イチはいつも時間通りにご飯食べてるんだから、必ず返事だけはしてちょうだい! 毎回二階に上がるのも大変なのよ …… 」


「ごめん、聞こえなかったんだ …… 」


「声は部屋まで届いてるでしょ …… いつもそれに集中しすぎなのよ!」


「ごめんなさい …… 」


「すぐ来なさいね!」


 晴美ハルミは嵐のように来ては去っていった。


 和式六畳の一般平均男子に似つかわしいこの部屋が、イチの部屋になる。


 この時代、娯楽も勉強もパソコン一台あれば充分なのだろう。机の上には余計なものもなくすっきりと片付いている。しかれども、部屋は広々としているわけではない。


 三面一杯にガラスケース棚が並び、中には多種多様にお決まりのポーズで静止したキャラクターフィギュアが丁寧に整列されて、和式六畳の多くを占めている。


 特に最近ネット追跡広告の誘惑に三時間で負け購入した黄金解決おうごんかいけつブルジョワンのベルトのバックルが金メッキリミテッドエディションは大のお気に入りの様子だ。


 母親の呼び声など届かぬほど集中して眺めていたのは、先日発刊された黄金解決ブルジョワン358巻の電子書籍。


 度々出て来るこの黄金解決ブルジョワンとは、初版から350年以上たった今尚続く作者不詳のベストセラー小説だ。


 主人公ブルジョワンが金に物を言わせ強引華麗に事件を解決していくという、イチの年頃にも似つかわしくない内容でもある。


 机の上のパソコンを閉じ、席から立ち上がると、部屋一面に飾られたキャラクターフィギュアを見渡し、ガラスケースの中にわずかに空いているスペースを見つけると、何ともいい難い口角だけは上がっている笑顔を浮かべる。


「次のブルジョワンの相棒、ハイソサエティの首輪がジルコニアリミテッドエディションはここに飾ろう!」


 イチが階段を降りリビングに出ると、母親の作る野菜スープと果物ジャムを始めとした、いつもの優しい匂いに包まれる。


 チンッという乾いた音と共に、香ばしい小麦粉の香りを漂わせるトーストが三切れ顔を覗かせると、イチはさもタイミングを測っていたかの様に、三切れ全てを手に取り、決められた階段近くの席へと座る。


 テーブルには茹で卵と色とりどりのジャム瓶が並ぶ、よく見ると瓶の中ではあわくマーブルな輝きを放ちながらが、緩やかに、流動的にジャムが動いて見える。


 この世界でも珍しさを感じるには充分の品であるが、トーストには自然とバターを塗るように、ここでは自然と日常に溶け込んでいる。


 イチはどれも手に取らず、横の甘い香りのチョコレートカブジャムのスープに、先ほどのトースト三切れを千切っては、じゃぶじゃぶとつけ始める。


 —— BiJyuビジュ JyuBuジュブ


「兄貴早起きなのに、いつも遅刻ギリギリになるのどうにかなんないのぉ?」


 隣の席には起きたばかりで、髪も表情もまだ定まっていない妹の晴姫ハレヒメ(通称:ハレヒメ)がテーブルに顔をうずめ、紙面表現ギリギリの姿でゆるゆると脱力しながら、なんとか椅子に腰掛けている。


「遅刻は一回もしていないよ。問題はないだろ」


 イチはビシャビシャになったトーストの染み込み具合を確認すると、ボウルによそられた殻付きの茹で卵に手を伸ばす。

 両手に一個づつゆで卵を持つと、テーブルの上でコロコロと同時に転がしながら殻にヒビを入れていく。


「そういう意味じゃないのぉ。相変わらずエンプティオーラ読まないなぁ」


 晴姫ハレヒメは顔をテーブルへ沈ませたまま、刹那にはその元となる生物を言い当てる事を拒むような、それでいながら得もいえぬ可愛さだけは残すキャラクターの形取られたスプーンだけを、イチの顔の横でゆらゆらさせている。


 イチは構わず両手で器用に茹で卵の殻を剥き取っていくと、準備の整ったビシャビシャパンと茹で卵二個を、調和もなく不規則に平らげていく。


 そこへ母親が追加のジャムを差し出しに、瓶を抱きかかえるように一歩づつ丁寧にテーブルへ近寄る。


 色は違えど先ほどのテーブルに並ぶジャムと同じように、淡く輝くようなそれからは、小瓶の割には両手で抱えなければならない義務感を負わすような重さを感じる。


「ハレヒメ、行儀が悪いわよ。シャンとしなさい」


「お母さん何それ? 重いの? もしかしてお父さんまたジャム送ってきたの?」


「お隣さんに勧められたんだって」


「お父さん家の隣って果物屋じゃん。何個ジャム買い続ける気よぉ。毎回見た事もない果物ジャムばかりだし、このテーブルのエンプティオーラ読んで欲しいわぁ。」


「いいから、二人ともそれ食べたら早く生魂いくたま神社に向かいなさい! 来月には認定試験でしょう!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る