第16話 虫の幕が下りる
小梅を奪おうと現れた外労バグモタは、残らず機能停止したらしい。レーダー上にあった無登録バグモタの3つの赤い点滅は、電気信号のみの黄色点灯に変わっていた。けれどそれは小梅も同じだった。
わずかなバッテリーの余力で上半身を動かし、コクピットハッチを開閉可能な状態に仰向けたが、完全に燃料がきれたいま、バグモーティヴで駆動させる下半身で起き上がることはできなくなった。トランスヴィジョンが知らせた小梅本体の機体状態に、致命的なダメージはなかったが、燃料計は無論のこと、バグパックの虫量表示もクラック値表示もゼロ、どころかバグパックの装着認識表示まで消えていた。
ウメコはシートベルトを外して、バイザーを降ろし、コクピットハッチを開けると、シートを踏み蹴って、仰向けの小梅のお腹に立った。
すぐそばで外労連のバッタ型バグモタが、虫の切れ間の中に煙を立ち昇らせて、機体を前のめりに倒れていた。バイザー内トラビですでに気づいていたが、その向こうから保安労のバグモタがガシガシと近づいて来る。外労連のバッタ型は、保安労にクラック弾をお見舞いされ、所持していた自機のクラック弾の連鎖破裂によって大きく背面が損壊したらしい。その影響は後頭部にまで及び、ベリー級クラックウォーカー標準装備の頭部脱出ハッチごとえぐれていた。見たところもう開きそうにない。こうなっては自力で抜け出ることはできないだろう。ここが切れ間だと気づきウメコはバイザーを上げて直に見た。雑多に組み合わされた改造機のなれの果ての姿に、敗北者の哀れさというより、アンチネッツのやりきれなさに、こっちまでセンチになってしまった。「バッタもんのくせに・・・!」
切れ間を見渡せば、トランスネット・アンテナのいくつかが倒れていた。
「大丈夫なのかい、イチゴ軍団?無事でよかったな」保安労のバグモタが男の声でスピーカー越しに言った。こっちは、<草冠>純正のバッタベリー<草刈三式>だった。「しかし一機でよく頑張ったじゃないか、上出来上出来!」
ただでさえ気が立っているウメコは、保安労のバグモタ乗りの、自分とたいして変わらない若い声が、まるで子供に言うような物言いできたのにムカッとしてキレた。「余計なことしやがって!お前が来たせいで、せっかくのパンチよけられたじゃないか!」
「なに?助けられてなんだその口は!オレが来なかったら身ぐるみはがされてたろうが!」
「ふざけんな!お前のせいでこっちのパンチ空振りしたんだ、ボーナス横取りしやがって!コンチクショー!!!」
「捕虫労が偉そうになんだ、コノヤロー!」保安労のレンジャーはハッチを開け、コクピットの開口部に乗りあがって怒鳴ってきた。「たかがベルリンガー級のくせに生意気だぞ、コラ!」
「フン、誰のおかげで毎にち高クラック虫入れてバグモタ動かせてるんだ!捕虫労に感謝しろってんだよ!」
「どこの班だ!?お前!・・・8班?・・・レモンドロップスぅ?」バイザーのトラビ情報で確認した保安労の男は、今度はバイザーを上げて不審な目をしてウメコを見た。
「ホントだったら今頃はバグパイパーだってんだ・・・」ぼやくウメコの鼻先を、一匹のクラック虫が飛んで行った。紫焦虫だった。小梅の機体を見渡すと、背中の辺りから、二、三匹の虫が這い出てきて、ちょうど飛び出すところだった。あんなにいっぱいだった虫は、すべて破れた網から逃げてしまったあとだった。ウメコは口惜しく、最後の一匹らしい紫焦虫が飛び立って行くのを放心の態で見送った。「せっかくの収穫が・・・」
「そうか、お前、元レモネッツだな!」保安労の男が忌まわしい記憶を思い出したように言い放った。
「フン、だったらどうなんだよ」ウメコはたてついたが、まだどこか心ここにあらずのまま、もうあと10数メートル先まで迫ってきた虫霧の方をぼんやりみつめた。切れ間は収縮して、やがて閉じてしまうだろう。こんな風にバイザーを上げて外気に触れていられるのも今のうちだ。まだしばらくの時間は残されているようだった。肌に触れる外気は新鮮だったけれど、バグモタを動かして帰るには、虫どもが早くここまで来て、補給しないことには、どうにもならないのだった。
――しまった。バグパックが完全に壊れてるんだ――自動捕虫器の方は使えないとなると、手持ちの捕虫喇叭しかない。したたか打ったから、こっちの具合を早いとこ確認しないといけない。目視で判断するかぎりでは壊れたようには見えないが、もしこっちまで使えないとなると、保安労の助けがないと戻れなくなる。ウメコは保安労にきつく毒づいたことを、いまさら少し後悔した。
「虫に呪われた娘どもというのは本当らしいな」保安労の男は、さっきとは打って変わって動揺していた。「それでこんな切れ間ができたのか?でなきゃ説明がつかねえ・・・。Bug bless me!」
保安労は呪われた娘にはこれ以上関わりたくないといわんばかりに、さっさと操縦席に戻りハッチを閉めた。
ウメコも一旦コクピットに戻り、捕虫喇叭の調子を確認したが、こっちは異常ないようで、ひとまずホッとした。ただ上半身稼働のためのバッテリー残量はギリギリだった。
小梅の周りが無事、虫霧に覆われる間際まで、ウメコは仰向けに口を開けたコクピットの中へ足をぶらりと下ろして開口部の縁に座っていた。トラメットを脱いであらわになったミディアムショートの毛先のとんがった髪が、ヘアバンドで後ろへなびかせたままの形は崩さず、風にそよともしない。
虫霧の侵略は思いのほか進まず、その間に数機のクラックウォーカーと牽引車を引き連れて編成された保安労のバグモタ班がやってきて、あれこれ状況見分してるのや、最初にウメコが倒したバグモタをせっせと運んでいくのや、目の前で倒れた無法バグモタを起こして、こじ開けたハッチから操縦者をしょっ引いていくのを黙って見ていた。
ウメコが倒した、一機目の無法バグモタの操縦者はすでに逃げたあとだ、と保安労のひとりが教えてくれた。二機目のは、結局あの居丈高な保安労がトドメをさして倒したことになるのだとも聞いた。なんでも、逃げられないよう前のめりに倒し、第二ハッチのある頭を潰すことが肝要なのだという。けどこっちの放ったスピッターは二機目のにだいぶ効いたはずだ、半分はこっちの手柄だろ、とウメコはムシっとしたが、記憶もあいまいだったから、口をつぐんでいた。あとで記録の照合をすればハッキリすることだから別にいいんだ、と。それからまた別の保安労のひとりが、こちらはうんと丁寧な男らしく、小梅の虫切れに、なすこと無く佇んでいたウメコに、こっちで補給してやろう、と他の保安労が労務に忙しいからか、ウメコが元レモネッツだと知ってか、あまり近づいて来ないなか、親切で言って寄こしたのにもかかわらず、くさった気分と、さっきの居丈高なやつの手前もあり、素直に好意を受けられなかった。だいいち補給もノルマの捕虫要員が逆に補給してもらうなど、捕虫労の沽券にかかわるというものだ。どうせ好意を受ける気分でもなかったし、ギリギリまで切れ間の中で頭を冷やしたかったから、ウメコはあっさり突っぱねた。やさしい男の雰囲気に、けして照れたわけじゃない。
保安労もそろそろ引き上げはじめ、空が暗くなり始めた頃、すぐ側まで迫って来た虫霧のベールを見て、やっとウメコは腰をあげると、コクピットに戻り、節電のために切っておいた小梅の電源部分を起動させて捕虫喇叭を構え、やって来た虫どもをブンスカと腰殻の中の空の燃料タンクに送り込んだ。どうにか小梅を立ち上がらせ、無事虫霧の中に戻ってまもなくすると、切れ間も蝶も紫焦虫も、みな夕べの夢のようにウメコの中で遠のいていくようだった。
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