第26話 微笑み
請われるまま他のベッドで横たわる人々にも同じように額に手をあてて願ったが、モーシャルさんのときほどの変化は残念ながら見られなかった。
モーシャルさんが回復したのがわたしの力だなんてやはり気のせいなのでは、と帰りの馬車の中で言ったわたしに魔王は、窓の外を見ていた視線をこちらに向けて返事を返す。
「そんなはずはない。現にキシールにはあれほどの変化が出ているし……」
「キシール? あの子もどこか怪我をしていたんですか?」
「……本当に気づいていないのか? 鱗のツヤ、体の大きさ。どれをとっても、あの年齢のドラゴンとしては群を抜いて成長が早い。聖女と共に過ごす時間が誰よりも長いからだと思っていたんだが」
「えっ」
たしかに、最近随分大きくなってきたなあ、とは思っていた。
最初は大型犬を一回り大きくしたくらいだったのに、今では食卓のテーブルより一回り小さいくらいだ。キシールは運動量のわりにとてもよく食べるのを見ていたので、太ったのかな、扉につっかえたりしないうちにダイエットを勧めたほうがいいかしら、と思っていたのだが。
――なるほど、成長していたのね。
それにまったく気づいていなかったことの気まずさをごまかすためにわたしはひとつ咳ばらいをしたが、魔王はそれに気が付いているのか、まるで笑いをこらえるような顔をしてわたしから視線を逸らさない。
「わたしの顔を見るの、そんなに楽しいんですか?」
「まあな」
魔王は馬車の窓辺に頬杖をついたまま、鼻歌でも歌いだしそうなくらいの上機嫌で、わたしを見ていた。
「モーシャルの件が改善しただけでも、今日の外出に価値はあった。聖女の協力に感謝するよ」
その言葉を聞いて、ああ、そうか、と思う。
教会に設営された病院は、凄惨なありさまだった。医療物資だって十分にあるとは思えない中で、白衣を着た魔族たちが忙しなく動き回り、ベッドの上の魔族たちはうなされている。それでも誰も混乱している様子がなく、整然と作業がこなされていたところを見ると、長いことあれが日常だったに違いない。
モーシャルさんも同じように、ずっとあの場所で横たわっていた。意識があるのかないのかはっきりしない状態で、悪化しなくても改善もせずに、ずっとほとんど寝たきりだったのではないだろうか。
だから魔王は、いつ回復するのかわからなかったモーシャルさんともう一度会話できたことが嬉しくて、喜んでいるのだ。
「聖女はどうだった?」
「え?」
「魔族の街を見て。何か楽しいことはあったか?」
「楽しい……とは違うかもしれませんが、ええ。とてもたくさんの発見がありました」
「例えば?」
「そうですね、まずは魔族のみなさんの見た目の違いでしょうか。角があっても翼があっても、犬や爬虫類や昆虫に近い形の器官をもっていても、みなさんご自分のこともお相手のことも『魔族』と認識されています。それって不思議です。魔族の方は、なにをもって同族と判断されるんですか?」
「魔族は魔族だろう。何が不思議なんだ?」
「……ほぼ人間と変わらない見た目の魔王陛下だけでなく、獣人のカイドルさんも、ドラゴンのキシールも同じ『魔族』に分類されます。それが不思議なんです。まるで鳥と犬とワニを全部同じ種族として見ているみたい。どうしてこれほどの差があっても、魔族は魔族として団結できるのでしょう」
「考えたこともなかったな……魔族は魔族だ、それ以上でもそれ以下でもない。角とか牙とか、二足歩行とか四足歩行とか、体の大きさなんてただの身体的特徴でしかないだろう? 自分で自分は『魔族』と認識しているなら、そいつはもう魔族でいいんだよ」
魔族であることは、周りが決めるのではなく本人が『魔族』であると思うならそれでいいのだ、と魔王はあっけらかんと言って見せた。
なんというか、とてもざっくりした分類だ。節操がないと思うくらい間口が広いと思う。
けれどそれが、今日見た魔族のみなさんのおおらかさの所以なのだろう。
そしてその根源は、きっとこの魔王だ。この人が王と呼ばれる存在だから、魔族は彼に付き従い、団結できる。見た目の区別をせず、身分の上下にもこだわらず、財産を分け与えて自ら行動できる人だから。
最初からこうだったわけではないだろう。カイドルさんの歴史の授業では、魔族にも種族による内紛はあったと聞いた。だからきっと、少しづつ、一歩ずつの積み重ねが今を作ったのだ。
尊敬できるリーダーのもとで、誇りを胸に日々を送れる魔族たちがうらやましい。陰謀術数が無数に渦巻いて、油断すれば背後から追い落とされることを警戒しながらじゃないと生き延びられない王宮では、残念ながらほとんどありえない生き方だから。
嫉妬に似た気持ちを抱いて、だけどそんな資格が、わたしにあるのだろうかと自問した。
自分だけ清純ぶって、穢れなんて知らないという顔をして、「人間の勝利ために」だなんて嘯いて魔族のために祈るのを拒否しておきながら、誰よりも真実が見えてはいなかった。
魔族だから。モンスターだから。そんなつまらないことにこだわって、見た目に囚われていたのは、わたしなのだ。
そんなわたしが、主神に愛される聖女にはふさわしいわけがない。
あるいは勇者さまも、わたしに愛想を尽かして追放したのかもしれない。言葉だけは偉そうに「いつも共にあります」なんて言っておきながら、わたし自身が戦場に降り立ったことは一度もない。
「戦いに疲れたんだからその体でオレを癒すくらいしろ」と要求してくるあの人に肌を許すべきだったとは今でも思わないけれど、そんなわたしよりも側で自分を癒してくれるミーシア姫を選ぶという彼の選択を、嬲る権利はわたしにはなかったのかもしれない。
神殿だってそうだ。わたしは神殿長さまの言うことをよく聞いて、ただ盲目的に祈るような聖女ではなかった。王宮との権力闘争に利用できないなんて役立たずだと、聖女失格の烙印を押されて、不要だと罵られてもしょうがないのかもしれない。
――それでも。
こんなわたしでも聖女だと、祈りによって救われたと、言ってくれたマーシャルさんのやつれた顔を思い出す。あの人よりもずっと恵まれた環境にいるわたしが、そのことに救われるなんておこがましいのかもしれないけれど、それでも。
わたしの祈りを、必要としてくれる人がいるなら。それによって救われる人がいるなら。
そこまで考えたところで魔馬車は止まり、魔馬は嘶きによって城への到着を告げた。
魔王の手を借りて馬車を降りたところで、わたしは思い切って切り出す。
「また、あの街に行かれるときは、声をかけてくださいますか? モーシャルさんのことも心配ですし」
おずおずと声をかけたわたしに向かって魔王は一度驚いた顔をしたあと、
ものすごく、きれいに笑った。
「こちらからもよろしく頼むよ、聖女。みんなの力になってやってほしい」
カイドルさんと話しているときはひん曲がっている唇が口角を上げて、よくシワを寄せている眉間は広がり、切れ上がっている眉毛がいつもより少しだけ位置を下げる。
その下にある、深まってきた夕暮れのような紫の瞳が、優しい光を湛えてわたしを見ていた。
見る人すべてを虜にするような笑顔だった。魅了の魔法でもかかっているんじゃないかと思うくらい。
わたしはそれを見たとたん、自分の鼓動を今までになく強く感じたのだ。
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