3話.竜涎香ワイン

 ここは『カーサネグロ』。


 マラッガから船でジブラータル海峡を通り抜けると、そこには広大な大西洋が広がっている。そこを陸沿いに南下するとある港町だ。


 遂に私達は、暗黒大陸に足を踏み入れたのだ。


 街は人種のるつぼとごった返し、エネルギッシュな喧騒で満ちていた。

 その多くはこの地に昔から住むⴰⵎⴰⵣⵉⵖアマズィグの民であったが、よく見ればエウロペやイスマールからの商人達も来ている様だ。

 

 私達は明日に備え、宿で早めの休息を取る事にしたのだが……。

 今、私はなぜかキースに引き連れられ、街の酒場に来ている。

 

 酒場の席はどこも一杯だった。

 見渡すと様々な衣装が確認出来る。

 中には傭兵らしき姿の者も居る。


「また今度にしないか? あぁいう連中とは、なるべくトラブルを起こしたくない」


 私はマラッガでの出来事を思い出していた。


「なんだ、ビビッてんのか? 俺はビビらねぇぜっ!」


 そう言ってしかめっ面してズカズカと肩で風を切りながら、中に入っていく。


 あ~、ガラ悪いなぁ……。

 あれじゃあ、マラッガのごろつき共と変わらないじゃない。


 するとカウンター席に居た客が運悪くキースと目が合い、そそくさと逃げる様に席を立った。キースは何事も無かった様にそこへ座り、ふぅと一息つくと、私にここへ来いと合図した。


 やれやれ……仕方ない。


「親父! 明日はちいと命懸けになるかもしれねぇんだ。何か特別な酒でも置いてたりしねぇか?」


 キースはポルトゥール語で聞いた。

 言葉が通じるか不安もあったのだろう、やけにゆっくりと丁寧だ。

 ははぁ……私を誘ったのは言葉の不安があったからか。

 きっと、まだ私の事を“腕の立つ諜報員”とでも思っているわけね。


「ほぅ? 一体どこに行くんだい」


 店の主人に言葉が通じると判るや否や、俄然勢いよく口から言葉が出る。


「そりゃあ“大地の裂け目”よ! 明日は竜とやらを相手しなきゃならねーのさ! だからこの高ぶる緊張……じゃねぇ、興奮を落ち着かせにきたってわけよ!」


 見ると先程からずっとカタカタカタカタ、貧乏ゆすりが止まらない。

 なんだ、ビビッてんじゃないコイツ。


「ビビッちゃいねーぜっ?! 俺はよぉっ!!」


 ビビッたーー!! 

 なんでコイツ、私の心が読めるのよ!?

 私は少し焦りながら聞いてみた。 


「ど、どうした?!」

「いや、何となくお前ぇがそんな風に思ってる気がしてよ。違ったら悪かったな!」


 妙に勘が鋭い所があるのよねー、コイツ。


「ま、付き合ってくれてありがとな! たまたまお前ぇが目に付いただけなんだがよ。一杯おごるぜ!」


 ズコッ!

 たまたま……か。

  

「よぉーしっ、ちょいと待ってな」


 そう言って酒場の店主は、棚の奥から幾重にも布が巻かれた一風変わった小樽を持ち出した。


「居るんだよなー、腕に覚えがあるとか言っていっちょ試しに行く奴が。ま、ほとんどの奴は竜と戦う前に戻ってきちまうんだがな、『俺には早すぎた』とか言ってな」


 その小樽からグラスに注いで出てきたのは、美しい真っ赤な液体……


「まぁそんなお前さんらにぴったしの酒があるぞ! 竜のよだれの香りがするという由来のこの街の特産、“竜涎香りゅうぜんこう”。そいつを混ぜた神秘のワインだ」


「竜涎香ワイン!」


 私は思わず声を張り上げた!

 

 マラッガに引き続き、私はついてる!

 キトゥンと飲んだシェリー酒はカイマンの言う通り格別だった。

 ムール貝の白ワイン蒸しとの相性も抜群だった。

 お次は、カイマンもまだ飲んだ事が無く名高い噂の“竜涎香ワイン”が試せるのだ!

 

 これは良い土産話が出来そうね。 


「なんだー、スティープ。知ってんのか? ところでその“竜涎香”ってやつは何だ? まさか本物の竜のよだれじゃねーだろうなー?」


「そうさなー、案外そうなのかもしれねぇな。コイツはなぁ、海岸でごく稀に見つける事が出来る代物でな。見かけは石みたいなんだが、何とも言えぬ独特な香りで、そいつがやみつきになるってわけさ。ま、論より証拠、一杯試してみな」


 スッとグラスがキースの前に差し出された。

 どんな味なのかしら……じゅるり。

 

「ほー、どれどれ。うーん、何とも言えぬ独特の香りだなぁ、確かにすごくやみつきになりそうな気がしてきたぜぇ。(ゴクリ)……美味い! この奥深く、それでいてどこか懐かしい香り。それに渋みと酸味が絶妙で飲み易い。おい、親父! 俺はこいつが気に入ったぜ! お、スティープ! お前も一口飲んでみろよ! やみつきになる香りと味だぜ!」


 私の前にも漸くグラスが差し出された。

 うーん、楽しみ!


「(クンクン)……うっ! なんか臭いぞ、これ」


 大きな期待と裏腹に、その香りはかなーり抵抗のあるものだった。


「ファッ?! バカ言っちゃいけねぇ、この香しい香りがお前には判んねぇの? ったくしょうがない奴だぜ! ほらよこしな、この香りが判らん奴にやるのは勿体無い」


 すると店主がフッフッフと笑みを浮かべ私達を眺めている。


「実はここらじゃよく知られた事なんだが、人によっちゃー匂いに感じる様だな。きっとそっちの方にはその臭いに感じたんだろうなー、ガーハッハ!」


「因みにどんな匂いに感じたんだよ、スティープ?」

「いや、そ、それは…そのー……」


「言い辛いやな、俺が当ててやろうか? あんたは聞いて気ぃ悪くするなよー。ずばり“牛のウ〇コ”だろ!?」


「ぶはっ! おい、親父! 言っていい事と悪い事があるぜ! んな訳ねぇよなー、ってオイ?!」


 私は店主の方を向いてコクンと頷いていた。

 まさにそんな匂い!

 そしてすっかりがっかりしてしまった。

 まさかそんな理由で名高い噂だったとは……。


「ぶはっ! おいマジかよー、参ったな。じゃあ何か? オレは牛のウ〇コを香しいって喜んで飲んでるってーのか?」


「ガーハッハ! お客さん、そういう香りに感じる人も少なからずいるって事さ。ワシは大好きなんだがなー。それにこいつを体に擦り付けて香りづけする人だっているんだから世の中色々さ。お、お代わりかい? 毎度!」


 キースは「それでも、うめぇもんはうめぇ!」とお代わりを続けていた。

 私は店主に勧められ、ビールと羊のソーセージを味わっていた。


 お口直しに丁度良いわね、これ。


 ところでキースはすっかりやけ飲みで気付いて無いだろうが、私は気付いていた。

 傭兵の恰好をした二人の男が、先程からじーっとこちらに視線を向けている事を。


 やがて二人は相変わらず飲み続けるキースに近づき、話しかけてきた。

 私はグラスを置き、深呼吸した。


 二人とも片言のポルトゥール語だった。


「大地の裂け目に行くそうだな?」

「俺達も一緒に行って良いか?」

「あぁん? なんだーおめぇらは……。遊びに行くんじゃねーんだぜ?」


 私はその間、じっくり二人を眺めていた。

 二人とも装備はかなり良い、それでいて馴染んでいる。

 何より身に纏う雰囲気が、マラッガのごろつきとは比べ物にならない。


 私はそっと、キースに耳打ちした。


「ふーん……お前ら、本気ってわけか?」


 キースの問いにコクリと頷く二人。


「よし、判った! ちいと待ってろ、今、俺達のリーダーを呼んできてやっから。もしそれでOKだったら何も文句はねぇ、そんときゃ俺達は仲間だ。この竜涎香ワインで乾杯してやるぜ」

 

 すると間髪入れず、一人が答えた。


「仲間になれたら嬉しいが、そのワインだけは勘弁してくれ」

「あぁん?!」


 もう一人も頷きながら、私と一緒の物を頼んでいる。


 そうよねぇ……私だけが特別なわけじゃ無いんだわ。


 まぁまぁとキースをなだめると、漸く「仕方ねぇなぁ……」とミスティを呼びに向かうキースであった。



(続く)

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