第23話 魔族の暮らし

「おまたせしました……あら? カイドルさんは?」


 着替えを終えて廊下に出ると、先ほどまでいたはずのカイドルさんの姿が見えない。


 わたしと視線が合った途端にそっぽをむいた魔王によると、どうにもカイドルさんは「所用があるのでお二人で行ってきてください」と言ってすたこらとどこかに行ってしまったらしい。


 つまりそれは、わたしたちはこれから二人きりで出かけるのだ、ということである。


 そのことを自覚するとなぜか妙に気恥ずかしくて、魔王になんと声をかけていいのかわからなくなる。

 どうしよう、と思って魔王を見上げると、彼はこっちを見ないまま「行こう」と言って歩き出してしまった。


「えっ。あ、あの。どちらに行かれるんですか?」

「このままここにいても仕方ないだろう。魔馬車を呼んであるから、それに乗って城下に行く」


 歩き出した魔王を小走りで追いかけて、城の外に出た。わたしが行ったことがあるのは魔王城の中庭まで。この先に何があるのか、わたしは何も知らない。


 城の入り口にある、吹き抜けの大扉は特別なとき以外開けられることはないということで、わたしたちは通用口として使われている、中庭に面している扉から城の外に出る。

 そこにすでに、牛のような角を生やした真っ黒で大きな馬と、それに引かれている黒塗りの馬車が用意されていたが、不思議なことに御者として馬車を操る人の姿がない。


「御者の方はいないんですか?」

「この魔馬は魔族の使い魔だ。御者なんていなく主の指示には忠実だから、魔馬車には御者はつかない。こうやって……」


 そう言いながら魔王は、手のひらを舐めさせるように魔馬に手を差し出した。魔馬は匂いを確認するように鼻を動かした後、魔王の掌に自分の頬をこすりつける。


「魔力をエサとして与えながら、行く場所のイメージを伝える。……うん。準備ができたようだ。乗ってくれ」


 魔王の手を借りて馬車に乗り込むと、ほどなくして魔馬車は走り出した。普通の馬が引く馬車よりもずっと早いのに、揺れはそれほどひどくはない。

 窓の外で流れていく景色はわたしが知らない植物ばかりが多い茂った森ばかりだった。神殿の近くとは植生が全く異なることを今更ながらに思い知る。


 本当に遠くまで、来てしまったんだ。


「魔王城を中心に、城下は六つの区画に分かれている。城を包囲している森は大型の魔族の居住地になっているから、魔王に庇護を求めたドラゴンやグリフォンなんかが住んでいる。滅多に人前には現れないけどな。一般の魔族が住んでいるのはその外周になるから、少しかかるぞ」


 魔王城でわたしに与えられた部屋にもバルコニーはあるが、森に遮られて街は見えなかった。ただとても大きな木に囲まれていることはわかったが、そんな巨大なモンスターが住まう森だとは思わなかった。


「キシールも、大きくなったらこの森に住むようになるのでしょうか」

「キシールはウインドドラゴンだから、成体になったらどこか別の、もっと高い場所で暮らすだろうな」


 わたしのぼんやりしたつぶやきに、魔王は反応してくれた。


「そういうものなんですか?」

「ウインドドラゴンの一番の特徴は飛行能力だ。空の絶対的王者と言われる所以であるその力を活かすには、もっと標高が高くて、見晴らしのいい場所に住んだほうがいい」


 だとすると、キシールは大人になったら魔王城から離れてしまうのか。

 成長は喜ばしいことで、悲しむべきじゃないとわかっていても、あの城で一番最初にできた友達を失うと思うと寂しい。


「随分キシールに執着しているんだな。ドーハートといい、キシールといい、聖女は爬虫類が好きなのか?」

「ドーハートさまは爬虫類ではありませんが……」

「いや、あの青い目はザグレブトカゲに似ている」


 ザグレブトカゲとはこの大陸のどこでも見かけられるトカゲで、特に井戸の近くによく出るので特に女性からは嫌われていることが多い。

 特徴は透き通るような青い瞳と、粘液を纏った黒い体だ。それは、言われてみれば、ドーハートさまの瞳と髪に似てないこともないのかもしれない。


 咳払いでごまかしたが、多分魔王にはわたしが笑ったことが伝わってしまった気がする。





 そんな話をしていたら、あっという間に魔馬車は目的地に着いたようだった。


 魔馬車を降りて見た初めての魔族の街は、予想とは随分違う。

 想像していたのは、神殿のある王都の城下町の喧騒だったけれど、そこにあったのは人間の世界で言えば田園地帯にありそうな、泥に藁を混ぜて作ったようなレンガと木でつくった屋根の、古ぼけた家の街並みだった。


 歴史がある、と言えば聞こえはいいけれど、それにしても随分ボロボロだ。


「これが魔族の、城下町?」


 風に乗って、すっぱいような臭いが漂ってくる。空気はほこりっぽく澱んでいて、お世辞にも清潔とは言えそうにない。

 人気のない街で一歩一歩と歩みを進めているうちに、通りの向こうで行列を作っている人々を見つけた。


「あれは……?」

「食料の配給だ。魔族の土地は実りが少ない。加えて国土は年々縮小していくからな、食料の大部分は国で管轄して、再分配することでなんとか貧しい者の暮らしを賄っている」


 角が生えたり、翼がある、おそらく魔族であろう人々は、ボロボロの着物を着て配給に並んでいる。


「戦争が長く続けば、弱い者から順に民の暮らしはこうなっていく。何を驚くことがある? 人間だって同じだろう」


 わけもわからずただ見ていたわたしの後ろから、魔王が声をかけた。


「でも、人間の町ではこんな光景、ありません。すくなくとも城下の人々はこんな暮らしをしていない」


「見えていなかっただけじゃないか。聖女を誘拐する前に町の様子も見てみたが、貧民街で暮らす奴らはここよりもっとひどい暮らしをしていたぞ。王と周りの奴らがいい暮らしをしているように見えるのは、その分誰かから搾取しているからに過ぎない。お前たち人間は、他人の暮らしより自分の暮らしを優先するからな」

「そんな……」

「そこまで悲観するようなことでもないぞ、魔族の暮らしは基本的に弱肉強食なんだ。配給で足りない分は、自分で狩るか作るかすればいい。どんな商売をやっていてもそれは同じだから、農村はここよりもっと食い物に溢れている。ただし、城下は戦争景気の影響をもろに受けるから、ここでの魔族の暮らしはこんなもんになるんだよ」

「……」


 言葉が出なかった。魔王の言葉はひどくあっさりとしていて、それがこの光景がごく普通の日常である、ということを裏付けている。


 神殿では粗食をよしとしていた分わたしもあまり食べる方ではないが、カイドルさんはいつも小麦や果物、豆や卵、時にはお肉を使った料理を出してくれた。わたしに魔族の配給が回ってくるはずもないから、あれらの食事は魔王城の誰かがわたしに食料を分けてくれていたということになるのではないだろうか。


 気づかなかった。魔族はこれほど、追い詰められていたのか。

 そして、もしかしたら人間の暮らしも同じだったのかもしれない。


 それに気が付かなかったわたしの目は、あまりにも曇っていた。

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