第3話 訪問者
悪い夢でも見ているような気持ちだ。
ふらふらとしながら勇者さまのお言葉が真実なのかどうか確認するために神殿長さまのお部屋を訪れても、神殿長さまは悲しそうに頷かれるだけだった。たったそれだけでも、勇者さまの言葉が虚言の類いでないことはわかり、わたしは黙って引き下がる。
そして部屋に戻れば、もうすでにミーシア王女の私物と思われる調度品や衣装が運び込まれてきていて、神殿の理念にのっとり質素倹約を旨として暮らしてきたわたしのわずかばかりの私物は隅に追いやられている。作業をしている神官たちは茫然としているわたしを見て悲しそうな顔をしたけれど、一言でも声をかけてくれる人は誰もいなかった。
その態度を見れば、嫌でも察することはできた。
勇者さまはわたしを聖女の座から突き落とすために、手段を選ぶということをしなかった。気づいてしまったのだろう。その力を揮えば、誰も逆らえる者がいないことに。
勇者ドーハートさまは、強すぎる。
この国で暮らす誰も、彼に力で敵うことはできない。そして魔王が率いる魔族との戦いにおいて、この国は勇者である彼の力に頼りすぎている。国王は彼を前線で戦わせ、大きな戦いが起これば必ず戦力として投入する。ほとんど決死隊のような任地に遊撃隊として送り込むそのやり方に、わたしは何度も苦言を呈してきたが、それが認められたためしはない。
それでもわたしは、勇者さまの無事と成長を祈り続けた。そして聖女の願いを主神が聞き届けたのか、勇者さまは、死地に送られるだびに生還した。膨大な経験値とスキルを手に入れて。
結果、誰も手の施しようがないほど強い勇者が誕生してしまった。ドラゴンを聖剣ひと振りでうち倒し、魔王の側近であった魔将軍を低級魔法ひとつで排除してしまう、前代未聞の、強すぎる勇者。
勇者さまは、強くなりすぎたのだ。
勇者がいればこの国はたしかに安泰だ。しかし、彼が裏切れば、この国は魔族に攻め入られて簡単に滅びるだろう。
だから国王は私の廃位に同意したのだと思う。
国家の安全を保障するためには彼を手なずけ、飼いならし、手綱をつけておく必要がある。そのための方法が、彼の意中の姫を娶らせることだったのではないだろうか。だからわたしを追放し、ミーシア姫を聖女に据える必要があった。
そして神殿は、国王の決定を覆すことができなかった。優越権を行使されれば、神殿は王権に逆らうことは許されないから。
それはわかる。理解できる。だけど!
悔しくて悔しくて悔しくて、納得なんてできるはずがない!
聖女として慰問に訪れた孤児院で、同い年の子どもが珍しくて彼に興味をもって、その青い瞳を覗き込んで手のひらに触れた途端に恋に落ちた。
彼ならきっと、と思って聖剣のもとに案内すれば予感は的中してドーハートさまは勇者になった。それからずっと、彼を誰より愛したのは、慈しんできたのはわたしなのだ。聖女の務め、それ以上に、想いを込めて彼の無事を祈ってきた。
ああ、だけど。
別れを切り出したときの冷たい視線を思い出す。旅立ちによってわたしからやっと自由になった、と彼は言った。
わたしの想いはあの人にとって、よかれと思ってやってきたことは全部、ずっと、ただの、
――重荷だったのだろう。
柔らかな布団をかぶって涙を流せば、温かいシーツがそっと優しく吸い込んだ。今宵がこの部屋で過ごす最後の夜。生まれたときからずっと聖女として生きてきたわたしに、他の生き方なんて想像もできない。ここを離れたくはないけれど、誰も逆らえない勇者がわたしの追放を決めたのだ。わたしの味方になってくれる人なんて、この国にはもう誰もいない。
悔しい。泣き寝入りしかできないの?
何度もそう自問しても答えは出ない。復讐するにしたって、何もできることなんてない。
神に愛された娘なんて言っても、わたし自身に何か特別なスキルが与えられているわけではない。勇者を選び、導く以外、わたしは無力だ。
声を押し殺して泣いていると、ふと、風が揺れるのを感じた。
窓は閉めて寝たはずだった。それなのに冷たい空気が流れ込んでくる。
聖女の暮らす神殿は治安は完璧なはずだが、さすがに不用心に窓を開けて寝入るわけにもいかない。そう思ったわたしは、泣き声を殺すために顔を押し付けていたクッションを離して起き上がる。
そのとき、窓の方角から声が聞こえてきた。
「あなたが、聖女か」
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