第36話 幕間 勇者ドーハート 2

 それからしばらくは、何もかもがうまくいった。


 オレは勇者だぞ、そう言うだけでよかった。全部の思うままだった。金、女、欲しいものは何でも手に入った。誰もがオレに気に入られようと尻尾を振ってついてくる。ケチをつけてくる奴に少しでも怒って見せれば、たちまち他の奴らがあの手この手でそいつを黙らせてもみ手でオレのご機嫌伺いをしてくる。孤児院で子どもたちのボスを気取っていたころに似ているが、今度は神官さえオレに逆らうことなんてできない。


 乾いていた大地に雨水を染み込ませるように、オレはやりたいことはなんでもした。そのひとつが、ミーシア姫だ。浮名の絶えないこの女なら、一発やらせてくれるだろうと思って近づいた。それなのに「すでに想い人がいる方とは付き合いません」だなんて処女みたいなことを言うから、リディを追い出して神殿の一室をオレたちの部屋にした。


 いい加減邪魔なんだ。空気を読んでさっさと消えろ。

 そうリディに告げた時の、ショックを受けた顔は忘れがたい。

 今でも思い出すだけで笑える。

 リディはオレから愛されていると、心の底から信じて疑ったことなんて一度もなかったんだろう。


 救いようのないバカだ。


 オレは勇者だ。つまり世界で一番強い。そのオレが、どうして一人の女に縛られなくちゃいけない。どんな女だって、オレが望めば喜んで股を開くべきだ。それをしなかったお前に、オレの隣に立つほどの価値なんてあるわけない。


 翌日、神殿の使いから「聖女が姿を消した」と報告があったが、オレは問題とは思わなかったし、神殿にも「大事にならないように処理しろ」と命じた。


 リディに対する未練なんてなにもなかった。どのみち、聖女の祈りだなんて元からなんの役にも立たなかったじゃないか。オレはオレ自身の力で強くなったのだから。オレが勇者であり、この世界のルールなのだから。


 ようやく運が巡ってきた。この頃のオレは、そう思っていた。だが、それは違っていた。


 ミーシアを神殿に迎え入れたとたん、王がやたらでかい顔をするようになった。それまでは「勇者様、勇者様、戦いに力をお貸しください」と下手に出ていたものが、ミーシアを神殿によこしてからは「これで縁戚というわけですな。これからも我が王家発展のため一層の尽力をお願いしますぞ」ときた。


 ミーシア自身もオレと繋がったことでやたら増長し始めた。それまでは「勇者様、愛しています。けれど、勇者様はすでに聖女様と想いを交わした身ですから……」なんて謙虚にふるまっていたものが、近ごろではオレの威光を利用して神殿にのさばっている。「私の言葉は勇者様の意向。その私に逆らうということは、勇者様に反逆するということですよ?」なんて言って神官たちをどやしつけているところも目撃した。その様子はまるで、ミーシア自身が勇者であるかのようだ。


 神殿も、扱いにくくなった。それまではリディと神官長がオレへの連絡を取り持っていたのに、神官たちはそれぞれ個別にオレに接触をはかるようになった。中でも付け届けを寄越して、オレに便宜を図るように要求してくる奴が圧倒的に増えた。

 頼みを聞いてやる道理はなかったが、たまの気まぐれで人事などに口をきいてやると、それで損した人間が今度はオレに賄賂を贈って取り消すように求めてくる。面倒くさいことこの上ない。リディがいたころはそんなことは一切なかったくせに、だ。


 なんというか今の神殿は、まとまりがないのだ。そしてそれは王家の方も同じかもしれない。お互いの足を引っ張ることばかりに熱心で、お互いに、オレを利用しようとする。魔王をまだ倒したわけではないというのに、魔族との戦争なんて忘れたように、自分の都合ばかりオレに押し付ける。面倒なことこのうえない。


 リディがいたころは、こんなことはなかったじゃないか。どうしたっていうんだ、まったくもってツイてない。やっぱりオレには運がない。


 しかし。


 リディ。


 ……そうだ、あいつが勝手にいなくなってからなんだ。


 ようやくそのことに気づいたオレは、リディを探すことにした。


 だが神殿の連中に聖女を捜索しろと言っても、主神からの託宣を受ける天文部の人間でさえ、聖女の行方はようとして知れないと口を揃える。まったく、昔から神官っていうのは使えない人間が多くて嫌になる。


 しょうがない。面倒だが、オレが自分で迎えに行くしかない。


 勇者の修業を投げうって逃げ出した時、しばらくするとリディが迎えに来た。どこに隠れていようとも、必ずだ。神殿の空き部屋だけじゃない。城下町の酒場、無理を言って匿ってもらった民家。絶対ここなら大丈夫と思ったどこでも、リディは絶対にオレを見つけ出す。なぜどこにいてもわかるのか、と問えば「勇者さまとわたしは、魂でつながっていますから」とあの赤い瞳を緩ませて微笑むのだ。聖女が選んだ勇者。二人の魂は主神によって結び付けられている。だから聖女の祈りが主神に届くと、主神は聖女とその魂を介して勇者を強化することができるのだ、とリディは言う。


 それを気持ち悪いと思っていた。いつも監視されているみたいだから。聖女の愛だなんて聞こえはいいが、要は使命から逃がさないための鎖でつないでいるということだ。


 だけど今は、逆にそれが利用できる。


 勇者であるオレは、スキルによる補強でほとんど無限に近い魔力を持っている。どんな高等魔法も使いこなせるし、全身の感覚を魔力で強化することで一瞬先の予知までできる。それほどの魔力を宿した今のオレなら、聖女の言う「魂の繋がり」を探知することだって可能なはずだ。


 しかし、これにかなり手こずった。世界中に魔力を伸ばしても、リディがどこにいるのかなかなか掴めなかったのだ。


 ここまでになると、もうオレの魔力の通じないところにいるかしか考えられない。


 だが、そんなことありえない。オレの魔力は世界最強だ。どんな辺境でもへき地でも、オレの目を逃れることなんてできはしない。


 ――しかし、例えば、魔王城ならどうだ?


 それはたまたま思いついた考えだったが、一度思いついてしまうと、もうそうだとしか考えられなかった。


 魔王が住み、対勇者に特化したあの魔城は、勇者の存在をはねのけるためだけの魔法が幾重にもかけられている。それがオレの魔力探知を阻んだから、リディがそこにいることに長い間気づかなかったのではないか。


 魔王城に攻め入るのは、勇者として当然だ。何しろ、魔王を倒すのが勇者の存在意義なのだから。


 オレは以前にも魔王城に攻め込もうとしたことがあったが、王家のたっての頼みで今はまだ保留にしていた。王家は魔王討伐後の世界勢力の中で自分の優位を確立するために、魔王を倒す絶好のタイミングを計っているのだろう。

 これもまた、面倒な話だ。


 だから今まで手を出せないでいたのだが、聖女が囚われているとなれば話は別だ。


 オレたちは『勇者』と『聖女』なんだ。離れ離れでいていいはずが、そもそもないのだから。

 というか、なぜリディは勝手に神殿を出て、よりにもよって魔王城なんかにいるのだろう。邪魔だとは言ったが、対立相手の本拠地にいるだなんてオレは聞いていない。


 そんなに振られたことがショックだったというのなら、よりを戻してやってもいい。ただし、オレの行動にいちいち目くじらをたてずに小言も言わないという条件付きだが。


 オレが言えば、重婚が禁じられたこの国でもリディを妾にしてやるくらいはできるだろう。


 そうすれば、絶対あいつは戻ってくる。

 だってあいつは、オレのことが好きなんだから。

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